第三話 日常
ウィリアムさんとナンシーさんの二人に出会って一年が経った。
あの翌日には俺の眼も回復して、漸く二人の姿を確りと見る事が出来た。
ウィリアムさんは髪の殆どが白髪になった60程の歳の頃で、年齢を感じさせない体格の良い人だった。
その奥さんのナンシーさんも、やはり同じくらいの歳の様で、髪は幾分白髪の混じった濃い茶色をしている。
二人は夫婦で農場を営みながら暮らしているそうで、野菜や林檎を育てている。
農場には他にも農耕馬と乳牛、山羊、鶏、と言った様々な家畜も居て、二人は日夜、忙しそうに働いている。
俺は、最初の1週間は満足に身体も動かせずにいたのも有って、ただ、お世話になるばかりだったのだが、流石に心苦しくなって、ウィリアムさんに手伝いを買って出た。
ウィリアムさんは、手伝ってくれるなら遠慮はしないと言って俺の申し出を快く受けてくれて、その日から俺は農場の仕事を始めた。
「おーい!そろそろ昼にするぞ!!」
「ういっす!!」
ウィリアムさんに返事を返した俺は、手に持っていたフォークを藁山に突き刺して、顔の汗を手拭いで拭う。
今日は空も高く何処を見渡しても雲一つ無い青空が広がっている。
果たして今日の昼食は何かと思いながら家に向かう。
その途次に、俺は今の自分の情況の事を考えた。
この一年で分かったのは、ここが日本では無いと言う事と、現代では無いと言う事、そして、地球上ですら無いと言う事だ。
ウィリアムさんやナンシーさんから聞いた事によれば、今、俺が居るのはイーステン帝国と言う国の西の果ての辺境地、ニューウェステバリスと言う場所らしい。
ニューウェステバリスは広大な帝国の領土の外側に存在する属州の一つで、多数の入植者の子孫が集まった州らしい。
季候は温暖で、一年を通して農作物の取れる肥沃な大地を持ち、多くの収穫物が帝国本土へと運ばれる巨大な帝国の食糧消費を支える耕作地だそうだ。
ニューウェステバリスと言う名前は、元々はこことは別の土地に有ったウェステバリス王国が帝国に攻め滅ぼされて、そこの住民を無理矢理移住させた事によって作られた州だ。
ニューウェステバリスの他にも、近隣の州は大概が似たような境遇の移民による属州ばかりで、感覚的にはローマの隣に合衆国が有って、植民地化されている様な感じだ。
ここまで来れば、俺も自分の置かれている状況と言うのが、少しは理解できてきた。
要するに、俺があの時一番有り得ないと思っていた馬鹿らしい情況が本当の正解だったと言う事だ。
「・・・信じられない」
そう、未だに信じられない。
だって、平和な日本でくれして居た高校二年生が、いきなり訳の分からない異世界に転移させられて、農業をやっているのだ。
そう簡単に信じられて堪るものか。
とは言え、カーター夫妻には大変に世話になっている事だし、例えコレが俺の夢や妄想の産物だったとしてもだ。
その恩を返さないわけにも行かない。
俺は何時かこの夢が覚める事を願いながら今日も汗を流す。
「おう、来たか!それじゃ早速食おう!」
何だかんだと考え込みながら歩いた俺は、少しゆっくりめに家に辿り着いた。
既にウィリアムさんもナンシーさんも席に着いていて、テーブルには食事が用意されている。
「お待たせしました」
「ご苦労様。さ、食べましょう」
優しく微笑んでくれるナンシーさんに促されて、俺は席に着いた。
「今日の昼は・・・パイか」
出されたのはナンシーさん特性の大きなパイだ。
分厚くかみ応え抜群のドッシリとした生地の中には、たっぷりの自家製の林檎が入っている。
この農場で作られたバターが生地に練り込まれていて、更には林檎にもタップリと塗られている。
デザートに食べるお菓子と言うよりは、腹に確りと溜まるご飯と言う趣だ。
「いただきます」
正直言って、日本に居た頃は余り使って居なかった挨拶だが、ここに来てからは毎食必ず言っている。
何故かは知らないが、言わないと行けないような気がする上に、気分的に気持が良いのだ。
「お前のその祈りは不思議だな」
ウィリアムさんが笑いながらパイを頬張る。
フォークを使って大きく着られたパイを大きな口で頬張る様は、何とも様になっていた。
俺も同じようにフォークを使ってパイを一口大に分けて、それから口に運ぶ。
分厚い生地はサクリと言う風には行かず、しっとりとして何方かと言えばナンかピザ生地を噛んだ様だ。
