元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(2)ランクAのやばいモンスター
ノーゼアの街からアーワの森までは歩いて半日かかる。
俺とイアナ嬢は森の近くまで商人の荷馬車に乗せてもらうことにした。
乗り合い馬車があればそれを利用したかったのだが丁度良いものがなかったのだ。急に決めたクエストだし、そういう準備が不十分なのもやむなしである。
相場より高めの謝礼を商人に支払い、荷馬車の中でイアナ嬢と並んで身を縮めた。椅子やテーブルなどの木工品が積まれており木の匂いに混じって防腐剤の臭いがする。決して良い臭いではないがずっといる訳ではないのだから我慢するとしよう。
「確かに二人っきりだけどこれじゃぶち壊しだわ」
隣でイアナ嬢が何やらぼやいているが無視だ無視。
俺は予定を確認した。
まずアーワの森の奥まで進んでザワワ湖を見つける。
そして、湖の周辺にあるというクースー草を探す。二十から三十株で群生しているというからそれほど探すのは難しくないだろう。クースー草の発する強い酒の匂いも探索を楽にしてくれるはずだ。
クースー草を発見したら速やかに採取。寄り道はせず森を抜けて可能な限り早くノーゼアの街に戻り領主の館に向かう。
仮に夜中に訪問しても構わないとオルトン辺境伯は言っていた。何しろ第三王女の命がかかっているのだ。薬草の調達は一秒でも早いにこしたことはない。
それなら採取してその足で王都に向かうべきかもしれない。だが、まあそういう時間的ロスは仕方ないのだろう。俺もノーゼアから離れたくないし。
「それにしてもアレよね」
いつの間にか機嫌を直したらしいイアナ嬢が言った。
「王都には王国でも指折りの魔導師がいるというのにお姫様一人治せないのよね」
「まあ難病らしいしな。ただ、今回のは特殊な薬草で特効薬を作れるんだからマシな方じゃないか?」
「そうなんだろうけど」
イアナ嬢は中空を見遣った。
「でも、回復魔法もポーションも効かなかったんでしょ? たぶん、教会の僧侶だっていたはずなのに、それどころか聖女の力も頼ったかもしれない。それでも」
「何にでも限界はある」
俺は彼女の言葉を遮った。
「できないことを嘆くだけでは何もできないままだ。それよりも今できることをした方がいい」
「そうだけど」
「まずは動く、そしてやり遂げる。そうやって動ける者から動いていけばそのうち結果もついてくるんじゃないか?」
「……」
「少なくとも今は俺たちがクースー草を採りに向かっている。俺たちだけでなくこのクエストを受けた奴ら全員がクースー草を目指して動いているんだ」
俺はイアナ嬢に笑いかけた。
「ま、そのうちの何割かは報酬のために動いてるだけなんだろうがな。それでも結果的にクースー草が手に入るんならOKだ」
「……」
「何にせよ、一刻も早くクースー草を採取して帰るぞ。のんびりピクニック気分で出たんじゃないんだからな」
「そ、そんなのわかってるわ」
イアナ嬢が口を尖らせた。
「あ、あたしだってこうして動いているでしょ? あ、あんたに言われなくたってちゃんとわかってるんだからねっ!」
「そうか、それならいい」
俺はイアナ嬢の頭をポンポンと叩いた。
いや、何だか彼女が妙に子供っぽく見えて可愛かったので。
イアナ嬢が急激に赤くなっていく。ワォ、耳まで真っ赤だ。
どした?
急性の熱病か何かか?
ドガッ!
