聞くわけがないでしょう? 貴方の言うことなんて。
「君との婚約を破棄する」
幼馴染にして侯爵家の嫡男であるパトリックは、私にそう言った。
「俺には真に愛する人が出来たんだ」
彼の言う『真に愛する人』を私は知っている。
伯爵令嬢のナディヤ様だ。
同じ王立学園に通う御令嬢で、事ある毎にパトリックへ話し掛け、婚約者がいる異性に対して相応しくないアプローチを仕掛け続けていた。
「君の事は友人や家族と同様に好いている。けれど、それは恋ではないんだ」
放課後、裏庭に呼び出したかと思えば自分語りをつらつらと並べる彼を私は静かに見据える。
いや、私も別に貴方の事は愛していなかったけれど。
そもそも我が家は両親の仲が良いだけ。爵位も同じ家で、親同士の繋がりから顔を合わせる機会も多く……自然と婚約を交わす事になっていただけ。
貴族の婚約に恋愛感情が絡む事の方が少ないのだから、それに対して何かを思う事もなかったけれど……どうやらパトリックはそうではなかったらしい。
彼は私が思っているよりも貴族の器ではない男だったらしいと私は思った。
「でも、君の事が嫌いになったとか、そういう事ではないから。今後も友達として仲良くしたいと思って――」
そんな話をパトリックが並べていると、離れた場所からパトリックを呼ぶ女性の声がする。
ナディヤ様だろう。
彼はハッとすると「今行く」とそちらへ声を投げた。
「じゃあ、そういう事だから。……すまないな」
そう言うや否やそそくさと去っていくパトリック。
……いや、文句の一つや二つ……というか、せめて返事くらい聞いてから去るべきでは?
そんな事を思いながら、パトリックが去っていった方角を見て私は溜息を吐いたのだった。
「遅かったじゃないか」
図書館の共有スペースである大テーブル、その角の椅子に腰を掛けると、正面に座る男子生徒が声を掛ける。
赤髪に黄緑の瞳の美青年。ディルク・バウムガルテン公爵子息様。
彼は両手を頭の後ろに組み、背もたれに大きくもたれたまま私を見ていた。
その地位や儚い容姿からはやや不釣り合いな格好には、彼の飾り気のない性格が滲み出ていた。
「君に限って、講師に呼び出されていた訳ではないだろう?」
「サボり癖のあるディルク様とは違いますから」
「お? 侮辱か? 不敬か?」
「咎めるつもりのない罪を振りかざしていないで、ご自身の課題を片付けてはいかがですか」
放課後、図書館の角の席は私達の特等席だ。
即座に帰宅する生徒が多い中、閑散とした図書館の中で私達は勉学に励む。
私が放課後の図書館に残っているのは、講師に頼まれ、ディルク様の勉強を見ているからだ。
現公爵であるお父君の政務を少しずつ継ぎ始めたらしいディルク様は学校を休む頻度が増えていた。
幼い頃から家庭教師などを雇って教養は積んでいるだろうが、学園の科目の中には少々専門的な分野も含まれている為、貴族に求められる教養外の知識も学ぶ必要がある。
その手のものは、学園の授業で身に付けるほかないのだが……なんとディルク様は学園へ出席しても中々授業へ参加したがらないという困り者だった。
とはいえ、彼が授業に参加したがらない理由もよくわかる。
私はディルク様と同じ授業を受けている時の光景を何度か見た事があるが、彼の恐ろしく整った容姿は異性の目を釘付けにし、更にはとにかく世話を焼こうと授業中に声を掛ける生徒が数名現れ、その数名で言い争いが発生する始末。
ディルク様は当然の事、周囲の生徒も授業を受けるどころの騒ぎではなくなってしまうのだ。
そんなこんなで授業にあまり出席しなくなったディルク様の成績は常に赤点手前の科目がちらほら。
このままではいつか単位を落とすかもしれないという懸念から、勉強を教えてやってはくれないかと講師側から頼まれたのが成績上位者の私だった。
結果、私とディルク様は人気のない放課後に集合し、こうして勉強会を開く事となった。
ディルク様は人目を避けて図書館へ向かうのすら苦労しているようだが、他に良い場所がないので、致し方なくご足労頂いているのが現状だ。
「俺は君を待っていたんだが?」
ディルク様は開いていた教科書を私に見せる。
「ここの応用問題なんだが」
「ああ、そこは変則的な過程が入るので確かに難しいかもしれませんね。前ページに書いてある定理を使うのですが……」
