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第2話 ガキの使い魔

 銀色の針葉を茂らせる深い森の中は、真夜中でも騒がしい。


 木の枝にぶら下がり、ぼんやりと発光する腹で虫を集める灯籠蝙蝠。

 一列になって枯葉の上を駆け回る輪鼠の群れに、金属めいた鳴き声を上げる鎧烏。木の幹を這う泡虫や捻れ蜥蜴。

 樹洞の中で低く唸るは乳狒狒か苔斑点か。

 獲物を求めて垂れ下がる毒蔓を、少年はナイフで切り落としながら道を作る。


 ホロフォリアの居城を出てから約一昼夜。

 ハーギットは人目を避けながら走り続けていた。

 普段と変わらぬ白いひだ襟の付いた黒スーツ姿。外から見える持ち物は刃渡り20cmほどのナイフと、腰のベルトに結んだ一冊の分厚い本だけである。

 食事も睡眠も取らずひたすらに駆け続けた彼は今、城下に近い山中まで進んでいた。

 このペースであればあと4、5時間で目的地へ到着するだろう。

 ハーギットは木の葉の間にちらつく下弦の月を見上げる。それから彼はスーツの胸ポケットに手で触れ、収められた四角い紙の感触を確かめるように指でなぞった。

 それは1人の少女の写真である。

 出発直前、ホロフォリアから思い出したように投げ渡されたものだ。



 今より20年前のこと。

 魔女ホロフォリアは1人の女と契約を交わした。

 自らの魔具を与え、女の復讐を助ける代わりに、のちに産まれるであろう女の子供を貰う。

 紛れもない『魔女の契約』である。

 魔具『望みの画布』の力で絶世の美貌を手に入れた女は果たして、かつて自分を貶めた女達を地獄へ落として回った。

 更にそれでは飽き足らず、美しさを武器にのし上がった結果、なんとこの国の王妃にまで上り詰めたという。

 そして魔女の予言通りに。

 女、ヨイドは国王との間に子を儲ける。

 王家ミツクジの姓を継ぐ娘。

 それがこの度のハーギットの目的、今年15歳になるスクミ姫である。


 つまりハーギットの任務とは。

 一国の首都、その中心に位置する鉄壁の王城へ忍び込み、国王妃ヨイドに接触する。そして娘スクミを受け取り、彼女を連れた状態で城から脱出。それから可及的速やかにホロフォリアのもとへと戻る。

 以上を余計な者に見つかることなく、極力穏便に済ませること。

 である。


 ハーギットは概略こそ把握しているものの、その方法についてはまるで考えていなかった。

 なにしろ今まで命じられてきた使い走りとは規模が違い過ぎる。

 彼が主ホロフォリアに仕えてからは、まだ10年ばかり。その働き振りは優秀だったが、恐ろしく寿命の長い魔女の使い魔としては、まだまだ歴が浅い。

 ましてや今回の任務に活かせるような経験は持ち合わせていなかった。


 一体どのような策を用い、いかにしてヨイドに会ったものか。

 城への侵入方法や、ヨイドの位置の把握、娘を連れての脱出経路。


 否。

 策を考えなければならないのはこちらだけではない。

 ハーギットは考えを改めた。

 ことを隠密に済ませたいのはヨイドも同じなのだ。

 なにせ向こうは魔力で美貌を手に入れ、王に嫁いだ女である。王家にしてみれば、聖なる血を穢した大悪女ということになる。

 よって、もしヨイドの素性がバレた場合、現王妃といえども極刑は免れないだろう。

 むしろ彼女のほうが、秘密裏に契約を済ませてしまいたいはずだ。

 ある朝とつぜん娘が消え失せ、何もわからず涙に暮れる憐れな王妃、を演じるのがヨイドの最も楽で安全な道だろう。

 ことを荒立てたくない意思が双方で一致している以上、この取り引きは問題なく完了する。

 おそらくヨイドは、何らかの接触方法を用意している。

 気が利いていれば、手足を縛り上げた娘に持ち手とリボンを付けて待っていてもおかしくはない。

 そうハーギットが考えをまとめ、走る速度を更に上げたとき。

 前方で轟く不審な音が、彼の耳に入った。



 そう近い音ではない。

 彼の進む先、おそらく1kmほどの位置であろう。

 ドオンという空気の震える響きのあとに、ガラガラと木材の崩れる音が聞こえた。

 真夜中の森に突如届いたその音に、夜光コウモリ達が腹の灯りを一斉に翼で隠す。

 森は暗闇に包まれた。


 ハーギットは瞬間的に身構え周囲を警戒するが、足は止めない。夜目の利く彼は、木の根ののたくる苔むした地面を走り続ける。

 一体、今の音は何だったのか。

 大木が勝手に倒れたようでも、大型の獣が暴れたようでもない。人の手で作られた何かが壊された音のように、ハーギットには聞こえた。

 この夜闇の中、活動している何者かがいるのか。

 だとすれば、そこには近づかず道を迂回すべきかとハーギットは考える。できる限り人間には見つかりたくはない。

 しかし彼は直進することに決めた。

 音の正体を確認しておきたかったためである。任務遂行のためには、城下に入る前に少しでも情報を得なければならない。もし人間がいても、こちらの姿を見られなければいいのだ。