「うぐっ!」
イアナ嬢がいきなり俺の脇腹を強打してきた。至近距離からの肘打ちだ。
くっ、不意打ちとは卑怯な。
「もうっ、あたしを子供扱いしないで! そんなふうに頭をポンポンされたら……されたらっ!」
イアナ嬢が何やら喚いている。
「……」
うん。
年頃のご令嬢は難しいな。
俺は痛む脇腹をさすりながらお嬢様から受け取った布袋の中を探った。
とりあえず痛み止め……じゃなくてレーズン入りのクッキーでも食べておくかな。
*
アーワの森の近くの街道で荷馬車から下ろしてもらい、商人に礼を言って俺たちは別れた。
昼を大分過ぎた頃に森の入り口に到着する。装備のチェックも兼ねて俺は小休止をすることにした。
街道に続く小道から少し離れて丁度良い大きさの岩に布を敷いてイアナ嬢を座らせる。果実水の入った水筒を渡してから布袋の中のウマイボーとレーズン入りクッキーを取り出した。もちろん全部ではなく適量ずつだ。
これといった探索や戦闘をしていなくても人間は疲労する。まして俺は探知を使って道中敵がいないか注意しているしイアナ嬢も冒険者としては経験も浅いので緊張しているはずだった。消耗した体力や精神力、魔力は回復できるうちに回復させておいた方がいい。
じんわりとウマイボーの効果を実感していると突然俺の探知に何かが引っかかった。
すげぇでかい反応だ。
「ジェイ?」
俺の様子に気づいたイアナ嬢が不安げな声を発した。
「悪い、俺が油断してた」
もう逃げられない位置まで接近を許していた。本当に俺の落ち度だ。
てか、何でこんなに近くに来るまで感知できなかった?
俺は上空を見上げた。
それに倣うようにイアナ嬢も天を仰ぐ。
真っ黒なローブを着た二十代半ばくらいの女が箒にまたがっていた。
風に吹かれた長い金髪が緩く躍っている。女が鬱陶しそうに手で払おうとするが無駄のようだ。しかめ面をした女ではあるがかなりの美人に見えた。
誰だこいつ?
疑問と同時にダーティワークを発動させた。だが、マジックパンチを撃てそうな隙がない。
やばいな。
「どうも、ごきげんよう」
女が片手を上げた。
「まあ警戒しているかもしれないけど、仕方ないわよねぇ。自己紹介してもいい?」
俺はちょっとでも女が隙を見せたらマジックパンチを放つつもりでいた。左手首に回す魔力はいつもより多めだ。しかし、全力にはしない。
撃っても当てられる気がしないからだ。命中のイメージが全く浮かばなかった。それでも牽制くらいにはなるかもしれない。
俺の中で「それ」が喚いている。
怒れ。
怒れ。
怒れ。
俺がこの身に宿している怒りの精霊による力は身体強化の魔法と統合されて「ダーティワーク」という能力になった。
しかし、それで怒りの精霊が消えた訳ではない。
「それ」は今もなお俺の中に存在し、囁き煽ってくるのだ。
その声に身を委ねて狂戦士と化してしまえば、怒りも魔力も魂さえも食われて俺は消えてしまうだろう。魂も失ったならもう転生することすらできない。待つのは完全なる死。
いや、死ですらない、消滅だ。
「あらあら」
女の声に俺の気が逸れる。
面白いものを見つけたと言わんばかりに女が笑った。
「こんなところでヒューリーと遭遇するとはねぇ。これは驚きだわ」
「俺を……いや、俺の中の精霊を知っているのか」
「さぁ? 私の中にその知識があるというだけかもしれないわよ。ああそうそう、自己紹介を忘れるところだった」
女は箒に股がるのを止めてまるでそこに見えない床があるかのように宙に立った。
「私はアルガーダ王国宮廷魔導師の一人にしてメラニア様付き魔導師。人呼んで疾風の魔女ワルツ」
ゆっくりとお辞儀。
「以後、お見知りおきを」
「……」
俺もイアナ嬢もぽかんとしてしまった。
どうしようもないくらいのプレッシャーを俺たちに与えているというのに、このワルツと名乗った女は拍子抜けしそうなほど穏やかだった。
そして、挨拶を終えたからかワルツは再び箒に股がった。そうするのが当然と言わんばかりの自然な動きだった。
「メラニア様が言っていたの」
俺たちが呆けにとられていたからか彼女は聞いてもいないのに説明しだした。
つーか、今撃ったら当たるかな?
