或る事件の終焉
一向に改善の兆しが見られない財政難、高騰する物価、外交関係の悪化。パンダの中国帰還や猫動画の不足etc...
それらが与える国民へのストレスは静かに、だが着実に蓄積し続け、昨年の日本における刑法犯認知件数は遂に二百万件を超えた。要するに、度し難い馬鹿と阿呆で我が国の国土は埋め尽くされかけていた。その結果に反し、少子化の影響で警察機関の人員は減るばかりである。
痺れを切らした政府は今年7月、逮捕・捜査権の付与拡大に関する法案を可決した。
2045年。荒廃の一途を辿る我が国の命運は、秀でた推理力と屈強な精神力を持つ、選ばれし高校生達に託されていた。
◇
「皆さん、お集り頂きありがとうございます」
陽光の差す昼間。畳張りの広々とした居間の中央に、制服を纏う彼女は居た。
折りたたまれた膝の上に両手をハの字に置き、すらりと背筋を伸ばし、目を瞑っている。
艶やかな黒髪はボブカットに切りそろえられ、汗が滲む気温とは対照的に、その肌は雪の様に白い。日本人離れした鼻の高さも相まって、誰もがすれ違いざまに一度は振り返るほどの美貌である。
「何ですか?急に呼び出して。まだ仕事中なんですけど……」
声を上げたのは一人の青年。卓袱台を隔てて彼女の対面に立ち、まさしく宅配業者然とした制服の襟元を仰ぎながら怪訝な顔をする。
「まさか、もう犯人が分かったんですか?」
続いて青年の左横。縁側の方に立つ初老の女性が口を開く。ベルベット調の赤いワンピースを纏い、首や耳には眩しい程の宝石を埋め込んだアクセサリーが映える。見るからに裕福そうな婦人だった。
「………てことは、まさか私達が容疑者……ってこと?冗談じゃないわよ!」
最後に、青年の右側に立つ若年の女性。やつれた頬と痩身が特徴的で、目の下には露骨にクマを湛えている。幸薄そうな印象とは裏腹に、その声には確かな怒気を含んでいた。
三者三葉の顔ぶれ。しかし皆一様に訝し気な視線を眼前の少女に向けていた。
十数秒の間隙を以て、少女の眼と口が開く。
「その通りです。犯人は、この中に居ます」
刹那、空間に張り詰めた緊張感が奔る。
固唾を呑む音は蝉達の喘ぎにも劣らず、暑さに反して冷ややかな汗が彼らの頬を伝った。
「それは……アナタです」
糸のように細い彼女の指が、真実を指し示す。
辿ると、その先には最初に口を開いたあの青年の姿があった。
沈黙が続き、状況を理解した彼は漸く目を見開く。
「ふっ……ふざけんな!何で俺なんだよ!証拠はあるのか証拠は!」
額に青筋を立て、卓袱台に両手を叩きつけながら怒りを露わにするが、少女の顔色は微塵も変わらない。ただ淡々と言葉を続けた。
「落ち着いてください、篠森さん。証拠ならあります」
「なら話してみろよ!俺が殺した証拠を!」
ただならぬ雰囲気に、後ろ二人の女性も彼らの様子から目が離せない。
追い詰められた男の頬から垂れた汗は、事件の終焉へのカウントダウンを示すかのように、一定のリズムで卓袱台の上に落ちていく。
古風な屋敷で起こった悲惨な殺人事件。その解決に至る決定的な証拠。培った叡智を以て導き出した解を、彼女は静かに口にした。
「ぐもにん正座占いです」
「…………は?」
まさしく、青天の霹靂である。
突如放たれた奇怪な単語は青年の思考を斑に乱し、口からは呆けた一文字のみが飛び出す。
それは後方の二人も同様だった。
「ぐもにん……?何それ……?」
「ほら、あれですよ。毎朝やってる情報番組の……」
「……あぁ~~~!あれね!なんかスタッフが寝ぼけて作ったみたいな顔のキャラクター!」
今しがた容疑者として立たされていた婦人二人は、さながら近所の井戸端会議が如く軽妙な口調で言葉を交わす。
「今から一週間前の犯行当日、あの日のぐもにん占いの結果を私は鮮明に覚えています。篠森さん、あなたの星座はおとめ座。当時のおとめ座は十位でした。内容は、『知人の言動にいちいち苛立ってしまうカモ!?穏やかな心で接するぐもにん!』だったはずです」
「語尾も”ぐもにん”なんだ……」
「ますますテキトーなキャラですね……」