「うわ……っ、あー、なるほど?」
私が解説をすれば、ディルク様は納得したように頷く。
勉強自体は真面目に取り組む姿勢がうかがえるので、彼の成績不振は環境のせいと言わざるを得ないだろう。
一度教えた事で再び問題に取り組み始めた彼は、ペンを走らせながら私に再び問う。
「それで? どこ行っていたんだ?」
「裏庭に」
「裏庭? 何でまた」
「……婚約破棄を言い渡されに?」
素直に答えれば、ガバリとディルク様が顔を上げる。
「……なんて?」
「婚約破棄をされていました」
「婚約破棄、というのは……パトリック・フォン・コストマンが君に婚約解消を申し出たという事か?」
「その通りです」
「……どうして呼んでくれなかったんだ」
「私だって呼び出されるまで知らなかったんですから。それにいたらいたで野次飛ばすでしょう」
「それはそうだろう。そんな面白そうな話」
「本当に性格が悪い……」
私が小さく呟けば「不敬だぞ」とまた返される。
ディルク様は人を翻弄して楽しむ節があった。
故に私の評価は特段間違ったものではないと自負している。
「それはそうと、随分愚かな判断を下したものだな。理由は?」
「真に愛する人を見つけたそうですよ」
「なるほど分かった、君の婚約者は阿呆だ」
「否定はしません。尤も……彼は私を阿呆側だと思っているのでしょうが」
「君を?」
ディルク様が首を傾げる。
「ええ。幼い頃より、私は同年代の子供よりも他者の思考に敏感でしたから、パトリックが私に何を求めているのかは大抵わかりました。『あ、今は褒めて欲しいのだろう』、『今は彼を立てればいいのだろう』、『私は知らないふりをしていた方が良いのだろう』……そんな事を繰り返していれば、いつの間にか彼は私を『より優れた自分が世話をしてやらなければ何もできない幼馴染』だと思うようになったのです」
「君も、随分な性格をしていないか?」
「人との付き合い方にあまり興味がないもので。余計な反発を避けるのは合理的でしょう」
「……ふぅん?」
ディルク様はペンを止める。
黄緑の瞳が私を映した。
「なら……この先、誰が新たな婚約者になろうとも構わないと?」
「まあ、最低限、我が家の立場を保てる程度の地位は欲しいですが。そうですね」
「なるほどなぁ」
ところで、課題の続きは?
そう問おうとして開かれたページを確認すると、既に全て解き終わっていたようだった。
やはり彼は呑み込みが早い、と私は感心するのだった。
私達は図書館を離れ、馬車へと向かう。
夕日に照らされた外廊下を歩く中、ふとディルク様が問う。
「図書館の時間も、君にとっては興味がないものか?」
「いいえ?」
質問の意図がよくわからず首を傾げつつも否定する。
自然と出た、素直な返答だった。
「誰かに教えること自体は殆ど初めてなので新鮮ですし、勉強は進めて欲しいですが、ディルク様との雑談も新鮮で楽しいので」
ディルク様の返事がない。
不思議に思って彼の顔を見れば、ディルク様は反対方向へ顔を背ける。
「…………そう、か」
彼の顔は夕日で真っ赤に染まっていた。
「クラウディア」
私が馬車へ乗るのを見送りながら、ディルク様が名前を呼ぶ。
「はい」
「君は、もう少し他者の中の自分の価値を上げる事を考えた方が良い」
「他者の中の……?」
「君は構わないかもしれないが、『幼馴染に手を焼かせている無能な令嬢』という評価はギーツェン侯爵家の名に泥を塗る行為ともなりかねないという話だ」
「……なるほど」
一理ある話ではあると思った。
今は特段、弊害を感じないけれど、パトリックの中の評価が独り歩きした時、そしてそれを信じる者が多くなればなるほど……家族や家名が丸ごと笑い者になる可能性も否定はしきれない。
そもそも、パトリックとの縁も切れる事だし、ならばこれを機に生き方を考えるのもいいかもしれない。
私はそう考えた。
「ご助言ありがとうございます」
「いいや。好いている奴が不当に見下されているのは、俺が気に入らないだけだ」
「ありがとうございます……?」
どうやら彼の中で、私はそれなりに気に入ってもらえている部類のようだ。
それに関して礼を言えば、「これは伝わってないなぁ」とディルク様が困ったように呟くのだった。
