第四話 鹿狩り
季節は晩夏の頃、照り付ける太陽の下を森に向かって街道で馬を走らせる。
僅かに滲んで出た汗が、駈け足で受ける風に当てられて気持ちが良い。
肩に担いだライフルの重みにも既に慣れて、馬の背に揺られる事も苦にならない程度に順応している。
「・・・」
時折、空を旋回する鷲の鳴き声が聞こえて、耳許を羽虫が通過する。
非常に牧歌的で、昔に見た映画の中にでも居るかの様だ。
「っと・・・」
揚々と馬を走らせていると、視界に写る道の先に荷馬車が此方に向かってきているのが見えた。
俺は手綱を軽く引いて速歩にさせると、その荷馬車と擦れ違う為に右に寄せる。
そして暫く歩かせると、荷馬車の方から声を掛けてきた。
「おーい!」
荷馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。
それに合わせて俺も馬の速度を更に遅くして並足で向かう。
「やあトーゴ。コレから狩りか?」
「どうもビンスさん。ええ、ウィリアムさんが鹿が食べたいと言いまして」
荷馬車の御者席に乗っていたのはビンス・バーナードさんだった。
ビンスさんは大きな牧場を持っていて、主に乳製品と牛肉を売って生計を立ってている。
歳は40歳で、この辺に多い白色系、とても体格が良く、また大の大酒飲みで有名だ。
「ビンスさんは如何したんですか?」
「ああ、実は最近、牛が盗まれてよぉ」
「はあ・・・牛泥棒ですか」
ここに来て一年だが、牛泥棒にはまだ会った事が無い。
ウィリアムさん曰くでは、この辺はそう言う夜盗の類いは少ない地域なのだそうで、ビンスさんも余り厳重には警戒していなかったと言う。
「二頭ばかり盗られただけで済んだんだが・・・まあ、うちの牛が盗られてんだから気持のいい話じゃねぇ」
「ですね」
「んでよ。街の方に行って兵隊さんに頼んで見たんだけど、コレがウンともスンとも言わねぇんだ」
基本的に治安維持や犯罪等の対処は軍隊がやっている。
街には衛兵隊の詰め所が置かれていて、そこに居る衛兵が犯罪の取り締まりを行う。
だが、街から離れていたり、或いは面倒臭そうな案件だったりすると、衛兵隊が小規模だと真面目に取り組んでくれない事が多い。
「彼奴ら、自分が本国人だからって足下見てやがる。全く気分が悪い話しだ」
「それで、如何するんですか?」
「俺の牛が盗られたんだ。衛兵が役立たずなら自分で何とかするしか有るめぇよ」
そう言ってビンスさんは荷馬車に掛けていた布を捲る。
「コレは・・・」
荷馬車には木箱が二つと袋が二つ乗っていて、ビンスさんが更に木箱の片方を開けると、中には数挺のライフルが並んでいた。
「コイツで牛泥棒に思い知らせてやるんだよ」
ビンスさんは一丁のライフルを手に取って笑った。
「牛泥棒に同情したく成りますね」
「ははあ!違ぇねぇ!」
恐らくはもう一つの木箱にも銃が入っているだろうし、ビンスさんの牧場にはビンスさん以外にも多数の男手が居る。
この辺りの男手は大概は狩りやら何やらで銃の扱いに手慣れた人達ばかりで、中には元軍人もいたりするのだから、コレではちょっとした傭兵団の様だ。
ほんの2、3人程度の牛泥棒では、直ぐに蜂の巣にされるだろう。
「トーゴも、何か有ったら手伝ってくれよ。お前さんは牛の扱いは今一だが、銃の扱いはウィリアムさんに次いで良いんだからな」
「じゃあ、その節には、微力を尽くさせて頂きます」
「おう!・・・っと、そろそろ行かねぇとな。じゃあ、またな!」
そう言うと、ビンスさんは馬車を走らせ始めた。
俺はその背中を暫し見送ってから、再び馬を走らせる。
「牛泥棒か・・・」
もしかしたら近々呼ばれる事に成るかも知れない等と思いつつ、俺は森へと向かった。
ビンスさんと話して暫くして、漸く目的地の森に到着する。
何時も通りの場所に馬を繋いだ俺は、乗せていた荷物を取り出して、それからライフルに弾を込める。
銃口から火薬を流し込んで、次にどんぐり型の、底が窪んだ弾丸を入れて、銃から取り外した突き棒で確りと押し込む。
それから、銃の手元近くの撃鉄を少し起こしてハーフコックにする。
ハーフコックの状態のままで、腰のポーチから取り出したパーカッションキャップと言う雷管を、撃鉄の打ち下ろされるニップルに装着する。
コレで準備は完了だ。
