「500円をあげるよ」と、優しいいきものは言った
あるところに、1人のいきものがいました。
名前はありません。誰も呼ぶものがいないからです。
そのいきものは、人間を見るのが好きでした。
人間は、いろんな動きをしたり、音を立てたりして、飽きないからです。
その日も、いきものは人間たちを見ていました。
数人のグループの中で、1人の女が、「500円くらいいいじゃない」と言いました。
その女は、「500円くらい」が口癖で、よく周りの人におごらせたり借りたりしていたので、「500円女」と陰で呼ばれていました。
人間は、500円というものがうれしいのかしら、といきものは思いました。
女が他の人たちから離れて1人になったところで、いきものは声をかけました。
「500円欲しいの?」
突然声をかけられて女はびっくりしましたが、すぐに笑顔になって答えました。
「なぁに?くれるの〜?」
「500円をあげるよ。そのかわり、あなたの時間をくれる?」
「おごってくれるならいいわよ」
いきものはとても嬉しくなりました。
そして、手のひらに500円玉を乗せて差し出すと、女は素早くそれを取りました。
それから時々、いきものは女に500円あげたり、一緒にご飯を食べたりしました。
周りの人たちは、500円女が「500円くらいいいじゃん」と寄ってくることが減ったので、喜びました。
また、女がまるで誰かといるように喋っているのを見かけて、関わらないようにする人もいました。
でもそのうち、女の隣に誰かがいるようになりました。
ただ、その人が誰なのか、どんな外見をしていたのか、あとから思い出そうとしてもさっぱりわからないのです。
一方で女の方は、人から無視されることが増えたことに気がついて、とても腹が立ちました。
友達を見つけて声をかけても、すぐに返事をしてくれないのです。
2度、3度と声をかけてようやく、今気がついたみたいに女のことを見るのです。
お店に入っても、店員は女を無視します。
「ちょっと!さっきから呼んでるでしょ!」
女が怒鳴り散らしてやっと、店員は謝って対応し始めるのです。
女がそんな目にあっているときも、隣のソレはニコニコしていました。
そのことにいらついた時、ふと、女はソレの名前を知らないことに気がつきました。
だけど、と女は思い直しました。
こいつの名前なんてどうでもいいわ。お金さえ出してくれればそれでいいのよ。
そんな日が続いたある日、女は鏡を見て、なんだか自分が薄くなっていることに気がつきました。
いえ、薄くなっているどころか、透けているではありませんか。
「は…?どういうこと…」
「ありがとう。これであなたの時間はぜんぶもらったよ」
突然、横から声がしました。
そこにいたのは、女とうり二つの見た目になったいきもの。
「なに言ってるの?なんでアンタがここにいるの?」
怯えた声で問う女に対して、同じ顔をしたいきものはうれしそうに笑いました。
「500円で、あなたの時間をもらっていたよ」
女が500円と引き換えに渡していたのは、女が女として生きる時間。存在そのものだったのです。
震える手に目を落とすと、手は完全に透けていました。
女は大きな声をあげました。
でももう、誰にも聞こえません。




