空回りする彼女は追われることに慣れてない
城の中、妙に静かな廊下を進んだサシャは、小さな部屋の中にいた。
小窓から差し込む太陽の光は暖かく、昼食を済ませたばかりの彼女の眠気を誘う。
部屋の真ん中にある机と椅子はシンプルな作りで、長時間座り続けるには少し辛いものがある。
しかし何故か自分の座るこの椅子には、とんでも無く座り心地の良いクッションが敷かれ、全くお尻が痛くなかった。
机を挟んで向かい側に座る、やたら整った顔立ちの男性は、どこと無く不機嫌そうであり、少し楽しそう、嬉しそうでもあった。
「あのー?」
部屋に入ってから10分程度だろうか、沈黙を破ったのはサシャだった。
「…なんだ」
「えっと、何故私はここは呼ばれたのでしょうか?何かの手違いでは?私はただの小間使いですし。仕事もありますので、戻ってもいいでしょうか?」
「だめだ。許可できない。それと、貴方を呼んだのは間違いでも手違いでもない。何故、貴方がここに呼ばれたのか、全く覚えはないか?」
真っ直ぐに見つめる男性の青い瞳は太陽の光を吸い込み、宝石のように美しかった。
ーん?青い瞳…?それって、王族の特徴の一つじゃ…
よく見てみれば、銀色に思えた髪は光の加減で金に見えるし、着ている服もかなり良質のようだ。
おそらく王族の方だろうと想像し、見たことも関わったこともないとなると、自分の使える第一王子側ではなく、第二王子側の人間かなと推測した。
第一王子と第二王子は母親違いの兄弟だ。
母親同士の仲は極めて悪く、生まれてすぐにそれぞれが囲ったため、つい最近まで兄弟なのに顔を合わすことがほとんどなかった。
そのため、10歳で第一王子側の使用人見習いとして雇われたサシャは、第二王子側の人間、いや、第一王子以外の王族を見たことがなかった。
もし、サシャが城勤でなければ、城下で暮らす町娘だったなら、目の前に座る相手が第二王子、エリオルだとすぐに気づけただろう。
「聞いているか?」
耳触りのいい声に、慌てて目線を合わせれば、怪訝な顔をした男前な顔がそこにはあった。
なんとなく本能的に、名前は聞かないでおこうと決めたサシャは、先ほどの質問を思い出し、しばらく考えたあと、「あ…」と小さく声を漏らした。
「何か思い当たることがあったな?言ってみろ」
「今日は朝から動きっぱなしで…」
「ああ、他国の視察団が来ているからな」
「はい。なので、お腹が空いてしまってので、つい…厨房でお客様用のチョコケーキを食べました」
「そうか。チョコが好きなんだな。…ん?それが、思い当たったことか?それくらい問題ない。他にはないか?」
手元にあるノートに、綺麗な文字で『チョコ好き』と書いているとは思いも知らず、サシャは困ったように首を傾げた。
「一応、形が失敗したやつを食べたんですけど…て、ほかにですか?」
「いや、いい。思い当たらないんだな。なら、こちらから話そう。アベルの件、と言えば分かるな?」
「……!」
ーアベル、様…
思いもよらぬ人物を挙げられ、サシャはあからさまに狼狽た。その姿を不満そうに見つめながら、エリオルは言葉を続ける。
「彼は君と同じ、魔導院所属だったね」
「はい」
「正確には、つい三ヶ月前まで。今は配置換えで魔導研究所勤務だ」
「…はい」
「君は、彼のことが好きだった?」
「……答えなきゃ、ダメですか?」
「いや、いい。聞くのはダメージが大きすぎる」
「?」
首を振ると、サラサラと揺れる金髪が煌めいて、名前を聞いただけで早くなった鼓動は、その姿を見ているうちに落ち着きを取り戻していた。
「けど、彼は妻帯者だ」
「はい…だから、その…同じ職場なのは辛くて」
「辛くて?辛くて、貴方は何をしたの?」
「……配置換えしてもらえるように、働きかけを…少し」
「どんな?」
「森で野生化した魔獣の捕獲及び、周辺地域の浄化などをアベルさ…アベル隊長が行っていたと、上層部に投書しました……」
「けどそれ、実際にやったの貴方だよね。どうして自分の手柄として伝えないの」
「職場自体は気に入っているので、アベル隊長が別部署へ移動してくれるのが一番だったので」
何故か真面目に答える彼女に聞こえないように、「普通は、失恋した相手を出世させるようなことしないよ」とそっと呟いた。
「まあ、いい。アベルが現場に赴くことがなくなって怪我の心配をしなくて済むと彼の奥さんは喜んでいるらしいし、彼自身も子供との時間を作れて、自分の出世の理由は分からないけど取り敢えず納得しているようだし。この件はもういいとして、まだあるよね?」
「え…?」
「君の家の近所に、移動式パン屋さん来てたよね?」
「あー…はい」
「まあ、今はあの場所で販売できない状態だけど」
「だって、仕方ないじゃないですか。痩せようと思ってるのに朝から焼きたてのパンの匂い香ってくるし、近所の奥さん方が買いに集まって井戸端会議始まるし。…別の場所に移動してもらいたいなって、思って」
「痩せる必要なんてないのに…」
「え?」
「いや、なんでもない。それで?貴方はあのパン屋さんに、何をしたの」
何故この人は、自分のしてきた過ちを知っているのだろうと探るように見つめれば、さっと目を逸らされた。ほんのり赤く見える頬や耳は、怒っているのだろうか?