このままでは撃てないため本来は撃鉄を更に引き起こしてフルコックにしなければいけないのだが、獲物が見付かるまでは安全の為にハーフコックにしておく。
正直、この辺りは意見が分かれる所で、ハーフコックではいざという時、突然、目の前に獲物や場合によっては猛獣や盗賊などが現れた時に対応できないと言う人も居る。
また、常にフルコック状態では咄嗟の時、人が目の前に出た時に偶発的に引き金を引いてしまったり、または打つけたり落とした瞬間に暴発する可能性があって危険だと言う人も居る。
ウィリアムさんはハーフコック派で、曰く、咄嗟の時に直ぐにフルコックにして引き金を引けば問題ないと言う。
まあ、他の人曰く、そんな事が出来るのはウィリアムさんくらいだとも言う。
俺は教えてくれたウィリアムさんの教えを守ってハーフコックにしておく。
やはり、人が現れたりした時に驚いて撃ってしまって殺してしまったでは、どうしようも無い。
「よし」
荷物の確認は済んだ。
今日の目的の鹿は大体森の奥まった所の少し開けた辺りに居る事が多い。
若い牝鹿でも居ればそれに越した事は無いが、ウィリアムさんは年老いた大きな牡鹿だろうが気にせず食べる人だし、ナンシーさんも、そう言う鹿でも美味しく調理してくれる。
そう思うと変に気負わなくて気楽なものだ。
「・・・」
森に入る瞬間、この瞬間に息を殺す。
外から見れば何の変哲も無い、ただの樹木の生い茂る森の様でも、入り込んでみると、そこかしこに俺を殺すための殺意に溢れた魔物が潜んでいる様に思えてくる。
昼間、太陽は真上に輝いているのにも関わらず、森の中は薄暗い。
鬱蒼とした濃緑色の世界は、温暖で比較的乾いた空気の外界とは違って、湿り気を帯びた重苦しい空気が渦巻いている。
この中で既に完成されている世界に、俺と言う外からの侵入者が入ると言う事は、それは自分以外の全てが敵であると言う事と同義である。
一歩踏み込む度に慎重に足下を確認する。
次に踏み込む場所は果たして本当に地面なのか、次の瞬間に身を置く空間が間違いなく安全なのか、神経を張り詰めて未知の世界に入り込んで行く。
「・・・」
慎重に、周囲を見渡して観察する。
以前に来た時との違いは無いか、何か見落としている危険の予兆は無いか、何度も確認する。
ライフルは腰だめに持って取り落とさない様に気を付ける。
腰に差したナイフとトマホークには常に気を使って存在を感じ続ける。
鳥の歌うのを聞いて、虫の羽音を聞いて、そしてガサリと言う小さな葉っぱの擦れ合う音を聞き分ける。
「コレは・・・」
俺はある物を見付けて木陰に隠れる様にしゃがみ込んだ込んだ。
木の根本の近くに散蒔かれる様に落ちているそれは、黒くて小さな丸い物。
臭いは特にない。
固くて潰れたりもしない。
「・・・」
俺は体制を変えずに周囲を見渡した。
俺が見付けたのは鹿の糞だ。
遂最近までこの辺りを鹿が通っていた。
水分が大分抜けているから、今さっきと言う事は流石に無いだろうが、しかし、獲物が近いのは確かの様だ。
「・・・」
ここから俺は更にゆっくり、慎重に進む。
時折、地面を確認しては痕跡となる糞や足跡を探し、耳を頼りに目に見えない場所の気配を辿る。
幸運にも今は風は吹いていない。
風があれば、その風向き如何によっては大回りしたりしないといけないのだが、無風の今ならば、そこまで過敏にならなくても済む。
「ん・・・」
また糞を見付けた。
それも今度はさっきのよりも新しく、しかも近くには蹄の後も残されている。
「・・・」
側によってマジマジと確認すると、蹄の痕はそれなりに大きく、また数も少ないため一頭だけだと辺りがつく。
恐らくは牡鹿だろう。
蹄の深さから見ても、中々に大きい立派な鹿の姿が想像できる。
「沢の方だな・・・」
鹿の蹄はこの先にある沢を目指している。
若しかすれば水飲みをしている所を狙えるかも知れないと、流行る気持ちを抑えて沢へと脚を勧める。
細心の注意を払って、足音を立てない様に、しかし出来る限り急いで向かう。
ライフルを握る右手にジワリと汗が浮かぶ。
「・・・つ」
沢の周りは一気に植物が無くなって視界が開ける。
そこまで行くと直ぐに見付かってしまうので、沢に近付くと一旦止まって心を落ち着ける。
それから慎重に、風向きを感じながら沢の方を覗き込んだ。