「婚約破棄ですか。書記官殿、記録を」
「フランソワーズ、お前との婚約を破棄する!」
「婚約破棄の申し出、確かにお受け致します、アルフレッド殿下。
書記官殿、今の発言の記録をお願いします」
「はい、かしこまりました」
「まてまてまて!」
とある王国の庭園にある四阿にて。
金髪碧眼の王子が立ち上がりながら声を上げれば、きょとんとした顔で黒髪ストレートの令嬢がその姿を見上げる。
「はて、どうかなさいましたか、殿下」
「どうかなさいましたかじゃないだろうが!
なんでそんなにあっさり受け入れる!
そして、なんで書記官なんぞがここにいる!」
そう、彼らがお茶会をしていたテーブルのすぐ近くには、焦げ茶の髪をした表情の薄い真面目な顔をした文官が一人、立っていた。
先程フランソワーズが出した要望に従って発言内容を記録していた書記官が、顔を上げる。
「殿下、お答えする前に、発言を書き留めたこの書面のこちらにご署名をお願いいたします。規則でございますので」
「くっ、こんな時にまでくそ真面目な……わかった、これでいいのか!」
「ありがとうございます。フランソワーズ様もお願いいたします」
差し出された書面を受け取れば、アルフレッドは乱雑な手付きで署名をする。
それを受け取れば、今度はフランソワーズへと書面を差し出した。
もちろん依頼したのはフランソワーズだ、あっさりと承諾してペンを手に取った。
「わかりました。……これでよろしくて?」
「ありがとうございます。そして先程の問いにお答えいたしますと、私はもう何年もお二人のお茶会ではお側に待機しておりました」
「……は? い、いた、か……?」
きっぱりと断言されて、アルフレッドは記憶を探る。
言われて見れば、いた、かも知れない。いたような気がしなくはない。
だが、侍従や侍女といった使用人達の顔もろくに覚えていないため、はっきりとはわからなかったのだが。
「正確に申し上げれば、3年前の7月からでございます」
「3年前!? な、なんでそんなに長いこと顔を出してたんだ!?」
「わたくしが依頼したからですわ」
「はぁ!?」
二人のやり取りにフランソワーズが口を挟めば、アルフレッドはまた声を上げる。
先程からずっとこんな調子だが、当の本人は混乱のあまり気付いていない。
「な、なんで婚約者同士の茶会に書記官なんぞ依頼した!」
「それはもちろん、殿下がご自身のおっしゃったことを覚えてらっしゃらないからです」
「侮辱するのか! 俺が忘れるだなんてそんなことがあるか!」
「ございました。そして、言った言ってないの水掛け論になりましたから、次回から書記官殿に来ていただいていたのです。
ちなみに3年前の6月にあったことですが、覚えてらっしゃいますか?」
「3年前のくだらん会話なんぞ覚えてるわけがないだろう!」
早速矛盾を口にしたということに気付いていない、その様子にため息を吐きそうになって、フランソワーズは口元を白扇で隠す。
そのいかにも貴族令嬢然とした所作が、ますますアルフレッドを苛立たせる。
「くっ、お前はいつもそうだ! 淡々と感情なくしゃべり、表情をぴくりとも動かさない!
お前との茶会は、いつもいつも息が詰まりそうだ!」
「左様でございますか」
アルフレッドから指を指され、詰られ、しかしフランソワーズの表情は動かない。
パチン、と小さく音を立てて白扇を閉じながら、すい、と静かな視線をアルフレッドへと向ける。
「ですが、わたくしが感情を出さないのは、殿下がそう望まれたからですよ?」
「は? お、俺がいつそんなことを言った!」
「3年前の10月ですわね。書記官殿、写しを出していただけますか?」
「はい、こちらに」
フランソワーズが頼めば、書記官の鞄の中から一枚の書面が出てきた。
そこには、王太子アルフレッドが侯爵令嬢フランソワーズに対して『不愉快だから感情を出すな』と発言した旨が記載され、アルフレッドとフランソワーズの署名も入っていた。
言われて思い返せば、何やら言われてサインをした記憶がなくもない。
彼女の話など完全に聞き流していたから、はっきりとはしないが。
すっかりそのことを忘れていたアルフレッドは、愕然とした表情になる。
「なっ、なんだこれは!?」
「何とおっしゃられましても、その時アルフレッド殿下がおっしゃったことの記録ですわよ?」
「こ、こんな馬鹿なことを、俺が言ったのか!?
