完全犯罪
この時間は剣道部のいる武道場だろう。僕は学校から十分離れた場所に降り立つと翼を仕舞って歩き始めた。天使に見られたら言い訳のしようもない。
「確かに深刻だな。」
僕は呟く。これは悪霊だ。放っておけば数日のうちに事故死するだろう。よくも涼しい顔で過ごせるものだ。もう彼女には僕が見えるかもしれない。これ以上近付くのは危険だ。
彼女を助ける方法は一つしかない。しかし、それを行えば僕は紗里を守れなくなる。死神の力が強まり、周囲に発覚しやすくなる時期に紗里を守る死神がいなくなると、間違いなく紗里は死んでしまう。
天使ならばあの悪霊を浄化出来るはずだ。でもタイミングが良すぎる。それを見越して悪霊を憑りつかせ、除霊を頼む人を炙り出そうとしているのだとしたら…。
「どうだった?」
紗里は気遣わしそうに尋ねる。僕は返答に詰まった。それを見て紗里は察したようだ。
「そんな…。」
「僕が何とかしてみる。だから紗里は僕を信じていつも通りに振舞って。いいね?」
紗里は頷く。何とか出来たらいいのだが、あの天使が余程馬鹿であることを祈るしかない。
僕はそのまま黒木家に向かう。最善策は翔ちゃんが自分であの天使に除霊を頼むことだ。白を切るかもしれないが、天使が故意に人を殺すことが知られたら立場が危うい。助言した者がいると気付けば助けてやるかもしれない。
「参ったね。どうも馬鹿ではないようだ。」
魔除けの結界が張ってある。下手に侵入したらそのままお陀仏だ。そして、わざわざ民家に魔除けの結界が張ってあるということは、当然あの悪霊は天使が憑りつかせたものだろう。どっちが悪者だか分からない。
学校で翔ちゃんと話すことは勿論不可能だ。そんなことをすれば、その場で天使に僕の姿を見られる。部活にも帰り道にも天使がいるだろう。或いは翔ちゃんの持ち物の中に魔物を検知する物が仕込まれているかもしれない。
正攻法では駄目だ。僕は死神らしく対策を考えよう。
どうしよう。翔の後ろにいる霊が益々はっきりしてきている。死神は何とかするなんて言っていたけど、まさか見捨てるつもりなんじゃ…。そう思って気をもんでいると、先生が教室に入ってきた。
「皆さん、席に着いて下さい。昨晩、とても痛ましい出来事がありました。三組の山田君が車に轢かれて亡くなったそうです。どうか皆さん、くれぐれも交通事故には気を付けて…。」
三組の山田と言えば、クラスの中心的な存在でとても目立っていた。こんなに呆気なく死んでしまうなんて…。翔を失うのではないかという恐れが一層強まる。
「翔ちゃん、最近変わったことはない?」
「急にどうしたんだよ。変わったことって?」
翼が近くにいる。下手なことは言えない。
「そういえば、肩が重いな。家に帰ると特に。」
家に帰ると特に?家の中にも浮遊霊がいるのかな。でもまだ肩が重い程度なのか。
「もう部活に行かないと。じゃあな、紗里。また明日。」
「ねえ、今日は部活をサボって帰らない?嫌な予感がするの。」
翔は不思議そうな表情で私を見詰める。
「わりーけど、大会が近いんだわ。また今度な。」
私は翼の疑わしそうな表情を見て、それ以上何も言えなかった。どうしよう。私に出来ることはないかな。私がいくら考えても、どうすることも出来ないということしか分からなかった。
「嘘吐き。まだ霊が翔ちゃんに憑りついたままじゃない。」
「すぐにどうにか出来る相手じゃないのさ。まだ翔ちゃんは死なないよ。僕には分かる。きっと助けるから、もう少し待ってね。いい?」
私は頷くしかなかった。人間である自分には何も出来ない。
翌朝、翔の背中にいるそれは、無数の細い手を翔の首周りに伸ばしていた。もう限界だ。私は翔の話にも上の空だった。今日は学校を早退して、死神に翔を助けるように頼み込もう。
「今日も悲しいお知らせです。このクラスの高橋と渡辺が亡くなったそうです。両方事故のようです。高橋は階段から落ち、渡辺は窓から落ちたそうです。事件性は低いようですが、あまりに立て続けだから、警察が事情を訊くかもしれません。」
死神の仕業だ。どういうこと?霊は相変わらず翔の背に憑いている。何のためにこのクラスの人を殺したの?
昼休みに翼はこっそりと校舎裏に向かった。私は後をつけて盗み聞きした。