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願い

作者: 通りすがり
掲載日:2025/07/01

陽の傾きかけたグラウンドに、広夢が振るバットが乾いた音を響かせた。土埃を上げながら白球が弧を描き、フェンスを越えていく。それを見つめる広夢の瞳は、ダイヤモンドよりも輝いていた。


シングルマザーの貴子にとって、小学四年生の一人息子の広夢は、かけがえのない宝物だった。しかし仕事に追われる日々のなかで、広夢と向き合う時間は決して十分とは言えなかった。

広夢が少年野球チームに入ってからというもの、貴子は息子の成長を遠くから見守るばかり。そんなある日、貴子は偶然に会った広夢が所属する野球チームの監督から声をかけられた。

「広夢くん、最近めきめきと上達していますよ」

驚いた貴子が理由を尋ねると、広夢は誰かと特訓をしているらしいと教えられた。しかし、監督が誰に教えてもらっているのかを訊いても、広夢は決して誰とは言わなかった。ただ、「家族だから大丈夫」とだけ答えたという。

その言葉に、貴子は胸騒ぎを覚えた。脳裏に浮かんだのは、貴子が妊娠したことを知った途端に逃げるように姿を消した広夢の実の父親のことだった。

「まさか、あの男が広夢に会いに来ているの」

いても立ってもいられなくなった貴子は翌日、広夢の後をつけることにした。広夢が向かったのは、町外れの寂れた公園だった。人気のない公園で、そこで広夢は誰かと楽しそうに話している。

声のする方に近づいた貴子は、信じられない光景を目にした。そこにいたのは、すでに他界している貴子の父、つまり広夢の祖父だったのだ。



貴子の父は若い頃に野球選手を目指していたこともあり、結婚し息子ができたら一緒に野球をするという願いを持っていた。

だがなかなか子宝に恵まれずに、やっとのことで誕生したのは女の貴子だった。貴子が小学生の頃に近所を父と歩いていたときに、キャッチボールをする父子を見て浮かべた父の寂しそうな顔を貴子は忘れられなかった。だから貴子が未婚で妊娠し広夢が生まれたときでさえも、父は目を細めて喜んだ。

「この子に野球を教えてやるのが、私の最後の役目だ」

そう言って父は張り切っていた。

しかしその願いは結局は叶わなかった。広夢が生まれて間もなく父は病に倒れ、数年間の闘病生活の末に息を引き取った。

「広夢と野球がしたかった」

それが、父の最期の言葉だった。

その父が今、目の前で広夢に野球を教えている。時が止まったかのような光景に、貴子はただ涙を流すことしかできなかった。

貴子は広夢に何も聞かなかった。父と広夢の二人だけの特別な時間を壊したくはなかった。



それから数週間したある日、貴子は夜中にふと目を覚ますと、枕元には父が座って貴子を見ていた。

「お父さん……」

「私はもう行かなければならない。広夢に野球を教えるのも残念だけどもう終わりだ。広夢に伝えてくれ。じいちゃんは広夢と野球ができて、本当に楽しかったと」

そう言い残すと、父の姿は静かに消えていった。

翌朝になると貴子は、広夢に野球を教えてくれていたお爺さんが、実は貴子の亡くなった父、つまり広夢にとっての祖父であること、そしてもう広夢に野球を教えには来れないことを伝えた。広夢は少し寂しそうな顔をしたが、すぐに力強く言った。

「僕、もっと頑張って練習してレギュラーになる。そして、じいちゃんを喜ばせるんだ」

その言葉を聞いた貴子は、広夢の成長を感じ父への感謝の言葉を呟いた。

「お父さん、ありがとう」

もう姿は見えないが、いつまでも広夢の近くには父がいるような、貴子にはそんな気がしてならなかった。

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