戦の前の下準備3
シリル・バールはおそらくまた領主連合のようなものをこしらえて、キンティー村を領有している領主の側に立って戦おうと考えているだろう。
それ自体は世の習いだ。太守が下した裁許状の紙切れ一枚を信奉して、粛々と退去する領主などいない。自分の土地を守るためなら全力で戦ってくれればいい。
ただし、こっちもあっさり諦めるようなことはしない。敵は絶対に蹂躙する。
それでもいいなら、かかってきてくれ。
そうシリル・バールに確認しにきた。
確認に何の意味があるかと言えば、戦いの前に折れてくれる可能性が少しはあるかもしれないと思ったからだ。
連絡に向かった家令はなかなか戻ってこない。
ということは、やはり何かあったんだろうなと思う。
暗殺者がいたとしたら、そいつらを回収する必要が出てくる。少なくとも、暗殺者に「バレかけているぞ。全力でやれ」と激励でもするだろう。
「ちょっと、庭の緊張感が小さくなりましたね」
「お前が先に言ったから後出しみたいだけど、俺も気づいてた。さっきよりはマシになった」
「ラコ様もレオン様も達人の域すぎてよくわかりません」
ウォーマーがあきれて言った。ラコはウォーマーにも何度か手合わせをしたことがある。かなり手加減をしていたが、ウォーマーは「人間じゃない……」と偶然にも正解を導いていた。
やがて現れたのはマススだけではなかった。マススよりはるかに高級な仕立ての服を着ている。かといって、大貴族のようなごてごてしたものではなく、軽やかなで動きやすいものだった。
「シリル・バールです。疑念に応えるため、自分で参上いたしました」
「あなたが案内することで安全が保障されることにはなりませんがね。私たちの命が狙われたと判断すればあなたを狙います」
ラコがまた憎まれ役をやってくれた。
「だから、疑念に応えることになるのです。何か潜んでいても、私が人質になっているなら動けないでしょう」
マススは嫌そうな顔をして言った。
門の中の庭はたしかに不自然に薄暗いうえに、何度か屈曲していた。村の領主に仕えるような最下級の領主は、わざと門の先の道を曲げて、農民の家と大差ない屋敷の防御力をわずかでも高めようとするが、大規模な屋敷を持てる大商人が小手先の防御を気にするとは思えない。
「わたくしならあの木の上で弓を構えますわね」
「俺はあっちの茂みに隠れるかな。葉の質からして葉の音も立ちづらい」
ナディアと俺の会話にマススはげんなりした顔になった(と思う。シリル・バールとマススは前を行くから顔は見えない)。
「あなた方はどういう環境で育ってきたのですかな。ありふれた領主の立場ではそんな感覚までは養えません」
「先祖代々、郡の南の村を守ってきたわけではないことはあなたもご存じでしょう」
「冒険者をやっていたという噂なら聞いたことはありますが、優れた剣士に着いて回る、よくある変な出生譚のアレンジバージョンだと思っていました。しかも、あなただけでなくラコさんも冒険者だという。これこそ作り話めいていますよ」
「どちらも本当です」
俺は短く答えた。
「冒険者をやっていた期間はあります。由緒だけではどうにもならないものですから」
アルクリア竜騎士家出身であることは伏せた。この様子だと、そっちのほうはこいつも気づいてないらしい。
庭を歩いている間に言ってしまうことにした。
「今日の目的をお伝えします。キンティー村に攻め込む時、邪魔をしないでいただきたい」
「それはすぐには約束できません。ほかの領主の方々がぜひ出兵してくれと頼ってくれば自分だけ出ないわけにもいきませんしな。」
「少なくともノイク郡の領主であなたより我々を警戒している人はいません。あなたが動かなければ問題はないんです」
シリル・バールが足を止めた。
「まるでこれから先も侵略を続けるというような意味合いに聞こえますな」
「表現が悪いですね。本当に手あたり次第侵略していれば、自分はとっくに滅ぼされていましたよ。キンティー村も太守のお墨付きを得られるまで兵を出そうと試みたことすらありません」
「わかっています。だからこそ、危険を訴える必要があるわけです。このへんの領主の方々はのんびりしておられますからな」
やはりこちらの要求を飲んでくれというだけでは動いてくれないか。
『レオン、譲歩の案を話してください』
了解した。
「シリル・バールさん、あなたの商人としての権益はすべて保護します。そこを奪う気は我々には最初からありません。誓いましょう」
シリル・バールはこちらを向き直ってから、こう言った。
「どれだけ誓われたところで、人間というものは平然とウソをつくものでしてな。キンティー村まであなたたちの勢力範囲が伸びたら、もう止められる者はいません。その後に謝罪されても意味がないのです」
「よその海辺の領主が滅んだら協力次第で土地を提供します。我々の御用商人としても活動してもいらいたい。損はさせません」
「まるで、太守の地位にでも上るつもりみたいな言い方ですな」
「そうですよ」
俺は即座に言った。
シリル・バールの表情が大きくゆがんだ。それぐらい衝撃的だったらしい。
「バカな……。それではコルマール州の太守をつとめるフィルマン・クルトゥワ伯爵に弓を引くことになる……。その伯爵から裁許状も得たのでしょう……」
あっ! そうか、そりゃそういう意味になるよな!
『至急、誤解を解いてください。コルマール州統一の意図は現状ではありません!』
メッセージウィンドウもあわて気味だ。
「コルマール州ではありません。その南のヴァーン州の太守を目指しています」
「ヴァーン州?」
自問自答するようにシリル・バールは言い、それから気づいたような顔になった。
「そ、そうか……。あそこの太守の実力はたいしたことはないし、州の領主たちが完全に従っているわけでもない……。北から一気に攻め込めば……」
少し、無言で彼は考え込んでいるようだった。
「たしかに実現できるかもしれん……。そうか……名分がなければ収拾をつけるのは難しいが、倒すだけなら……」
「どうです? 我々に託していただけませんか? あなたの立場なら俺と伯爵の両方に仕えたって不義理ということにはならないはずですし」
これは押し切れるんじゃないか? 少なくとも話し合う余地ぐらいはありそうだ。
「一つ、確認させていただきたい」




