インターミッション ナディア・パストゥールの交渉
レオンとラコが動けなくなり、ナディア・パストゥールはいきなり100人を超える兵に命令を下す立場になってしまった。
その中にはワキン家に仕えていた者も含まれるから全員が従ってくれるかは別としても、人生最大の権限を与えられたのは間違いない。
まずは攻め込まれた場合に備えて、兵士をサーファ村に集めた。
レオンたちのこもるコルケ屋敷を無視して、その奥のサーファ村に数をたのみに敵が攻めてくる可能性は十分にあったからだ。最低限の迎撃の姿勢は見せないといけない。
ワキン家の所領だった平坦地のほうは……この際二の次だ。そもそも、ワキン家のためという敵の出兵理由なら、ここを略奪することはおかしい。そんなこと気にせず、略奪する奴はするだろうが。
厄介なのはワキン家の血を引く者が祭り上げられて反乱の首謀者のようにされることだったが、そこまでのことにはならなかった。情勢が読めないのでうかつに突出したくなかったというのもあるだろう。
初日、まったく敵が攻めてこないことで、ナディアはおおかたの意図を理解した。自分たちの強大化を敵は恐れている。ワキン家再興という建前のほうは、向こうがいくらでも宣伝しているのでよく伝わっている。
ならば、どうすればいい?
兵の数で負けている状態で敵に立ち向かうわけにもいかない。かといって、サーファ村でずっと立ち尽くしているのもあまりにも愚かだ。
サーファ村の領主屋敷で考え抜いた結果、一つの結論に達した。
敵がワキン家をカードとして使おうとしているなら、自分が先に使ってやろう。
成功するかはわからないが立ち尽くすよりはマシだ。ナディアはワキン家の中で最も地位の高いフィリ・ワキンのもとを訪れた。
そこで、こう願い出た。
「あなたがわたくしの主君と婚約するとおっしゃっていただければ、この戦争は終わります。不本意だとは思いますが、この策に乗っていただけませんこと?」
最初、フィリ・ワキンは気乗り薄な顔をしていた。
「それは身勝手すぎるでしょう。あなたたちはワキン家がお家騒動で弱体化してくれればいいと願っていましたよね? 叔父の茶会にラコ・エレヴァントゥスが何度も参加していたのはしっています。あれは叔父の野心に火をつけるためでしょう?」
やはり聡明なこの女子はすべて知っているか。
ワキン家が当主とゼナの間でいがみ合っていたのは事実だが、ラコは確実に背中を押していた。
「それは世の習いです。まさか隣の領主の幸せを心から願う人間がいるとでもお思いですの?」
ウソをついても無意味だ。
「ただ、わたくしたちはワキン本家を攻撃したことは一度たりともありませんわ。滅ぼしたのはゼナ・ワキンとその一党だけです。少なくとも筋は通しました。いくらでも底意地悪く恨んでいただいてかまいませんが、後世の史書にはあなたはただの愚人として扱われますわよ」
「愚人ですか。好きなように言ってください。交渉するつもりもないようなら、それでいいです」
「ええ、愚か者ですよ。これでワキン家が中途半端に復興したところで、どうせ誰かに攻め滅ぼされるだけですもの。民を守ることすらできない領主など何の存在価値もありませんわ」
フィリの眉がぴくりと動いた。
「民を守ることすらできない存在だと、そうおっしゃるのですか?」
「少なくとも、レオン・エレヴァントゥスの所領になったほうが平和は訪れるでしょう。あなたがレオン・エレヴァントゥスを認めれば、当分は北の領主たちがレオンを攻撃する理由がなくなりますから。むしろ、あなたやあなたの親戚がワキン家の当主になったとして、民を守る力量がありますか?」
レオンにまたワキン家の領地に攻めさせるとまでは言わなかった。それでは脅しでしかないし、自分たちの建前も壊れてしまう。
だが、領主の存在意義の問題に持ち込めたのは悪くはないはずだ。
民をまったく守れないのになぜ領主は偉そうな顔をしているのかということになる。事実がどうであれ、領主が偉いのは領民や領内の寺院などの施設、領内の田畑を保護できるからだ。
しばらく、フィリはナディアを睨んでいた。
ナディアも何も言わず挑むように睨んでやった。
自分は間違っていない。間違ってないなら引く必要はない。
そんな時間が一分ほど続いたあと、フィリがため息を吐いた。
「ワキン家に力量がないのはそのとおりです。領民のためにあなたの策に従いましょう」
「ありがとうございますわ」
ナディアは立ち上がってテーブルの向かい側のフィリの手を握った。
「ただ、あなたの主君が同意するかは知りませんよ。それと、私はあなたの主君を信頼してはいませんから」
「ええ、領民のためと思っていただければそれでいいです」
「それと、これは政治とは何も関係のない話ではあるのですが」
フィリはいぶかるような顔でナディアを見た。
「はい、政治とは関係ない案件となると何のことでしょうか?」
「あなた、レオン・エレヴァントゥスに好意を持っているでしょう? それで私に婚約の話を持ち掛けてつらくありませんでした?」
ナディアの顔がこわばった。
「どうしてそれを……?」
「ごめんなさい。カマをかけてしまいました。あなたの態度は交渉とは別の緊張を抱えているような気がして」
ナディア自身、考えないようにしていた。
レオンは竜騎士家の血筋を引くということ以外で、初めてナディアを必要だと言ってくれた人間だった。射手としての力をレオンは買ってくれた。
本音を言えば、いつから好意を抱いたのかもナディアもよくわからない。ただ、レオン・エレヴァントゥスという領主の将として、行動を共にしているうちにもっとレオンに寄り添っていたいと思うようになっていた。
近所の町人や村人同士ではないし、そんなことが叶うとも思っていないし、仕事に感情を入れることはしてこなかったが――
「わたくしの主君には言わないでください。政治とは無関係の話ですから」
「ええ、少なくともこれでウソをつくことはありません」
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フィリ・ワキンは領主連合のほうに使者を送り、ワキン家当主として両陣営に対して話をさせてくれと伝えた。
フィリ・ワキンの演説により、領主連合は去ることになる。




