六話 『靴音』
コツーン…コツーン…
食後の一服をしていると、足音のような異音が聞こえてくる
この家が鉄筋コンクリート製ということもあり、まるで水が繁茂するように部屋中を響かせる
なんだ…?こんな夜中に
このマンションは既に放棄されており、住んでいるのは俺達しかいないはずだ
それも元々俺達が住んでいた訳ではなく、比較的被害が少なかった部屋を俺達が勝手に使わせて貰ってるだけだった
考えられる線は複数ある
一つは、俺達が知らない住人がいること
もう一つは…奴らだ
俺は抜き足で玄関に近づく
こうしている内にも、足音はますます近づいていき、俺の鼓動もそれに合わせて増幅していく
…ここで見つかったら終わりだ
頼む…
すると足音がピタリと止む
テセラ 「…」
俺は玄関に備えついてあったドアスコープで向こうを覗こうとし…
バンッ!
テセラ 「うわぁぁ!」
誰かがドアを蹴り倒し、侵入してくる
男 「ヨぅ…久シぶりだな…」
テセラ 「お前は…」
それは俺の見知った男だった
………
……
…
テセラ 「まあ座れ」
そう言うと、男は行儀悪く机に足を乗せて組んでみせる
男 「…」
テセラ「おいジロウ、もうこの家に来るなって言ったろ」
ジロウ 「…」
「フゥー…」
こっちを一瞥もくれず、呑気にタバコを蒸し始める
「おチつけよ…テセラ」
「お前、怒リッぽくなったな…生理か…?」
「カルシウムなんテ、そコら辺でいくらでも取レると言うノに…」
テセラ 「生憎、俺にはカニバリズムの趣味はない」
ジロウ 「クククッ…それは残念ダ…」
「一度摂れば、ヤみつきになるぞ…」
テセラ 「お前はますます狂ったな」
ジロウ 「この街で狂っテない奴なんて居ナいさ…」
テセラ 「…違いないな」
「景気が良さそうな顔をしてるのは棺桶屋と、聖職者だけだ」
ジロウ 「フゥー…」
深い息が吐き出される
「俺も、来タくてコこまで来タわけじゃない…」
「お前に警告シてきた」
テセラ 「ほう?」
「街一番の情報屋のお前からの警告なんて有難くて涙が出てくるね」
このジロウと言う男は、情報屋として名が知られている
『B地区』以外の隔離された様々な地区に練り歩き、日々、有益な情報から取るに足らない風聞まで多様な情報を我々に提供してくる
新聞やテレビは、『奴ら』によって規制されているため『真実』を伝えてくれる彼は重宝されている
親っさんが、『さる情報筋』と言ったが、恐らく彼のことだろう
だが一方で、貿易商も兼任しており、娼婦や武器、果やクスリなど人には言えないブツを売り歩いている
喋り方がどこかおかしいのも自分でクスリをやっているからだと思われる
当然、情報にも対価が要求されるため、生死に関わる本当に必要な情報以外は仕入れることは少ない
テセラ 「生憎持ち合わせが少ない。その警告とやらも金がかかるんだろ?」
「それなら必要ない。帰ってくれ」
ジロウ 「そう急ぐナ…」
「そうダな…『同業』のよシみで、コーヒー一杯で手ヲ打ってもいい」
テセラ 「なに?」
破格の条件だった
確かに、嗜好品であるコーヒーは流通量が極端に少なくそれなりの値段が付くが、払えないというほどではない
でも…
テセラ 「…俺達はもう『同業』じゃない」
ジロウ 「そう言うナよ…俺は悲しいゼ、『ゲリラくずれ』サン」
テセラ 「…」
ジロウ 「クククッ…怒ったカ…」
ガチャンッ!