いや、やっぱり無理そうだ。止めとこ。
「魔女というのは箒に乗っているものらしいのよねぇ。黒猫をお供にするのも必須みたいなんだけど残念なことに箒の上で大人しくしていられる子がいなかったの。あと、あの子たちは空から落ちると自力で箒まで戻れないのよねぇ。すごーく嘆かわしいって思わない?」
「この人馬鹿だわ」
「……」
イアナ嬢。
俺も激しく同意だよ。
口には出さないけどな。
「ところで、見たところあなたたちはこの森に用があるようね。もしかしてクースー草目当てかなぁ?」
「あ、ああ」
俺は声を絞り出した。
イアナ嬢もコクコクとうなずいている。
ワルツもうんうんと首を縦に振り。
「じゃあ早く採取に向かってね。私はここでクースー草を持って来るのを待ってるから。あ、最低でも十五株以上は採ってきて」
「はぁ?」
イアナ嬢が目を丸くした。
「あんた宮廷魔導師なんでしょ? 事情も知ってるみたいだし手を貸そうとか思わないの?」
「……」
あ、こいつ敬意を払うの止めたな。
ま、メラニアの関係者みたいだしそれでもいいか。
「私の受けた命令は森の入り口でクースー草を受け取って一緒に王都に帰還すること。採取は含まれていないのよねぇ。うーん、手助けするのは面倒くさ……じゃなくて、先に森に入った冒険者さんたちもいるから不公平になるでしょうし、私はノータッチかなぁ」
目を瞑り悩ましげに首を傾けながらワルツが応える。
俺はジト目で彼女を睨んだ。
おい、今「面倒くさい」って言おうとしただろ。
**
宮廷魔導師の一人にしてメラニア付き魔導師、疾風の魔女ワルツ。
そんな女に見送られつつ俺とイアナ嬢はアーワの森に入った。
クースー草採取のための探索に手を貸してくれないワルツにイアナ嬢がぶつくさ言っていたが無理に連れて行く訳にもいかないのだからどうしようもない。
つーか、メラニアの関係者って時点で俺はパスだけどな。そんな奴と行動を共にしたくない。
アーワの森は二十年前まではそれほど危険ではなかった。
材木として利用できるノースマツが豊富に伐採できるため木こりたちが森の中に集落を作りそこからノーゼアの街へと材木を卸していたそうだ。多いときには二百人以上の木こりたちが集落に住んでいたという。
だが、突然のモンスターの大発生により森に人の住める場所は無くなった。
森の奥から沸いて出たモンスターの群れはあっという間に森を飲み込み瘴気を撒き散らしたという。精霊たちは穢れ、狂い、命あるもの全てを襲った。獣たちも魔物化し、やはり命あるもの全てに牙を剥いた。
スタンピードは半年以上続いたという。ノーゼアの街への被害がほとんどなかったのはひとえに聖女による浄化のおかげである。
うん、凄いな聖女。
イアナ嬢もそんなふうになれるのか?
そんな疑問を浮かべているとすぐ後ろから不機嫌な声が飛んできた。
「ちょっと、もう少しゆっくり歩きなさいよ。あたしはあんたと違ってこういうところ不慣れなのよ」
「……」
ここは森の中である。
獣道のような、ようやく通れる程度の道はあるが基本的に整備された道などない。木こりたちが通った道もすっかり緑のカーテンに塞がれている。
そもそも集落があったという場所は森の奥ではなく浅井ところなので向かっている方向も異なっていた。
鬱蒼とした森の中を進むのは冒険者となって間がないイアナ嬢にはさぞ厳しかろう。
とはいえ。
「次代の聖女様なんだろ。人命もかかってるんだから弱音を吐く暇があったらキリキリ歩け」
「あんた鬼だわ」
何とでも言え。
イアナ嬢の不平を聞き流しながら奥へと進む。
途中で魔物化した鹿のカシエゾと遭遇したがパンチ一発で片づけた。軍馬より二回り大きなモンスターだったがでかい枝のような角と強烈な突進に気をつけさえすれば何てこともない敵だ。
ちなみに現在進行形でダーティワークを発現中。
角と毛皮と肉、そして魔石が得られるのだが先を急ぐので死体は放置。俺と同じように先行している連中も倒したモンスターをそのままにしていた。モンスターから得られる素材を手に入れておくにこしたことはないがランクAの報酬はそれら素材をスルーしても十分に補える金額だった。
さらに立ち回り方さえ間違えなければこのクエストを機に王族との関わりも持てるだろう。冒険者にとってこれは大きい。権力と名声を求めているならなおさらだ。
真っ赤な体毛のジャイアントレッドベアの死体が転がっているがそれも無視。ちょい周囲の樹木が倒れていたり何かに切り刻まれたように幹に無数の傷がついているがそれも気にしない。あっちこっちに血が飛び散っているが気にしない。
どこかで爆音がしたけど気にしない。
「派手にやってるわね」
イアナ嬢。
俺は目の前に飛び出してきたパラライズグリーンリザードをワンパンて退けた。邪魔だ。
「やばそうな奴を相手してくれているならこちらとしては有難いんだがな」
面倒は御免だ。
俺はとっととクースー草を採取してノーゼアに帰りたいんだ。
そのためにもモンスターとの戦闘は可能な限り避けたい。
上から降ってきたソードラットをそのご自慢の長い前歯ごと殴って粉砕する。
うわっ、こいつら群れで襲撃かよ。めんどい。
俺が殴り損ねた一匹をイアナ嬢のメイスが仕留めた。お、やるな。
ふんぞりーっ!