「自分の思ったことを、言いふらしました…」
「例えば?」
「美味しすぎてほっぺたが落ちそうになった、とか。あの味であの値段は安すぎて、心配とか。あとは、一度食べたら忘れられない、中毒性があって危険、とか」
「それ全部褒めてるから…」
「へ?」
「その結果、貴方の望み通りパン屋さんは、あな場所から撤退。まあ、車で移動販売するより、店舗構えて販売するって話しだけど」
「食べたい時すごく並ばなきゃいけなくなって、大変です…」
「すごく好きなんだね」
新たにノートに書き加えられた『ルールーのパンが大好き』という文字に、やっぱりサシャは気づかなかった。
「あの、やっぱり解雇でしょうか?」
「か、解雇!?何故!?」
「だって、私がしてきたこと全て知ってるみたいだし、ここに来るまでほとんど人に会わないような場所での面談だし」
「あー違う。違うよ!解雇なんてしない。むしろ永久就職してもらいたいくらいだけど…いや、今はそうじゃなくて。サシャ…君がやってきたことを知って、僕は君を知りたくなって、ずっと見守ってた。兄上とも交渉して、やっと、やっと今日から貴方は僕のものだ!」
どうしよう。後半ほとんど何を言っているか分からなかった。とりあえず解雇じゃないことは分かったけど、なんて言ったんだろう。
「話が飛びすぎです、バカ王子」
「わ!」
いつから居たのだろうか、部屋の角の影になった部分から、黒髪の青年がずっと現れたかと思えば、気持ちいいくらいにパシッと、目の前の男性の頭を叩いた。
「いって。ティム、何するんだ!将来ハゲたらお前のせいだからな!」
「なんで私のせいなんですか。あなたが剥げるとしたら、完全に陛下からの遺伝ですよ。お可哀想に」
「やめろ。言うな。まだ見て見ぬふりをしたいんだ」
何故か始まった言い争いに、ぽかんとしていれは、そのことに気づいたティムと言われていた青年が、深々も頭を下げた。
「すみません、サシャ様。お見苦しいところを、主人が見せました」
「お前のせいでな」
「うるさいですよ、黙っていて下さい。改めまして、こちらはこの国の第二王子、エリオル様。私は彼の侍従を務める、ティムといいます。以後お見知り置きを」
「あ!お前!自分で名乗りたかったのに!」
「自己紹介もせずに話し始めるとは、思いませんでした」
「う…うるさい」
まだまだ続く二人のやりとりは、すでにサシャの耳には入っていなかった。
ティムの言ったことが本当なら、いや、おそらく本当だろう。太陽の位置がずれたことによって、さらに明るくなった室内には、金髪碧眼の綺麗な顔立ちの男性が目の前にいる。明らかにその特徴は王族のもので、さらに言えば彼が身につけているものは全て、彼が第二王子以外の誰でもないことを示していた。
「あ、固まってる」
「サシャ?サシャ?大丈夫か?どうした?」
「あなたが名乗らないでいたから、今になって王子と話していたことに驚いているんじゃないですか?」
「サシャ!気にしなくていい。王子だとか関係ない。僕は僕で、君は君だ」
「何アホな訳の分からないこと言ってるんですか。サシャ様?大丈夫ですから、落ち着いて下さい」
「落ち着けって言われても…む、無理です」
「あー可愛い。困ってる姿、めっちゃ可愛い。持って帰りたい。閉じ込めたい。ティム、なんでお前まで見てるんだ!減る!サシャが減るから見るな!」
「ほんっとうに、うるさい!さりげなくサシャ様呼び捨てにしてるし、なんなんですか、全く。ちゃんと説明してあげないと、可哀想ですよ」
2回目の叩きは何とか阻止したエリオルは、困惑を隠せないまま呆然とするサシャに向き合った。
「あーえっと、つまりだ。サシャは、今日から第二王子付き侍女となった。僕の侍女に!」
「最後の言い方が気持ち悪いです!」
3回目は油断して、見事にクリーンヒットした。
「い、イヤです!私今の職場が気に入ってるんです!」
「決定事項だ、諦めろ」
ニヤリと笑ったりエリオルの顔を見て、ティムはこんな顔もできるようになったのかと親心で涙し、サシャは悪魔のようなその姿に、これからの毎日を悲観し涙したのだった。
「配置換えなんて、イヤです〜!!」
「これだけ言っても気づかない、サシャ様の空回りというか鈍感さは、一種の才能ですね」
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。誤字脱字等ありましたら、教えてくれると嬉しいです。