だるまさん
皆さんは、「だるまさん」をご存知だろうか。
そう、その「だるまさん」だ。「だるまさんがころんだ」の「だるまさん」だ。年末年始でもそうでなくともあらゆる場所で見かけたことがあるだろう。ファンタジーっぽく言えば、「一年の目標を誓い、神のご加護を受ける」ために使われるらしい。
産まれてから随分経つのにこのことを知らなかったのが、なんとなく恥ずかしい。
とにかく私は、年始であったことをいいことに、無知を払拭しようと考えた。「だるまさん」をやってみようと思ったのだ。
まず「だるまさん」を手に入れないと何も始まらない。都会に住んでいるというのに、というか都会だからなのかは分からないが、入手するのには時間と手間がかかった。
私は、形式通りに事を進めた。まずは願掛けをしながら「だるまさん」の向かって右の目、つまり左目を黒く染めるらしい。しかし私の「だるまさん」には、最初から白い目の上に黒い点…というか円があった。入手したときには気づかなかった。偽物を摑まされたのか、そもそも偽物がなんなのかは分からないけど。訳が分からなかったが、ともかく私は「どこかで転ばずに生きていけますように」と思いながら周囲の白かった部分を塗りつぶした。なんとも不気味な見た目だが、方法は合っているはずだ。
続いて「だるまさん」を、目線よりも高い位置に置く。私は、自分の背丈よりもひとまわり大きいクローゼットの上に置こうと思った。が、このままでは純白のクローゼットに赤い色が移ってしまうではないか。私は、その辺に散らかった新聞紙をちょうどいい大きさに畳んで「だるまさん」の下に敷いた。他の人もわざわざこんなことをしているんだろうか。そうだとすれば、なんだか不便だ。
おまけに、大量の防腐剤やら防カビ剤やらを撒いておいた。この部屋は湿気っぽい上に、あくまでも一年間お世話になる御神体だ。カビなんぞに生えられては、バチが当たってしまうではないか。
そんなこんなで一年が過ぎ去った。私は律儀に、毎朝起きると「だるまさん」に向かって手を合わせた。三日坊主で飽き性の私だが、どうしてだかこれだけは続いた。おかげに、いい意味で何事もなかった一年間だった。さすがは「だるまさん」だ。私は、左目の時と同様に右目も黒く染め上げた。
ただ、最後にやるべきことが残っている。「お焚き上げ」だ。一年間お世話になった「だるまさん」やお守りなどの「神のご加護を受けられるもの」を感謝を込めて火に放り込み、神々の世界にお帰りいただく…と何かしらで見た気がするが、正月に食べたおせちのようにスカスカな記憶だ。
例にならって、私も「だるまさん」を炎の中に投げ入れた。「だるまさん」が、段々と表面が炭素になっていき、ぼろぼろ崩れ落ちてゆく様は、見ていて飽きが来ない。
その時、私はすったまげた。崩れた表皮から何か白っぽいものが顔を出していると思ったら、頭蓋骨ではないか。私は感動した。そもそも「だるまさん」は人間の頭を模しているが、内部構造にも工夫が凝らされていただなんて。毎朝欠かさず礼拝をした甲斐があった、神様の隙のないサービス精神には、全く頭が上がらない。
言い忘れていたが、「だるまさん」にはさまざまな大きさやデザインが存在する。例外はあるだろうが、ほとんどが人間によって作られているため、同じように見えても少しづつ違ったりして味がある。ごっついのもあれば、可愛いのもある。飽き性の私にこんなにぴったりな趣味があっただなんて、一年たった今でも無知を恥じている。
皆さんも「だるまさん」を集めてみてはいかがだろうか。ただ、都会だと少し入手しづらいかもしれないけど。
最後まで読んでいただきありがとうございます。