と、そこで机の上に乱雑に一つのカップが置かれる
ゼオ 「その話、詳しく聞こうじゃないか」
トレイを持って、立ち尽くす少女
カップにはコーヒー豆特有の香ばしい匂いが立ち煙り、暖かな湯気を出していた
テセラ 「ゼオ、お前起きてたのか」
ゼオ 「こんなに騒がしくしていれば、誰でも起きる」
それはそうか…
ジロウは彼女を視界に入れると、途端に目を細める
ジロウ 「クククッ…久しイな、クソガキ」
「お前がマだ生きてたなんて、驚きダ…」
「てっきり、テセラにもう捨テラれたと思ってイたぞ…」
ゼオ 「あ?」
「そう言うお前は、頭の天辺で光合成出来るくせにおつむが足りないみたいだな」
そう言って、奴の頭をバシバシと叩く
ジロウには髪が無い
噂に聞くところによると、『奴ら』が来る前はとある有名な修行僧だったらしい
その後俗世に降り、信仰を捨てた今もブッダを信奉しているとか、していないとか
ジロウ 「ククク…」
ゼオ 「ふふふ…」
互いに血管を浮べて、貼り付けたような笑顔を向ける
テセラ 「おい、やめろ、二人とも」
どうもこの二人は相性が悪い
似た者同士だからだろうか
同族嫌悪ってやつだ
ゼオ 「似た者同士だと?訂正しろ!」
テセラ 「心を読むな」
ジロウ 「フンッ…まァいいだろう」
「対価は払っタ、教えテやる」
顎でコーヒーカップを指し示す
テセラ 「頼む」
ジロウ 「お前、ここ一帯デゲリラが活発になっているのハ、知っテるな?」
テセラ 「ああ」
ジロウ 「『A地区』と『C地区』で大規模ナ武装蜂起が起コった」
『A地区』、『C地区』というのは、ここB地区に隣接した人間の居住区だ
居住区と言っても、『奴ら』に行政権やサプライチェーンは握られ、実質的な植民地になっている
中心部にはアクロポリス(州都)と呼ばれる特別区があり、『奴ら』がこの地区で産まれた富をそこに集め、酒池肉林の限りを尽くしているとか
ジロウ 「この武装蜂起は勿論鎮圧されタが、ソの生キ残りが続々ト『B地区』に集結シているらしい…」
なるほど、だから最近は血なまぐさい話を頻繁に聞くようになったのか
ゼオ 「それとテセラが何の関係があると言うのだ」
ジロウ 「話は最後マで聞け、クソガキ」
ゼオ 「…」
ジロウ 「お前にナら分かるはズだ…テセラ…」
ゼオ 「お、おいっ。どう言うことだ!我に分かるように説明しろ!」
テセラ 「…」
ジロウ 「旧知を尋ネてお前の下へ連中は必ズやっテ来る…」
「協力スルのか、拒否ヲするのか、それはお前ノ勝手ダが、身ノ振り方は考えタ方ガ良い」
テセラ 「お前はどうするんだ…?」
ジロウ 「利益ノ有ル所ニ尽スさ…」
テセラ 「そうだろうな」
ゼオ 「…おーい」
これはゼオにはまだ説明出来ない
妹にはこんな昏いことを知らなくても良いのだ
ジロウ 「話は以上ダ…俺ハ帰る」
タバコを床に投げ捨て、するりと席を立つ
ふと今気づいたのか、一口も付けていないコーヒーカップを手に取り、一気に呷る
「ウッッ!」
「何ダ!これは!」
突然青い顔をして、非難の目を向けてくる
吐き出さなかったのは、彼の内なる育ちの良さが垣間見える所だ
ゼオ 「はっはっはっ!ざまぁみろ!」
ジロウ 「貴様…」
今にも切りかかりそうな勢いだ
テセラ 「すまない、こっちのミスだ」
「コーヒー豆が惜しくてな、いつも半分くらい代わりに石炭を溶かして飲んでるんだ」
「それを失念していた」
ジロウ 「…」
「フゥー」
再び、タバコを蒸し始める
「今回はテセラに面ジて許してヤる…」
ゼオ 「クククッ…そうか、感謝するぞ」
全く反省していない素振りで、彼に会釈する
テセラ 「外は雨が降ってる、気をつけろ」
「あと、『奴ら』にも」
「どこで襲ってくるか分からないからな」
ジロウ 「知っテいる…」
そう言いつつ、玄関に向かう
「そうだ…」
不意にこちらを向く
「昼間ノあれ、俺は驚いタぞ…」
テセラ 「あれ…?」
ジロウ 「無心論者ノお前ガ、仏ヲ信じテるとハ…」
テセラ 「ああ…あれか」
「お前ほどじゃあないさ」
ジロウ 「クククッ…」
ひとしきり笑うと彼は闇と水の中に消えていった
ゼオ 「なんて嫌な奴だ」
俺と一緒に見送りをしたゼオはポツンと独りごつ
テセラ 「そう言うな、あれでジロウにも良いところはあるんだ」
ゼオ 「そうか」
「ところで、さっきのはどう言うことだ?我に分かるように説明しろ」
テセラ 「…」
「ゼオにはまだ早い」
そう言いつつ、頭をくしゃくしゃと撫でる
今までの会話を忘れさせるように
次は無理に払ってくることは無かったが、寂しげに
ゼオ 「そうか…」
と言っただけだった
ゼオ 「我は本当に寝るよ。流石に疲れた」
テセラ 「そうだな。寝る子は育つぞ」
ゼオ 「我を子供扱いするな」
そう言って、部屋に篭った
テセラ 「…俺も寝るか」
空を見ると月は見えない
暗々と続く雨模様だった