安い買物
「こんな安物ばかりの店! 誰が継ぐかよ!」
男は父に小言をもらう度にそう言って反発した。
代々続いた伝統工芸品の小売店。男は小さいながらも長い伝統のある店の跡取りだっだ。
伝統工芸品とはいえ芸術品とは言い難い。あくまで工芸品だ。民芸品と言ってもいい。安値のものばかりだ。
「安い買物しかできねえ店じゃねえか!」
そう、所詮は小さな街の小さな店の小さな商いなのだ。
男はその店の跡取りとして期待されて育った。だが男の性分は、この店には合わなかったようだ。
伝統のある店と言えば聞こえがいいが、所詮細々とやってきただけの店。
跡取りとはいえ贅沢などしたことがない。倹約が必要な売り上げしか、その店からは得られない。
「安商いなんてまっぴらご免だ。いつまでも安い商いばかりじゃ、ずっと貧乏なままじゃねえか」
男はそれが我慢ならなかった。己の境遇の悪さを、商いのせいにする。小さな店のせいにする。
そんな男をもちろん父は叱った。だが男は聞く耳を持たない。
「もっと大きな商いをするよ。俺自身が、高い買物ができるような。そんな商売をよ!」
やがて男は店を継ぐこともなく、家を出奔した。
「この店で一番高いものを買ってやるよ」
男は久しぶりに家に帰るや、店の中で札束を振り回した。札束を振りかざした相手は男の父だ。
男は一人で商売を始め、あっという間に財を築いたのだ。
それは復しゅうのようなものだったのかもしれない。父の店で札束で買うような商品などない。それを知っていて男は札束を見せつけたのだ。
「相変わらず、安い商いばかりだろ? だから一番高い買物を買ってやるよ! 大商いだろ?」
この店でずっと売れ残っている一番高額な商品を掴み、男は札束と商品を投げつけるように会計をしようとする。
父に莫迦にするなと、男は店の外に追い出された。その混乱で男は札束を出したまま、商品も手に入れずに店を出る。
「釣りはいらねえよ! ああ、あとそんな安物もな!」
男は商品も受け取らなければ、釣りはおろか返金すら受けずに言い返す。置いてきた金を惜しいとも思わっていないようだ。
「安い買物しかできない店じゃ、そんな札束見たことねえだろ!」
男は何処までも父の商いを莫迦にして帰っていった。
男の商いは日を追って大きくなった。
男に商才があったのかもしれない。単に時代が男に味方をしたのかもしれない。ごく単純に男に運があったのかもしれない。
「小さな街で、ちまちま民芸品なんて売ってられるかよ」
男は傲岸にもそう言ってのける。
実際傲慢になる程、男は危なっかしいまでに利益を求め、商売の手を広げていった。
だがその生き急ぐような商いは、男に更なる自信を与えるようだ。自信が大商いを呼び、大きな商売が確信を呼ぶ。
回り続ける独楽が倒れないような、走り続ける自転車が転ばないような、そんな危うい状態で男は商売を続ける。
「商売ってのは、大きくなくっちゃな!」
男はどんなに商売を大きくしても、いつまでも父の商売を莫迦にするような発言を続けた。
「地べたを這いずり回るような商売なんて、してられっかよ!」
男は不遜ににもそう言ってのけ、自らは自信と慢心の怪しい天秤棒を手にしたかのごとく、綱渡りのような商売を拡げていった。
だが男の勢いはそこで止まる。商売の勢いがぱたっと止まった。
男には商才がなかったのかもしれない。単に時代が男を裏切ったのかもしれない。ごく単純に男に運がなかったのかもしれない。
男は借金取りの手を逃れて、隠れるように暮らし出した。
何とか債務を整理し、己の破産の手続きをすると男には何も残されなかった。
父の下には帰らない。見せる顔などない。誇りがそれを許さない。
男が死すら考え始めたその時、父から小包が届いた。
いつぞやお前に売った一番高いものを送る。
そうとだけ書かれていた。
そんなこともあったなと男は思う。
父に投げつけた札束。あれがあれば、今どれだけ楽だろう。男は小包の中身よりも、あの時のお金に気が向いてしまう。
もしからしたらあの時のお金かもしれない。男はそんな期待を胸に破るように小包を開けた。
だがそれはお金ではなかった。
そこに入っていたのは、店の土地や建物の権利書。言わば店そのもの。
そう、あの店で買える一番高いものだった。だがもちろん札束一つで買えるものでもない。
『お前がやり直せるのなら――』
そしてそんな書き出しで始まる小さな手紙が、
『安い買物だ』
そこには無愛想に一枚ついていた。