四話 『炭火』
炭の焼ける匂いと、火の煙
道中トラブルに見舞われたが、なんとか目的地である炊き出しにたどり着くことが出来た
治安は廃れ、活気も糞もない場所だが、ここ炊き出しだけは別だ
行儀よく列を作り、腹を空かせた民衆たちが今か今かと自分の取り分を待っている
その瞳は、少年さながらで、騙しや裏切りが横行するこの街には珍しい光景だ
食べ物は人間をある程度、理性的にするのだろうか
…と、そこで見慣れた顔を見つける
同僚A 「テセラ。さっきの見てたぜ。本当に災難だったな」
同僚B 「明後日からお前の仕事の穴を埋めるとなると、嫌になるからな。まだ生きててくれよ」
テセラ 「ははは、言ってくれる」
そう言いつつ、彼らの肩をコツンと叩く
同僚A 「そういや明日は休みらしいな。どうだ、テセラ。鬱憤晴らしに遊郭でも行くか?」
同僚B 「そりゃいい。僕も連れてってくれよ」
テセラ 「おい、やめとけ」
「明日はただの休みじゃないんだぞ」
「治安維持局様が直々にゲリラの摘発をされるらしい」
「そんな所で遊んでたら焼かれて死ぬぞ」
奴らは人間に対して容赦はない
『疑わしきは罰する』のが奴らの鉄則なのだ
そしてやり方は非常に乱暴で、残酷
人道よりも、結果を重視するので流血沙汰は日常茶飯事だ
同僚A 「え!マジか」
「あぶねぇー!危うく死ぬ所だったわ」
遊郭もどうせ自粛を余儀なくされるから大丈夫な気がするが
「しっかし、折角の休みだっていうのに、外に出ることも出来ないのか俺達は」
同僚B 「仕方ないさ」
「奴らには従うしかないんだ」
テセラ 「そうだな…」
そう、これは仕方のないこと。仕方のないことなのだ
俺達はこの不条理をなんとか咀嚼して生きている
そうでもしないとこの世界では長生き出来ない
「ま、今日は早く寝て、ドアが叩き壊されないことを祈るんだな」
同僚A 「ハンッ!俺の家にはドアなんて御大層なものはねぇ!」
「雨風から身を守れればそれでいいからな!」
そんな自慢げに言われても…
同僚B 「僕もだ。着の身着のままここまで生きて来たからなぁ…私物も無ければドアもないわ。ははは」
テセラ 「…」
なんて危ない奴らだ。寝ている隙に野盗にでも襲われたらどうするつもりだったのだろう
テセラ 「はぁ…仕方ない。俺の家に木材が余ってたから今度持ってきてやる」
「それでドアでも作れ」
同僚A 「おお!それはありがてぇ!最近は寒くてな…」
同僚B 「ありがとうな」
テセラ 「いや、いいさ」
この界隈では信用出来る身内というのは少ない
誰もが他人の弱みに浸け込み、食い荒らそうと歯を研ぎ澄ましているのだ
だからこういう機会に恩を売るのは悪いことではないだろう
同僚A 「おっと…そろそろ俺達の番だぜ」
他愛の無い会話をしている内に、順番が回ってきた
俺は先程貰ったら封筒から幾ばくかの長方形の紙を取り出す
この街では、通貨というものは存在しない
いや、厳密には存在するが、何億倍ものインフレーションが発生したために、取引としての手段に用いられなくなったのだ
現在、その通貨の代用となっているのが、俺が手に握っている『配給切符』だ
配給切符は言わば命の源
これが無ければ生活必需品はおろか、食べ物や水ですら得ることは出来ない
だから、これを求め色々な争いが起こる。翻って、様々なサービスに対する交換材としての側面もあったりするが
故に、この街ではこれに因んだ一つの諺がある
『命(配給切符)は何物にも変えられる』と
………
……
…
同僚と別れの挨拶をし、俺は帰路に着こうとしていた
…よし、今日は運が良い。数百グラムの穀物、大豆、何種かの野菜、そして肉だ
肉を見るのは何ヶ月ぶりだろうか
3ヵ月?いや、半年以上経っているはずだ
『奴ら』は肉を余り好まないし、食さない
だから、生産も嫌がって配給が滞ることが多かった
今日は例外だ
本当に、運が良い
