育ちすぎたハンコの話なの。
昔は良かったなぁなんて、チェアの背もたれを使って背伸びをしながら考えていると、ふと声をかけられたの。
「ハンチョー、ハンコをお願いします」
渡された書類を手に取り、手慣れた動作で処理をしてから返すの。
「ありがとうございます」
目も合わせずにそそくさと、逃げるように去っていく若い社員の背中を見ると、自分が年をとったなぁと感じるの。
僕が若い頃は、スーツでビシッと決めて、仁丹を噛んで、タバコを吸いながら24時間働いていたの。
ハンコを捺す時の枠に気をつけるのはもちろんのこと、お辞儀をしているように見える「お辞儀ハンコ」の角度にも厳しく注意させられたの。
まさに、竹を割ったような縦社会だったの。
でも、今は時代が違うの。
電子化が進んでいくせいで、紙の書類が主流だった昔にはなかった問題が浮き彫りになってきたの。
そうなの。ハンコなの。
昔は教育のために何枚も何百枚もハンコを捺していたから、問題はなかったの。
でも、ハンコを使わないで放置すると、問題が発生するの。
――印影が、育つの。
パッと見てはわからないの。けれど紙に捺した時、印影が少しずつ大きくなっていくの。
放置した期間によって、その成長度合いは変わるの。
一時期は社会問題にもなったの。「育て屋さん」とか「預かり屋さん」とかいう商売もあったくらいなの。とっても懐かしいの。
けれど、これには恐ろしい結末があるの。
紙の枠をはみ出した印影が、紙そのものより大きくなってしまったら……。
ハンコを捺した本人に、その朱色が広がっていくの。
最後には主要臓器に朱印が詰まって、死ぬの。
回避方法はあるの。
紙を燃やしたり、印影の大きさを他人に移したりするの。
僕の髪の毛が赤い理由も、それなの。
切っても切っても地毛そのものが赤くなってくるようになってしまったの。
こうなってしまうと、「璽」になる日も近いの。
璽っていうのは、漢字で書くと「印璽」の璽なの。
ハンコの印影を吸い取り続けると、人間がハンコ自身になるという、古い言い伝えなの。
この言い伝えはおかしい気がするけれど、若者たちが僕に対して冷たいのは、きっと時代のせいじゃなく、このハンコのせいなんだと思うの。
ハンコのせいなら、やっぱり時代のせいなの。
だから、やっぱり昔の方が良かったのかも知れないの。
……ある日の夜のこと。
自宅で眠っていたら、体が浮いていたの。
屋根を通り抜け、雲を突き抜け、地球の青さを足元に感じながら、銀河を上へ上へと昇っていったの。
そこには、真っ赤な太陽があったの。
朱肉のように赤く、燃えるような熱気があるの。
よく見たら、それは巨大な「朱肉」そのものだったの。
僕みたいな頭をした人たちが、ぎっしりと密集してできた朱肉なの!
そこには、僕の前任のハンコの長、『判長』がいたの。
歴代の『判長』たちも、みんなそこにいるの!
みんなが笑って、僕のことを受け入れてくれるの。
「懐かしい。ここにいる人たちは、僕みたいに役目を終えた人たちなのか。みんなとまた一緒に勤めることができて、本当に光栄だ。もう、自分を偽る必要もないんだ……」
ふわりと、太陽のような朱肉の上に降り立ち、僕は『判長』の横に並び立った。
その時だった。
「ハンチョー、ハンコお願いします」
唐突に聞こえた声。
空が真っ白に明るくなったかと思うと、巨大な「判子」が、僕の頭を何度も、何度も踏みつけた。
昔の方が、よかったの!!!
(おしまい)