 ハーギットは跳躍した。音を立てないよう、木々の枝を足場に跳び進む。


 やがて、唐突に森が終わり、彼の目の前に開けた土地が現れる。

 とはいえ人里には程遠い山中である。そこは森の間を縫う川の岸辺だった。

 幅10mほどの川は浅く、水面から岩の頭がそこここに突き出している。河原を覆う桃色の砂が、月光に照らされ鈍く輝いていた。

 銀葉の茂る枝から周囲を窺いながら、ハーギットは耳を澄ます。

 緩やかに流れる水の音以外には何も聞こえない。

 いや。

 微かな息遣いが、どこかから彼の鼓膜に届いた。

 苦しげな、途切れとぎれのその吐息は、どうやら人間のものではない。

 ハーギットは静かに岸辺へ降り立つと、上流に向かって歩き出す。

 川は緩やかなカーブを描き、遡る先は対岸の森に隠れて見えない。カーブの向こう側は切り立つ崖がそびえ立つ。この浅い川は崖と森に挟まれるように上へと続いているようである。そしてこの先に何かがいる。

 黒衣のハーギットは闇に溶け込みながら慎重に歩を進め、そして川に沿って右へと曲がった。


 果たして、そこには1台の馬車が倒れていた。

 川の中に横たわるその馬車は大半が無残に砕け、幌や車輪の残骸が辺りに飛び散っている。それに交じって襤褸布のように転がる人間達。その影は4つだが、動く者はいない。

 少し離れたところには、一頭の黒馬が伏していた。後ろ脚が折れ、腹の周囲の水は赤く染まっている。辛うじて生きてはいるが、もう立ち上がることはできないだろう。

 不規則に震える息遣いの正体は、この馬であったらしい。

 ハーギットは上を向く。

 視界を覆うのは、川の左手に沿って立つ直角に近い山肌である。その高さ20mほどの位置に切れ目のようなものが見えた。

 山道だ。急斜面の崖の途中を平らに切り取り、道路が作られているのだとハーギットは気が付いた。

 下から見て取るに、おそらく道路は狭い。幅3、4mといったところだろう。更に、彼のちょうど真上辺りは山肌に沿って大きく曲がっている。

 以上のことからハーギットは、馬車は山道から落下したものと推察した。

 この真夜中に走行していた馬車は、よほど速度を上げていたのか、カーブを曲がりきることができなかった。そして狭い道からはみ出し崖から落下。下を流れる浅い川に激突し粉微塵になったのだ。

 先ほどの大きな音はそのときのものと思われた。

 ハーギットは川面に投げ出された人間達へと近づく。

 1人は年老いた男だった。黒いブーツに外套、すぐ近くに転がるシルクハットと馬用鞭から、おそらく御者であろう。

 次は2人の若い女。揃いの長いコートは地味なものだが、下からはみ出るドレスには幾重もの装飾が施されており、高貴な身分の人間であるようだった。2人とも強く地面に身体を叩きつけられたらしい。四肢が不自然に曲がり、顔は潰れて血塗れだった。鼻はひしゃげ、裂けた唇からまばらになった歯が覗いている。元の相貌は伺うことができない。

 そして最後の1人。

 これも女だった。他の2人と衣装は同じだが、崖の斜面で擦られたらしく、あちこちが破れ血で濡れている。しかし、川ではなく岸辺の草むらに落ちたことで、落下の衝撃が和らいだようだ。

 うつ伏せの背中が小さく波打っている。意識はないが、彼女だけが生きている。

 真上から見下ろすハーギットは、女の腹の下につま先を差し込むと、仰向けになるようひっくり返した。

 ウェーブのかかった長い髪がかかり、顔が見えない。

 ハーギットはしゃがみ込むと、手袋をはめた指で彼女の髪を掻き分ける。

 露わになった女の顔は、右頬にかすり傷がある以外は綺麗なものだった。14、5歳くらいか。月光に照らされる、ふっくらとした白い肌、閉じられた目蓋に並ぶ長いまつ毛。小さな唇。

 ハーギットは、少女の額に指を当てたまま固まった。

 この顔は。

 彼の胸ポケットに収まる写真の少女。

 現ヒノモトの国の王女、ミツクジ スクミに他ならなかった。

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