いや、こんなものそこの書記官がグルならいくらでも捏造出来るだろう!?」
「いえ、出来ませんね」
見苦しく己の発言を認めないアルフレッドへと、フランソワーズが首を横に振って見せれば、書記官もゆっくりと頷いた。
「フランソワーズ様のおっしゃる通りでございます。
我々書記官は制約の魔法を掛けられており、虚偽の記載をすることが出来ません」
「ですから書記官の残した記録は、証拠として効力を持つのです。貴族の常識でございますけれど……」
呆れたようにフランソワーズが言えば、アルフレッドの顔が真っ赤に染まる。
常識を知らない無知な人間と言われたのだ、仕方ないと言えば仕方が無い。自業自得なのだが。
「お、お前はいつもそうだ! そうやって賢しらに知識を振りかざして!」
「それも殿下がおっしゃったことですわよ? 自分が知らないことを補うのも王太子妃の仕事だと」
「2年前の4月におっしゃっておられますね」
「またそうやってかわいげのないことを! もう少し俺に媚びを売るとかしたらどうなんだ!」
「媚びを売り、すり寄ってくる令嬢達が気持ち悪い、お前もそんなことはするな、とおっしゃったのは殿下ではございませんか」
「こちらは2年前の9月になります」
逆ギレで日頃不満に思っていたことをぶちまければ、二人がかりの見事なカウンターが叩き込まれる。
そんなことを幾度も繰り返せば、アルフレッドでも理解出来てきた。
「おわかりになりましたか? 殿下がご不満だった点は、全て殿下がお望みになったことです。
流石に、ここまで見事に全てお忘れだったとは思いませんでしたが……」
「ぐ、ぐぬぬ……」
呆れかえっているフランソワーズへと、アルフレッドは返す言葉も無い。
言い返そうにも、記入されている彼の署名は、彼の筆跡。ならば、確かにその時発言をしたはずなのだ。
覚えていないが。
しかし、ということは本来の彼女は違うのではないか。
ふと、そんなことがアルフレッドの脳裏に閃いた。
「わ、わかった、それらの発言は撤回する。だから感情を出していいし、媚びを売ってきても構わん。
そうだ、婚約破棄もなかったことに!」
そうすれば、外見はとても整っているフランソワーズだ、きっと魅力的になるはず。
そもそも彼女との婚約によって得た後ろ盾によって王太子になっているのだ、ということにも遅ればせながら頭が回ったのだが。
本当に、遅かった。
「お断りいたします」
きっぱりと言い切ったフランソワーズの声音は、にべもない、のお手本のようなもの。
あまりのつれなさに、アルフレッドは息を呑む。
「そ、そんなこと言わずに、な、頼む! 今まで俺の言うことは何でも聞いてきたじゃないか!」
「それはアルフレッド殿下が婚約者だったから顔を立てていたまでのこと。
婚約破棄を言われた後にまで従う内容とは思えません」
その、今まで以上に冷たいフランソワーズの顔に、アルフレッドは背筋を震わせた。
これは、本気だ。本気で彼女は拒否している。
ようやっとそれがわかったアルフレッドは必死に頭を回し、はっとした顔になった。
「そ、そうだ、書記官! さっきの発言記録を破棄しろ!」
そもそもの発端である婚約破棄の言葉をなかったことにすればいい。
そう考えたこと自体は、知恵を使ったと言って良いのだろう。
浅知恵でしかなかったのだが。
「フランソワーズ様、アルフレッド殿下はあのように要求されておられますが」
「お断りですわね」
「かしこまりました。アルフレッド殿下、申し訳ございませんが、破棄はいたしかねます」
「なんでだよ!?」
きっぱりと拒否されて、アルフレッドは頭をかきむしりながら叫ぶ。
だが、書記官の表情は全く平坦なままで。
「発言記録の破棄は、承認者全員の承諾が必要となります。
フランソワーズ様が断られましたため、破棄の条件が満たされておりません」
「お、俺は王太子だぞ、これは王太子命令だ!」
「残念ですが、これに関しては陛下のご命令であってもお断りすることになっております。