***
数日後、私とパトリックの婚約は正式に解消された。
これでパトリックとの縁も完全に切れた、と思っていたのだが。
「クラウディア。君は今の専攻科目が合っていない。そんな高度なものではなく、もっと優しい難度の科目で結果を出すべきだ」
……何故か、パトリックは私を『世話』し続けていた。
「君はコミュニケーション力が劣っているのだから、ディスカッションが必要な授業は取らない方が良い」
「君は社会の事が何も分かっていないのだから、将来嫁ぎ先で迷惑を掛けないように経済をもっと学ぶべきだ」
「普段、帰宅は何時くらいなんだ? そんな時間からでは勉強もろくに出来ないじゃないか!」
「君は君が思っている以上に不器用なんだ。現時点で不要な科目の選択授業ばかり取っているのは、傲慢と言わざるを得ないよ」
――助言に見せかけた否定。
世話と銘打った、立場の確立。
そんな思惑が透けて見えた。
彼はどうやら、他人という関係になっても尚、私の事を見下し、自分の意見を押し付けるという制御で安心したいようであった。
――君は、もう少し他者の中の自分の価値を上げる事を考えた方が良い。
パトリックの言葉を聞き流していると、ふと先日のディルク様の言葉を思い出した。
家の顔に泥を塗るのは本望ではない。
そして何より、私の頭に過ったのは……
――好いている奴が不当に見下されているのは、俺が気に入らないだけだ。
私を『好いて』くれている人の気持ちに応えてみたいと思った。
……存外、私はディルク様のあの時の言葉が嬉しかったようだ。
「パトリック。私……」
そう、私が口を開いた時。
「クラウディア」
私の名前を呼ぶ声があった。
パトリックではない。
教室の扉から聞こえた。
私はそちらを見る。
するとディルク様が私へと向かって歩いてきている姿が見えた。
周囲から黄色い声が飛び交っている。
正直、少し煩い。
「ディルク様」
パトリックはあまり面識がない公爵子息が近づいてきたことで身を固くし、先程までの饒舌さを失っていた。
なので私は彼の事をおいて、ディルク様と向き直る。
「いかがしましたか?」
「いや。君に伝えておこうと思ってさ」
「伝える? 一体何を?」
「婚約の申し出の報せを送っておいた」
一瞬、その場を静寂が満たす。
先程までの黄色い声が嘘のようだった。
「……どこへ?」
重苦しい空気の中、私が問う。
ディルク様は笑顔で答えた。
「ギーツェン侯爵家。君の家にさ」
刹那。
黄色い声の嵐が再来する。
一層強烈な音を奏でて。
「勿論、嫌ならば断わってくれて構わないが」
声が掻き消されそうな空間で平然と話を続けるディルク様の気を疑いながら私はとりあえず首を横に振っておく。
恐らく、私の声では何を話しても周囲の騒音に掻き消されるだろう。
「ああ、ならよかった。じゃ、用件はそれだけだから。また後でな」
私の反応や表情を見て「嫌ではない」という事を察したのだろう。
ディルク様は頷くと颯爽とその場を去っていく。
その時私に見せた笑顔があまりに意地の悪そうなものだった為、どこまでも元の顔の端正さとは相反する性格だ、と私は思わず笑ってしまうのだった。
その直後、授業を知らせる鐘が鳴った為、黄色い嵐は止み、パトリックも一旦はその場を離れていった。
しかし、その放課後。
「や、やめておけ、クラウディア! 君が公爵家と釣り合う訳がない!」
図書館へ向かう最中、私はパトリックに捕まっていた。
一応足早に図書館へ向かってはいるものの、パトリックも同じ様に並走している状態だ。
非常に煩わしい。
「家族も、初めは喜んでくれるかもしれない! だがその後、婚約や結婚後に大きな恥を掻いてご両親にも、バウムガルテン公爵家にも迷惑を掛けるだけだ!」
彼の言葉は私の心に届かなかった。
だって、私はこの言葉の裏に隠された真意に気付いている。
「ずっと見下して来た女が、自分より上の立場に立つのが許せないのでしょう?」
「…………え?」
私の言葉にパトリックが言葉を詰まらせる。
私は足を止め、静かに彼を見据える。
「貴方は、私を下だと決めつけて自分の思惑通りに動かすことで人の上に立てる存在だと思いたかっただけ。優越感に浸りたかっただけよ……私の事など、何も知らない癖に」
「な、く、クラウディア……ッ」
パトリックの肩が戦慄く。