婦人二人のガヤにも、少女は意を介さない。
「ぐもにん星座占いでは、何故かやたらとおとめ座が冷遇されます。……と言うのも、私もその被害者なんです」
横に置かれた通学鞄の中から、彼女はペットボトルサイズのこけしを取り出した。本日のおとめ座のラッキーアイテム、”いつどこで買ったか分からない民芸品”に倣い自宅から持ち出した私物である。
「今日の運勢も十位。……篠森さん、アナタは度重なるおとめ座への冷遇に辟易し、憤りを覚えていた。そして事件当日、被害者である矢崎さんとこう……なんやかんや口論になり、勢い余って……えっと、なんだっけ……あ、そうだ紐!……何か太い紐的な何かで絞めこりょっ……締め殺したんです!!!」
一つの確証も無いフワッフワな理屈を、転がるように噛みながら熱弁する少女。
勢いで押し通そうと慣れない大声を張ったせいで唾液が機関に流れ込み、直後、彼女は機関銃が如く咳き込んだ。
「はっ……はぁ……?う、嘘だろ……?それが………それが証拠だっていうのか……!?」
「げっほ!!ごほっ!うぇっ……。そ、そうです!!これが動かぬ証拠です!」
「動くも何も存在してないのと一緒じゃねぇか!星座占い!?そんなんで人を絞め殺すワケねえだろ!」
「だって十位ですよ!?そんなの腸煮えくりかえって日常生活送るの困難になるでしょうが!」
「だったらお前が一番被告に近ぇよ!そんな能天気なサイコパスがいてたまるか!」
激しく言い争う二人。そんな中、彼らの間に割り込んできたのは、幸の薄そうな婦人だった。
「あ、あの……」
「なんですか!?今まさに事件のクライマックスなんですけど!?」
「違ぇよ!振り出しどころか異次元に片足突っ込んでんだよ!」
「あの………。それを言うなら私、てんびん座なんですけど」
その瞬間、少女の動きが止まる。
見開いた目を婦人に向け、顎に手で触れながら記憶を掘り返した。
「てんびん座……?た、確かあの日、てんびん座の運勢は………最下位………」
衝撃のどんでん返しに汗が止まらない少女。窮地に至った彼女の思考は最大速度で回転し、土壇場で解決の糸口を掴んだ。
「じゃあ、あなたです」
「はぁ!?”じゃあ”って何!?さっきからふざけてるの!?」
「ていうか、私もてんびん座なんだけど」
今度は裕福そうな婦人が手を挙げる。
「じゃあ、共犯です」
「「「もうええわ!!!」」」
容疑者として呼び出され、互いに怪訝と不審の視線をぶつけ合った三人はこの瞬間、寸分の狂いもない美しいハーモニーを奏でた。
膠着する空間。いつしか蝉も鳴くのを止め、障子の隙間から涼風が差し込む。
それと同時に、沈黙を保っていた一人の少年が、初めて口を開いた。
「………すんませんでしたぁ!!」
少年は始めから少女の後ろに屹立し、この場の誰よりも冷汗をかきながら行く末を見守っていたのだ。しかし度重なる幼稚な根拠とヤケクソな糾弾、コロコロと変わる真犯人という杜撰極まりない推理に痺れを切らし、渾身の謝罪を以て少女の前に飛び出した。
「えっ!?百塚君!?ま、まだ推理の途中……」
「まだこれを推理と呼ぶんですかウテナ先輩!?これ以上いったらこっちが名誉棄損で豚箱行きですって!」
彼は正座する彼女の身体を軽々しく持ち上げ、運搬物のように小脇に抱える。
「ウチのサイコ馬鹿探偵がすみませんでした!どうか通報だけは勘弁してください!では!失礼します!!!」
ヘッドバンギングが如く何度も頭を下げながら、少年は縁側から屋敷を飛び出した。
「あっ!おい!待てコラ!」
「ちょっと!?わ、私達はどうすればいいの!?」
「皆さんは無罪です!気を付けてお帰り下さい!」
瞬く間に敷地から姿を消した二人。残された元容疑者達は顔を見合わせながら、思い出したかのように額の汗を拭った。
「……と、とりあえず、容疑が晴れて良かった……ですね?」
「そ、そうよ!一時は私達が共犯扱いされて度肝抜いたけど……」
謎の激励を送る婦人達。対して青年は、既に誰一人いなくなった庭園を見つめながら呟いた。
「………本当にアイツ、あの麗明学園の探偵なのか……?」