一匹しか倒してないのにイアナ嬢が得意気だ。何かムカつくが、ここはあえて褒めてやろう。
「偉い偉い、その調子で頼むぞ」
「……」
半眼で睨まれた。何故だ。
爆音が数回連続したかと思えば猛烈な勢いでこちらへと迫る反応を感知。これはやばい。
「イアナ嬢、防御結界だ」
「えっ? あ、うん」
早口で呪文を詠唱するイアナ嬢を横目に俺は左手首にある腕輪に魔力を注ぐ。この反応はかなり厄介な奴だ。普通に戦ったら手こずるだろう。
感覚を研ぎ澄ませる。
間違って別の誰かを撃ったらまずいからな。もちろん巻き添えも駄目だ。
木々の間を抜けて、というより大木を何本もへし折ってそいつは現れた。
「……」
つい見上げてしまう。
「何これ」
イアナ嬢が声を震わせた。
途中で詠唱がキャンセルされたがやむなし。
そいつは巨大な鳥だった。いや、たぶん鳥なのだろう。嘴と翼もあるし。
大木より若干小さいだけで三階建ての建物をゆうに越える高さの体調のそれは赤い目をギラリと光らせると甲高い声で鳴いた。焦げ茶色の羽毛が逆立ち一気に威圧感を強めてくる。
うわっ、あの黒い嘴で突っつかれたら痛いだろうな。つーか、こいつ雄か?
などと呑気なことを思ってみたり。
笛の合奏のような複数の音域の音がし、鳥を中心に熱気が生まれた。
魔法だ、と判じると同時にイアナ嬢を抱きかかえてその場に伏せる。ぎりぎり防御結界を張れた。無詠唱バンザイ。
爆発音を伴って熱波が空気を振動させた。周囲の木々が炎に包まれる。消し炭になった大木は比較的若い木なのだろう。長く生きていればそれだけ魔力を吸収して魔法への抵抗を持つようになる。
体内の魔力が豊富な者ほど魔法抵抗の力が強いのもこのためだ。
もちろん属性による弱点補正はある。
大抵の植物は炎に弱いし昆虫は寒さに弱い。北に生息する竜種は熱さを嫌うし南の水竜たちは寒いのを嫌がる。まあ中にはそれに準じないものもいない訳ではないがそこまで突き詰めて考えなくてもいいだろう。何事もほどほどが大事です。
「……ワォ」
マジか。
巨大な鳥は生きていた。
というか無傷? 完璧にレジストした?