けれど私はやめなかった。
「私、貴方よりもディルク様が好きだわ」
それから、ディルク様の真似をしてみる。
「――聞くわけがないでしょう? 貴方の言うことなんて」
意地の悪そうな嘲笑。
それをパトリックに浴びせた。
「な……ッ、なんだ、その、言い方……ッ、お、俺は、君の為を――」
パトリックは顔を歪ませ、私へ手を伸ばした。
衝動的に暴力を振るおうとしたのか、それとも縋ろうとでもしたのか。それはわからなかった。
何故なら――それを掴む手があったから。
「おい」
私はパトリックから引き離されるようにして抱き寄せられる。
ディルク様だった。
彼はパトリックの手を掴み上げながら、睨み付ける。
「君がフったんだろう? いつまでも惨めったらしく執着するな。みっともない」
「な……で、ディルク様……ッ!」
「これは俺と彼女の問題だ。部外者が口を挟むな。……これ以上、俺が気分を損ねる前に立ち去る事を勧めるが?」
「~~~ッ!!」
端正な顔立ちの凄みというのは傍から見ていても本当に恐ろしいもので。
パトリックは顔色を赤から青に変えると、そのまま一目散に逃げて行った。
「ったく。とんだ厄介男と婚約していたものだな、君は」
「……そうですね。ありがとうございました」
「いいや?」
ディルク様は私から手を離すと一歩離れる。
その場に残ったのは私達二人だけ。
「ディルク様」
「ん?」
昼間の件について聞くのであれば今だろうと思い、私は彼へ話し掛けた。
「婚約の話は、事実ですか?」
「勿論。あんな大勢の前で嘘を吐くわけがないだろう」
「それもそうですね。……しかし、何故?」
私が問えば、ディルク様は呆れたように溜息を吐いた。
「俺は言ったはずだぞ。君を好いている、と」
過るのは、帰宅を見送られた際のあの言葉。
私は目を丸くする。
「あれは……友人として、ではなく……?」
「やっぱり伝わっていなかったか。全く……君らしいと言えば、君らしくはあるが」
ディルク様はそう言うと、私の髪を手で掬い上げる。
「俺は君を、異性として見ているが? その上で、君が気に入っていると言っている。……君は」
私が言葉を失っていると、ディルク様の顔が近づく。
彼は私の顎を指で優しく持ち上げると、その整った顔で私の顔を覗き込んだ。
「俺からこういう事をされるのは、嫌か?」
その姿勢のまま、私は考える。
こういう事、が指すであろうこの先の動作は流石に理解がついている。
その上で考えはしたのだけれど……
「……いやでは……ない、と思います」
そう答えると、彼は黄緑色の瞳を優しく細めた。
その時の微笑みが、見たことがない程に輝いていて――私は思わず息を呑む。
ディルク様は私の腕を引くと、自分の間に閉じ込めるように壁に手をつき――そのまま、私の唇を奪った。
触れるだけの優しい口づけを落としてから、ディルク様は私の唇を指で優しくなぞる。
「……ありがとう」
低く落ち着いた声が耳を擽った。
私は持っていた教科書達が落ちないようにこっそりと持ち直す。
「勉強面で俺が教えられる事はそうないと思うが……色恋と、俺が君のどこに惹かれたのかならば、きっと君よりも教えられる事が多いだろう。少なくとも……君が俺を意識した回数の何倍も、俺は君を意識していただろうからな」
「……別に、必要ありませんが」
「つれないなぁ」
私はディルク様と壁の隙間からすり抜けると、そのまま図書室へと向かって歩き出す。
「まぁ、それでもいいさ。……今はな」
そんな意味深長な呟きを背中で聞きながら、私の歩みは徐々に速くなっていく。
(……知らない)
激しく鳴り続ける鼓動。
不自然に溜まる顔の熱。
「~~~~ッ」
こんな動揺は知らない。
でも、不思議と知りたいとも思ってしまう。
(こ、こんなのがずっと続いたら……きっと、正気ではいられないわ……っ)
そんな感情を抱えながら、私は動揺によって崩れてしまったポーカーフェイスを必死に取り繕うとするのだった。
尚翌日、元婚約者の私に執着していたパトリックはナディヤ様の怒りを買ってこっぴどくフラれた。
この一連の話は社交界で暫く噂になり、彼は赤っ恥を掻く事になったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




