プロローグ
黒い悪魔、と呼ばれた私の最後はあっけないものだった。
十六の頃からあらゆる犯罪に手を染めた。
泥棒ではある大きな美術館から有名な絵画を盗み出し、詐偽では大国の大統領から数億単位の国家資産を騙しとった。
世界遺産を丸三日かけて焼け野原にし、輸送中の凶悪犯罪者を襲撃して一生犯罪なんてバカなことを起こす気が起きないくらいに地獄を見せたりもした。
殺人以外のありとあらゆる犯罪で国を跨いでの国際指名手配犯、黒い悪魔としてインターポールに追われる日々。
そんな私の最後は、道に飛び出した一人の子供を庇っての事故死だった。
何をバカなことをと思われるかもしれないけど、身体が勝手に動いてしまったのだから仕方ない。
本名、国籍すらインターポールに知られていない私は、きっと身元不明の旅行者として骨の受取人もいないなか無縁仏として荼毘にふされるのだろう。
それはあまりにも、世界に牙を剥いてきた私にふさわしい、惨めな最後だった。
「っ……」
トラックにぶつかった衝撃、幸いなことに即死だったようで痛みはなかった。
衝撃から耐えるように瞑った目を開けばそこは真っ暗な世界だった。
「えーっと、柊浅葱、聞いてるっすか柊浅葱ー」
「あなたは……それにここは……」
ふと、長い間呼ばれることもなかったフルネームを呼ばれて前を見ればそこには一人の男が立っていた。
男はフードを被っていて顔は見えない。
だけどこの暗闇のなか猛禽類のように光る紅と蒼のオッドアイだけはよく見えた。
「ここは見ての通り地獄っすねー」
軽薄そうな物言いでそう言う男の瞳はにたっといびつに弧を描く。
「……そっか、私死んだんだった、で、まぁ当たり前に地獄行きだよね」
天国とか地獄とか、そういう宗教的な価値観を私は生前持ち合わせていなかった。
だけど行くなら地獄だろうとは思っていたからそこまでの驚きはない。
「あ、勘違いしないで欲しいっす、柊浅葱、アナタはまだ裁かれていない、というよりは裁かれる前にワタシがここに引っ張って来ました」
だがここを地獄だと言うその男は慌てた様子でそう言って、胡散臭く両手を振る。
「……引っ張って来た」
「そうです、アナタの人生はそーですね、簡単に言えば悪の華、あれだけのことをしておいてその素性一切知られることもなく、最後は子供を庇って死ぬなんてあまりにも、滑稽で、彼らの指導者として適任と言わざるおえない」
考えるように復唱する私に男はさも楽しいというようにそう弁舌してみせる。
「彼らの、指導者……?」
馬鹿にしているのか、褒めているのかも分からない男の道化のような語り部に少しだけ不快感を覚えがらも今一番気になるのは別の部分だった。
「そーですね、あ、自己紹介がまだでした、ワタシはメフィストフェレス、現魔王の使いです、なんとでもお呼びください」
男は言いながら仰々しく頭を下げる。
「メフィスト、フェレス……悪魔の?」
メフィストフェレス、生前そういうものに興味のなかった私でも聞いたことがあった。
確か、ゲーテの戯曲にも出てきた筈だ。
「そうですそうです、そのメフィストフェレスっす、ということで、柊浅葱、アナタにこれからして欲しいことはズバリ! 子育てっす」
メフィストは自身が悪魔であることを肯定し、それから蒼いほうの瞳を閉じて大きく指をパチンと鳴らす。
そうすればメフィストの周りに七つの色の異なる炎が燃え上がる。
「子育て……?」
生前私には子供はいなかったし関わる機会もそこまでなかった。
そんな私に一体何を育てさせたいのだ。
「代々次期七大魔王を育てるのは人間の役目、しかし先代の育ては悲しきかな不運な事故で壊れまして、困っていたそんな折丁度あなたが死にました、だから次のお役目としてこうして白羽の矢が立った次第っす、人間の分際でありながら黒い悪魔なんて、あまりにもぴったりの役目じゃないっすかー」
「……それは、断れるの?」
さっきから、このメフィストを名乗る悪魔の物言いは気に入らない。
敬意を示したように敬語で話すのにその声色からはあくまで人を小馬鹿にする意図しか汲み取れない。
だから私は早々にこの申し出を断ることしか考えなかった。
それに大悪人という職業柄沢山の修羅場をくぐってきた。
その時の感がこれを受けてもろくなことにならないと告げている。
「勿論勿論、でもこんな名誉なかなか断る馬鹿はいないっすけどね、なんせもう一度生きれる上に悪魔との契約は等価交換ですからね」
「……なるほど、それを完遂すれば私にも何かしらの利があるってことね」
だけどメフィストはそれも想定内といった様子で今度は利点をちらつかせてくる。
成る程、人が悪魔に易々と誑かされてしまう理由がよく分かった。
特に心に余裕のないものだったら甘言に惑わされてしまうのも無理はない。
「話の早い人は助かります、たらたら説明するのも面倒っすから」
私がメフィストの意図を汲み取ればメフィストは嬉しそうに手を叩く。
そうすればメフィストの横にスポットライトでも当てられたようにある一つの物が照らし出される。
それは、私の形を模したように作られた一つの土人形だった。
「アナタが彼らを無事に十六まで育てた時、ワタシが作ったアナタの新しい身体は土に還ります、そして、それと交換にアナタの願いを一つ叶えましょう、生き返りたい、不死の身体が欲しい、天国に行きたいなんでもどうぞ」
メフィストは言いながら一枚のくすんだ羊皮紙と羽ペンをこちらへ差し出してくる。
「さて、それらを全て踏まえた上でご決断ください、もし契約するのであれば、この羊皮紙に名前を書いてくださいね」
メフィストの弧を描くようの歪められた瞳は、私がこの提案、いや、相手は悪魔だから契約か。
それに対する答えを既に出していることを知っているとでも言っているようで、不快だった。
それでも私は
「……」
悩むことなく無言で羽ペンを手にしていた。