さて、これをどうやって料理しようか
スープも良いし、そのまま丸焼きにして食すのも乙だ
しかし、またこれにありつけるのは何時か分からないのだから大事に食べなければ…
配給の男 「だから無理と言ってるだろう!」
テセラ 「ん…?」
この賑やかな炊き出しに似つかわしくない怒声
その声の主は、配給窓口の職員から発せられたもののようだ
老婆 「どうか、お願いします…うちにはお腹を空かせた子供たちがいるんです…もう少し…もう少し量を増やしてくれませんか?」
先程の力強く、芯まで通った男の声と違い、こちらは嗄れて、弱々しい声であった
見るところによると頬は痩せこけ、蟷螂のような姿をしている
きっと、数少ない資源を子供達に分け与えた結果、自分の取り分が無くなってしまったのだろう
それくらい栄養状態に難があるのが目に見えて分かる
孫か、息子娘か知らないが、この老婆に深く感謝するんだな
こんなに尽くしてくれる人間は身内以外の他にはいない
配給の男 「無理なものは無理だ」
「規則だからな」
老婆 「お願いします…パン一切れ…いや、一片でもいいんです…!」
「どうか、分けてくれませんか?」
配給の男 「しつこいぞ!」
「後がつかえてるんだ。どいてくれ!」
そう言って、老婆を軽く小突く
老婆 「あッ!」
傍目から見てもそこまでのエネルギーが込められていなかったはずが、彼女は安々と倒れてしまう
彼女も限界だったのだ
野次馬A 「へへっ、ラッキー!」
野次馬B 「よっしゃ!」
これを好機と思ったのか、一連の出来事を見守っていた野次馬たちは一斉に倒れた老婆から略奪を行おうとする
クソッ…
テセラ 「おい止めろ!散れ!散れ!」
腹から声を出して彼らを牽制する
野次馬A 「チッ!偽善者が!」
野次馬B 「…ペッ!」
今回は物分りが良い人間が多かったのか、舌打ちや、鬱陶しいそうな顔をしつつも去って行った
テセラ 「大丈夫ですか?」
慌てて老婆に近づく
老婆 「ええ…大丈夫よ」
「ごめんねぇ、助けて貰って」
テセラ「いえ、こういう時はお互い様です」
辺りに転がった彼女の荷物を纏め、持ち主に返す
ふと、彼女がため息をつく
老婆 「今日も失敗しちゃったよ」
テセラ 「え?」
老婆 「私はね…昔、近所で交渉上手って言われてたのさ」
「『アンタには負けたよ。持ってけ泥棒』ってね」
『奴ら』が来る前の話であろうか
懐かしむように、目を細めて昔を語りだす
老婆 「けど、最近の若者はどうも融通が効かない」
「困ったもんだ」
テセラ 「そう…ですか」
老婆 「これじゃあ、子供たちに一杯食べされられりゃしないねぇ」
と、配給で受け取った食材を眺める
「ま、アンタに愚痴なんて言ってもしょうがないね」
「助けてくれてありがとね。助かったよ」
そう言って踵を返す
テセラ 「待って下さい!」
老婆 「ん?」
テセラ 「その…宜しければ…」
自分が得た食料の内、いくつかを老婆に与える
老婆 「いいのかい?」
「アンタが食べる分だろう?」
彼女は信じられないような顔で俺を見る
俺だって分かっているのだ
こんな老人に恩を売ったところで何にもならないし、第一自分の食料が減るというのは死活問題だ
けれど、俺の倫理観がそれを否定する
彼女を無視して去るなんて俺には出来なかった
テセラ 「いいんです。俺、あまり食べませんから」
老婆 「アンタ、まるで天使みたいだねえ」
「名前は、何て言うんだい?」
テセラ 「テセラです。テセラ=ヨンジョウ」
老婆 「テセラちゃんね。覚えたよ」
「また今度、お礼はするから」
そう言って彼女は去って行った
『天使』。この言葉が頭の中で反芻する
俺はそんなおめでたい存在ではない
醜く、世の中を斜に構え、朽ち果てるのを望んでいるのだ
そんな俺に与えられる称号は天使なんかではないと思う
そうだな…
言うなれば、『堕天使』かもしれない