そうでなければ、臣下の誰も発言をしなくなりますから」
国王の鶴の一声で発言がなかったことになる、となれば、建設的な提言をする者は減ることだろう。
何しろ、彼らの提言による手柄が、全て国王のものになってしまう可能性があるのだから。
それを危惧した建国王が、書記官とその記録の独立性を強いものとして制定していた。
図らずも、それが今、こうして機能してしまった形になっている。
ちなみに、そんな強い独立性を持つ書記官だが、就くのは子爵家以下の者が多い。
高位貴族の場合、虚偽の記載が一生出来なくなる、ということが色々な場面で邪魔になることがあるためというのが、冗談半分ではあるものの、一般的な通説である。
そして、下位貴族がそんな権限を持っているからこそ国家の健全性が保たれているのだ、とも。
だから、一方的な宣言をしたアルフレッドが、今こうして窮地に陥っているのだが。
「な、ならっ! 俺が婚約破棄を撤回したと記録しろ!」
「それは、お望みとあらばいたしますが……」
「その後わたくしがお断りしたことも記録してくださいましね?」
「はい、かしこまりました」
アルフレッドの要求に、書記官はちらりとフランソワーズに視線を送り。
それを受けたフランソワーズが追記を要求すれば、書記官は快く頷いた。
「なんでそうなるんだよ!?」
たまったものでないのはアルフレッドである。
婚約破棄を撤回すれば元通りになる、と甘く考えていたのだが、現実は甘くない。
「今回の会話でしたら、アルフレッド殿下が発言したことに対してフランソワーズ様が返答した内容までを一連の会話として記録するのは至極当然のことかと思いますが」
「だ、だから、そこは忖度して!」
「いたしかねます。それは虚偽の記載とほとんど変わりません」
素っ気なく答えながら、書記官はさらさらと発言内容を記録し、アルフレッドへと書面を差し出した。
「それでは殿下、ご署名をお願いいたします」
怒りとも焦りともつかぬ顔で書面を睨んでいたアルフレッドは、しばしの沈黙の後に、顔を横に背ける。
「拒否する! 俺は、そんな会話は承認しない!」
と、せめてもの抵抗とばかりに宣言したのだが。
「左様でございますか」
と、書記官の反応はあっさりとしたものだった。
肩透かしを食らったアルフレッドが間抜けな顔になっているのを気にした風もなく、書記官はフランソワーズへと署名を求め、フランソワーズはあっさりと署名をした。
「まて、俺はそんな会話は承認しないぞ! 承認しなければ無効だろ!?」
「いえ、無効とは言えません。侯爵令嬢であるフランソワーズ様が承認なさいましたので、フランソワーズ様の発言は存在したことになります」
「この場合、わたくしはこのような会話があったと認めて、殿下は認めていない。
書記官が記載したことですから虚偽ではございませんし、殿下が立ち去った後なり、殿下が居ない時に作成されたものと見られるのではないかと」
「え、ちょ、ちょっとまてよ……?」
二人の言うことを、時間を使って考える。
何か、とても拙いことをしてしまったような。
アルフレッドは、恐る恐る顔を書記官の方へと向ける。
「ということは、俺が婚約破棄撤回を求めたことは、断られた俺がその場から逃げたような形になって?」
「はい、現時点では、アルフレッド殿下はフランソワーズ様に婚約破棄を告げた、というところまでがアルフレッド殿下が公的にお認めになった発言となります」
「な、なんだとぉ!?」
書記官に言われ、アルフレッドは驚愕し、硬直する。
そして、理解した。この時点で詰んでいるのだと。
いや、なんなら最初の記録に署名した時点で、この結末は確定していたのだと。
「ですから、この2枚目に署名をしなければ失言の結果から逃げる腰抜けのそしりを受けることになるかと。
署名をすれば、潔く振られたことを認めた男、まだましな男と思われるかも知れませんわよ?」
そうならないかも知れないが。