その生地に包まれた林檎は、熱を通して甘みの増した酸味の強い味で、僅かにシャキッとした食感が残る。
甘みの大部分は蜂蜜が元で、コレが酸味の強い林檎と良く合わさって大変に美味しい。
「どう?トーゴ」
「美味しいです」
尋ねられて直ぐに感想を言うと、ナンシーさんは嬉しそうに口許を綻ばせた。
「ナンシーが作ったパイだ
!美味いのは当然だろ!」
ウィリアムさんも嬉しそうに笑いながら、パイのピースを次々と口に運ぶ。
その様子を見るナンシーさん、本当に嬉しそうで、自分が食べるのも忘れる様にウィリアムさんを見詰めている。
この夫婦は本当に仲が良い。
二人には子供が出来なかったそうで、更にはウィリアムさんも若い頃は仕事で家には殆ど帰ってこなかったらしく、ナンシーさんは旦那さんが直ぐ近くに居るのがとても嬉しいのだと、以前言っていた。
「トーゴももっと食べて。沢山有るから」
「はい」
ナンシーさんは本当に俺に良くしてくれる。
何時も美味しいご飯を作ってくれて、服が破れているのを見付けると嬉々として繕ってくれるのだ。
少し申し訳なく思うのだが、ウィリアムさんはやりたいようにやらせろと言う。
それは二人とも口には出さないのだが、子供が出来なかった事が関係している様に思える。
ナンシーさんが暇を見付けては服を作って俺に着させるのは、何と言うか、日本にいた頃に母親が、服屋で服を買ってきては着て見ろと言うのと似ていた。
きっと、ナンシーさんもそんな風に普通の親子の様に暮らしたいと思っていたのでは無いだろうか。
その思いを少しでも叶えてあげられて居るのなら、それで良い気がするのだが、同時に、少し騙している様な気分にも成って複雑ではある。
「美味しい?」
「はい」
だが、嬉しそうに毎回美味しいかと聞いてくるナンシーさんを思うと、やはり応じずには居られなかった。
午後になってから少しして仕事が一段落する。
元々、この農場では自給自足分の野菜類しか育てては居らず、基本的にはそこまで忙しくは無い。
家畜の寝床の藁の入れ替えも終わって、牧草の刈り取りも終わって、今は特にやる事は無い。
そうするとウィリアムさんは決まって酒を持ちだしって家の前に安楽椅子を置い酒盛りを始める。
ナンシーさんも掃除洗濯も終わらせて、夕食の時間までの暇を見付けて服などの繕い物をする。
「おうトーゴ。今日は鹿が食いてぇな!」
ウィリアムさんがそう言うのが、狩りの合図だ。
俺はスッカリと慣れた手付きで、家の中の物置に入っていて古びた木箱からライフルを取り出す。
長さは凡そ140cmの木製銃床のライフルで、側には刃渡りが30cm以上はある銃剣も置かれている。
俺は箱の中身のライフル一丁と刃渡り25cmの大振りのナイフ、全長40cmのトマホーク、それと弾薬と雷管の入ったポーチを取りだしって身に着ける。
前まではウィリアムさんと一緒に狩りに出る事も多かったのだが、ここ最近は俺一人に任せる事が多い。
ちょっとだけ寂しい様な感じもしつつ、俺は物置を閉めて家の外へ出た。
「はい水筒」
家に外に出ると、ナンシーさんが水の入った水筒を渡してくれる。
受け取った水筒は腰から下げて使いやすくする。
「ありがとう御座います」
頭を軽く下げた俺は幅広の帽子を被って厩へに入る。
その中の一頭の馬を連れて出て来て鞍を掛け、鐙を点けて首の辺りを撫でる。
「よろしくな」
この農場の周辺は切り開かれた平野になっていて、狩りをする森には馬に乗って三十分ほど移動しなければならない。
この辺りの人間は自転車に乗る感覚で馬に乗っていて、中には幼稚園児くらいの子供が一人で農耕馬に跨がっていたりする。
コレは現代日本とは考え方と言うか、生活様式の違いを如実に見せ付けられて驚いた。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けてね」
「期待してるぞ!」
俺の胸ほどの高さの馬に一息に跨がって、馬上から二人に告げると、ナンシーさんは身を按じる言葉を、ウィリアムさんは期待する言葉をそれぞれ掛けてくれた。
「ハッ!」
二人に背を向けて軽く馬の腹を小突いて歩かせる。
最初はゆっくりと進み、それから徐々に脚を早めさせて速歩へ、それから更に進んで道に出ると駈け足にして南へと向かった。