確かにアーワの森には強い魔物がいるとは聞いた。
だが、こんな化け物までいるなんて俺は聞いてないぞ。
俺はイアナ嬢から身を離すと膝立ちになって拳を構えた。
巨大な鳥は自分を攻撃した相手へと意識を向けたようだ。ぐるんと半回転すると燃え盛る炎の奥へと硬質化した羽を発射した。多分あの位置は胸と手羽先からだ。どういう仕組みか羽を乱射しているというのに一向に禿げる気配がない。ウィッグ・ハーゲンギルドマスターが知ったら血の涙を流して羨ましがりそうだな。
とはいえ。これは好機。
俺はマジックパンチをぶっ放した。
俺の左拳が轟音を響かせつつ直進し巨大な鳥の背中を捕らえる。
生理的に受け付けられない不快な炸裂音を鳴らして拳は巨大な鳥を撃ち抜いた。化け物だが俺たち人間と同じ血の色だった。妙に感心。
巨大な鳥がその場に倒れる刹那、黒い影がいくつも炎の奥から現れてその巨体にかぶりつく。
そいつらは二足歩行する山羊だった。
じゃなくて山羊の頭をした魔物だった。ゴートヘッドだ。別名山羊人間。分類上モンスターなので山羊の獣人ではありません。
ゴートヘッドは五から十二体で一つの群れを形成する魔物だ。体格は痩せた子供のように見えるが屈強な戦士よりも強靱な肉体を有している。彼ら特有の言語を持ち、その言葉さえ理解できればコミュニケーションを取ることも可能だそうだ。
記録によれば過去の戦争でも生きた兵器として魔術師が使役していたとか。高い知性と魔力を保持しており気性の荒さも相まって攻撃魔法をばんばん使ってくるらしい。
モンスターランクはA。こいつらに集団で襲われたら高ランクの冒険者でも命の保証はないとされている。
巨大な鳥を獲物として追っていたらしいゴートヘッドは低音の笛のような鳴き声で何やら話ながら各々鶏肉(?)を貪っていた。咀嚼音がとにかくクチャクチャとうるさい。血と体液で口のまわりどころか身体中を濡らしているというのに気にも止めないようだった。
お食事に夢中で俺とイアナ嬢をガン無視状態である。
さて、どうするか。
ここにいるゴートヘッドは全部で八体。
一体ずつならマジックパンチで一撃で倒せるかもしれない。
だが、数が多い。マジックパンチの連射でもできなければすぐに返り討ちに遭ってしまうだろう。結界を張りつつの持久戦に持ち込めればあるいは……いや、それは危険な考えだな。止めよう。
となればここは離脱するのが最良。
俺は小声でイアナ嬢に告げた。
「逃げるぞ」
「……うん」
俺たちは来た道を引き返すべく慎重に後退した。許されるのであれば全力疾走で逃げ出したいところだがそんなことをすれば即座に気づかれてしまうだろう。
とにかくここを離れて迂回しながらザワワ湖を目指すしかない。
イアナ嬢を庇うように彼女を先に行かせ、俺は万が一に備えてマジックパンチを構えながら後ずさった。
ゆっくり、それでいて急ぎながら。
慌てず、でもできるだけ早く。
一歩、また一歩、。
「お待ち、ください」
笛の音を強引に人間の言葉にしたような声が俺たちを呼び止めた。
「強気者、あなたからは、あの方の、匂いが、します」
え?
**
アーワの森で遭遇したのはモンスターランクAのやばい魔物ゴートヘッド。
それも一体ならまだしも八体。
運良く(?)お食事に夢中になってくれたのでその隙に逃げようとしたら声をかけられてしまった。
*
「バンタムベア、一撃で、倒しました。あなた、強いです」
どうやらあの巨大な鳥はバンタムベアという名前らしい。いや、あれはベア(熊)より大きいし絶対に鳥の仲間だと思うよ? 嘴とか翼もあったし。
でも口に出して指摘したりはしない。ゴートヘッドの機嫌を損ねたらこちらの命に関わるかもしれないからな。
「えっ、あれが熊なの? 鳥じゃなく?」
「……」
イアナ嬢。
頼むから黙っててくれ。
俺に話しかけてきたゴートヘッドはじっとイアナ嬢を見た。
表情を読み難いというか山羊人間が何を考えているのか俺にはわからない。
それにしても、近くで見るとますます山羊の獣人としか思えんな。だが、こいつら魔物なんだよなぁ。
巨大な鳥を食ったばかりだから血やら何やらですげぇことになってるけど。特に口のまわりとか。つーか夢に出そうで怖いよ。
これ幼児がいたら引きつけ起こしてるよ。
「……え?」
突然、イアナ嬢が吃驚したように声を上げた。
「嘘。祝福されてる? えっ、何で?」
「イアナ嬢?」
彼女は信じられないといったふうに目を見開いている。よほど驚いたのかそのまま硬直してしまった。
ゴートヘッドがゆっくりと彼女との距離を詰め、クンクンと鼻を鳴らす。中空を眺めてしばし無言になった。
俺はイアナ嬢に訊いた。
「何なんだ?」
「この人たち神の祝福で清められてるんだけど」
「はい?」
一瞬耳を疑った。
魔物が祝福を受けている?