もちろんフランソワーズは、そんなことを馬鹿正直に言うような女ではない。
淡々と言われ、二択を迫られ。
がくりと肩を落としたアルフレッドは、2枚目の記録にも署名をした。
己の失言の結果にショックを受けてとぼとぼとアルフレッドが去って行った後、フランソワーズは新たに淹れなおしてもらった紅茶を手に、くつろいでいた。
「……お陰様で、何もかも上手くいきましたわ。ありがとうございます」
「はて、何のことでしょう?」
フランソワーズが礼を言えば、書記官はとぼける。
だが、表情からして彼もわかってやっていたのだろう。
「出していただいた記録、いずれも、わたくしが殿下に言わせるよう誘導したことが書かれておりませんでしたわね?」
「それは致し方ないことかと。私達書記官は虚偽の記載は出来ませんが、全て記載する義務もございません。物理的に不可能ですしね」
少しばかり砕けた様子を見せたのは、王太子であるアルフレッドがいなくなったからだろうか。
実は、決まって先にアルフレッドが帰った後の、少しばかり気を抜いたこの時間がフランソワーズの憩いの時だった。
「殿下ももう少しじっくり書面を見ていれば、わたくしの有利になるよう会話を切り取られていると気がついたでしょうに」
「そこで気がつかれるようでしたら、そもそもこういった事態にはなっていなかったかと」
「ふふ、それもその通りですわね」
小さく笑って、紅茶で唇を湿らせて。
それからフランソワーズは、ゆっくりと長く息を吐き出した。
「ただ、本当に、わたくしに有利になるように……わたくしの意図をよく汲み取ってくださった方の切り取り方だな、と。
つまり、わたくしのことをよく理解してくださっている方による記録だなと思っていたのですが……違いますか?」
「さて、私には何とも。何しろ、フランソワーズ様のお心を覗き見るような魔法は持っておりませんので」
「まあ、意地の悪い」
真面目くさった顔の書記官の言葉に、フランソワーズはくすくすと笑って。
それから、少しばかり表情を改める。
「では……わたくしの心をお伝えする機会を作りたいと言えば、お時間をいただけますか?」
「それはもちろん、喜んで。……その際には、私からもお伝えしたいことがございますが、よろしいでしょうか」
「ええ、是非ともお聞かせいただきたいわ。そうね、王家との話し合いが終わってからになるでしょうから……」
フランソワーズが、笑顔の花を咲かせる。アルフレッドには見せたことのなかったそれを。
王家も簡単には首を縦に振らないだろうが、きっと大丈夫。
何しろ優秀な書記官殿がこれでもかとばかりに証拠を揃えているのだ、王家に反論の余地など微塵も残っていないことだろう。
「面倒事が終わったら、ゆっくりお話しさせてくださいましね?
書記官殿……いえ、レガート様」
急に名前を呼ばれて、書記官……レガートが言葉に詰まる。
今までは職務上のやり取りでしかなかったところにいきなり、なのだから、それも仕方ないと言えば仕方ないだろう。
「はい、こちらこそ、お話ししたいことは山ほどありますから」
3年もの間フランソワーズを見続けて、抱え込んできた気持ちはどれほどのものか、是非知ってもらおう。
その時間を作るために、今までがあったのだから。
密かに焦がれていた女性へとついに手が届いた彼は、初めて心からの笑顔を見せた。
後に、とある侯爵家に子爵家次男の書記官が婿入りすることになる。
その婿殿は誠実でありながらも頭が回り、言葉の選択が実に巧みで嘘が吐けないことなど何の足かせにもならなかったとか。
同じく優秀な侯爵令嬢だった妻とともに侯爵家を盛り立て、傀儡王とまで呼ばれたアルフレッド王の治世を取り仕切ったとも言われる。
だが、その裏にあった様々な真なる事実は、今となってはもう。誰も知ることがない。
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