おいおい、冗談きついぜ。
魔物というのは祝福とは無縁の存在だ。むしろある意味呪われていると言っていい。
あと、こいつら魔物だからな。人じゃないぞ。
そう思いたくなる気持ちは理解できるが。
ゴートヘッドがまた黙ってこちらを見ている。これといって何かをしてくる訳でもないのにその無言だけで十分怖い。
プレッシャーのようなものを感じて俺は早口になっていた。
「どうして祝福されているってわかるんだ?」
「上位鑑定したから。ほら、神の啓示なら間違いないでしょ」
「な、なるほど」
ああ、例の一日一回しか使えないっていうあれか。
確かにそれなら……って、こいつこんなことで上位鑑定したのかよ。一日一回しか使えないんだからもっと大事に仕えよ。
イアナ嬢がさらに付け加える。
「敵意とか悪意とかもないわ。むしろ友好的?」
「……」
ええっと。
敵対しないにこしたことはないが何故に?
俺は自覚している以上に動揺していたのだろう、無意識のうちにダーティワークを解除していた。
ゴートヘッドが俺を見ている。
笛の音のような声が言葉を紡いだ。
「余計な匂い、消えました。あの方の、匂い、やっぱり、します」
「……」
俺はゴートヘッドたちの言う「あの方」とは俺に宿る「それ」のことではないかと推測していた。
これまでの戦いで何度も「それ」は特別視されてきたからだ。ヒューリーとか呼ばれていたし、ケチャなんかは明らかに恐れていた。
しかし、今回はどうやら違うようだ。
となると「あの方」とは誰だ?
ゴートヘッドが俺の左手首に鼻を近づけた。クンクンとやたら念入りに匂いを嗅いでいる。山羊の表情なんてわからないはずなのに恍惚としているように見えた。かなり怖い。
てか、これって……。
俺、めっちゃ心当たりがあるんだけど。
左手首にあるのはお嬢様から貰った腕輪。
「……」
おいおいおいおい。
あの方って、まさか。
いや、そんなことある訳ないよな。
俺は内心苦笑した。
最近、お嬢様のやらかしの頻度が高いからなぁ。
気のせい気のせい。
ゴートヘッドが匂いを嗅ぐのを止めて顔を上げた。
上目遣いで。
「ポテチ、あります、よね?」
「ポテチ?」
「はい。あの方が、食べさせて、くれました。とても、美味しい」
「えっと、その、あの方って?」
答えを聞くのは怖いが俺は訊かずにはいられなかった。
「エミリア様、です。私たち、から、邪悪なもの、取り去って、くれました」
「……」
お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
俺は心の中で絶叫した。でもその場に崩れるのは堪えたぞ。誰か褒めてくれ。
そして、何故か滝汗を流しているイアナ嬢。
ん?
ゴートヘッドが彼女に向いた。
「ポテチ、あります、よね? あなた、持ってます、よね?」
俺はイアナ嬢を見たが目を逸らされる。おい。
俺は尋ねた。
「デイブの店のか?」
「べべべ別に、一人で食べようとしていたんじゃないんだからねっ!」
「……」
うん、有罪。
こいつ、一人で食べるつもりだったな。
俺はゴートヘッドに微笑んだ。
「彼女が持ってる分しかないが全てあげよう。それでいいか?」
「いい、ありがとう、嬉しい」
ゴートヘッドが笛の音のような声を弾ませた。後ろで様子をうかがっていた他のゴートヘッドたちも急にはしゃぎだす。それはもう飛び跳ねて喜びを全身で表していた。そんなに欲しかったのかポテチ。
「ううっ、あたしのポテチ……」
「また後で作って貰えばいいだろ。諦めろ」
「ポテチ♪ ポテチ♪ ポテチ♪」
泣く泣くポテチの入った油布の袋を渡すイアナ嬢の表情と祝杯でも挙げそうなゴートヘッドとの比較が酷いな。だが、ポテチでさらに仲良くなったっぽいから良しとしようぜ。
*
ゴートヘッドに事情を説明したらザワワ湖の傍まで案内してくれるというので有難くご厚意に甘えることにした。
前に四体、後ろに三体。間に挟まるように俺とイアナ嬢とリーダーらしきゴートヘッドといった並びで森を進む。
なお、俺たちと会話しているのはこのリーダー(?)のゴートヘッドだけだ。彼らにも一応名前らしきものがあったが山羊一号山羊二号とちょいあんまりだった。
とりあえずリーダーらしきゴートヘッドが山羊一号なので便宜上イチと呼ぶことにする。
つーか何だよ一号二号って。名付けたの誰だよって思ってイチに尋ねたら犯人はお嬢様でした。あーはいはいそんな気してましたよ。
いや、マジで何をしているんだあの人は。
そもそもこの森にどうやって入ったんだ?
シスターキャロルはこのことを知っているのか?
いや、何となく知らない気がする。
とにかく、帰ったらお嬢様と一度ちゃんと話をしないと。
森の奥は迷いの魔法がかかっているので常人では延々と彷徨うことになるそうだ。これは森の樹木から放出する魔力によって形成しているいわば自然発生的な魔法なので術者は存在しない。
対抗するにはより強い魔力を有するか一時的に魔法を無効化するかしかない。
だからだろうか、先行しているはずの冒険者たちが凄く疲れた様子で途中の草叢に座り込んでいた。あっちこっちに傷を負い、格好もボロボロだ。
声をかけようとしたイアナ嬢を俺は止めた。
「こいつらをどう説明する?」
「……先を急ぎましょ」
イチたちゴートヘッドは山羊の獣人ではない。ランクAのやばい魔物である。
普通の冒険者なら確実に討伐対象として見做すだろう。やむなし。
俺たちは冒険者たちに気づかれぬよう気配を消しながらその場を離れた。
そうそう、何故バンタムベアとイチたちが戦っていたのか、こちらの理由を聞いたんだった。
バンタムベアはイチたちにとって非情に美味しい食料なのだそうだ。ただ、このバンタムベアはとても防御力が高く、イチたちの物理攻撃では傷一つつけられないのだとか。
ならば魔法で、となるのだがこれも具合が悪い。バンタムベアは魔法抵抗も高いのだ。
イチたちの爆発魔法では五回に一度くらいしかヒットしないという。それでも当たる可能性があるからと彼らは爆発魔法を連発していた。
つまり、森に入ってから聞こえていた爆発音は彼らの仕業だったらしい。
苦戦しつつ追いかけていたバンタムベアを一撃で倒した俺をイチたちは強者と認めたようだ。
そして、俺がお嬢様から貰った腕輪を身に付けていたことも彼らの信用を得た理由となっていた。
なぜなら……。
「エミリア様は、私たち、から、邪悪なものを、取り去って、くれました」
「邪悪なもの?」
イアナ嬢の問いにイチが答える。
「私たち、ずっと、苦しかった。ずっと、憎しみ、悲しみ、怒り、不安が、つきまとっていました。何をしても、消えませんでした。存在が不安定で、いつ消滅するかわからなくて、さらにおかしくなって、どうしようもなくなっていました」
そうか。
イチたちにも事情はあったのだな。
「でも、あの方は、私たちを、その邪悪なものから、解放してくれました。そして、私たちに、名前を与え、祝福し、この世界に、存在できるように、してくれました」
イチたちにとってお嬢様は救いの神のようなものだったのだろう。
だから、お嬢様と同じ匂いを持つ俺に親しみを覚えた、と。もちろん強さを認めたからってのもあるのだろうが。
うん、俺も彼らを裏切らないように気をつけないと。
お嬢様の行動理由がさっぱりだがな。まあ、これは帰ってから聞こう。
「精霊とか魔物って(モグモグ)、固有の名があると存在が確立して簡単には消えなくなるって言うしね」
「ああ、それで名前持ち(ネームド)は他のモンスターより強いって聞くぞ」
「てことはあれね(モグモグ)。このゴートヘッドたちは他のゴートヘッドよりも強いのよね」
「……」
本当に戦うことにならなくて良かったよ。
なお、イアナ嬢は歩きながらハチミツ味のウマイボー(精神安定の効果付き)を食べている。行儀悪いな。
ちなみにポテチは全部ゴートヘッドたちの胃袋に納まっている。元々の量も少ないし、ほぼ一瞬で消費された。
イアナ嬢がちょい引いていたな。まあ仕方ない。
そして、俺たちはザワワ湖のすぐ傍まで来たのだった。