1話
「ここは……霊峰か」
伸ばした手の先には、先程と何も変わらない景色が広がっていた。
隣を見ると、上手く受け身をとったらしいウィアドラが呆けて空を見つめている。
竜王ヴァレス──俺は、片膝をついた体勢から起き上がり、辺りを見回した。
「ふむ……」
ここに張られていたティタラーナの結界が無くなり、万物の時を止める絶対零度の風が無遠慮に吹き付けてくる。
100年持続するティタラーナの結界が消えた。それは、間違いなく100年以上の時を越えたということを示していた。
「これは……しくったな」
間違いない。これは俺を狙ってやったものだ。まさか、四王が集まるタイミングで仕掛けてくるとは思えなかった。
ただ俺を追い出すためだけにここまで手の込んだことをするとは、これを仕掛けた奴はどれほど俺が邪魔なのか。
せめて少しでも手がかりを残していれば、すぐにでも消してやるのだが……面倒だ。この上なく面倒だ。
……まぁ、いい。
誰だろうと、俺の邪魔をするならば、俺は全て力でねじ伏せてやれば良いだけのことだ。
「ヴァレス、何が起きたの?」
「ああ、気づいたか。どうやら、問題なく未来に飛ばされたようだな」
「いやそうじゃなくて。なんか暴走してブワァーってなってたじゃん!」
「術の事は気にするな。考えるだけ無駄だ」
「……そうなの?」
「ああ」
よほどスイッチが入らない限りあまり物事を深く考えないウィアドラは、首を傾げながらも立ち上がって雪を払い始めた。
実際、ティタラーナの術に関しては、どのような者が襲ってきたのか検討もつかない。未来に飛ばされてしまった以上知ることも不可能のため、犯人を推測するだけ時間の無駄というものだろう。
「それにしても、あまり変わらないねー。1000年も経ってるのに」
「霊峰に時の流れはないのと同じだからな。それに、術が干渉を受けた影響でそれ以外の時代に飛ばされている可能性もある。何年後かを決めるのはまだ早いぞ」
「うん、分かった。……ってあれ?」
と、ウィアドラが何かに気づいたように、先ほどとは違った様子で辺りを見回し始めた。
数秒後、首を傾げて唸る。
「ティナ姉は飲み込まれなかったからいいとして……アルダザールは?」
「わからん。お前と同じように掴もうとしたんだが、間に合わなかった。時の激流に飲まれたのだろう」
「えっ!? 飲まれたらどうなるの!?」
「知らんが、まぁせいぜいどこかの時代に飛ばされるくらいだな」
「あ、じゃあ大丈夫だね」
「ああ」
実力的にも、寿命的にも問題は無い。
アルダザールも人ではあるが、禁術により不老に近くなっている。四王の中では弱いものの、人族では最も魔力が多い人外と呼ぶに相応しい人物だ。
ティタラーナに至っては、並の生物には傷つけることも叶わないだろう。
「普通に考えて、俺らが居た時代から離れるほど未来へ進んでいるということでいいはずだ。アルダザールは俺たちよりも前で消えたから、この時代よりも前に飛ばされたと考えていい」
俺の憶測混じりの推測だが、そうである可能性は高い。
よほどこの時代が化け物が溢れてるようなものでなければ、間違いなくアルダザールは生きているだろう。
「まぁ、とりあえず二人と合流しよう。いろいろ話したいこともあるしな」
「じゃあ、アルダザール探す?」
「いや、先に精霊国だ。ティタラーナに会いに行く」
ティタラーナは、精霊国から離れる事ができない。どこにいるのかも分からないアルダザールを探すより、確実に会える方を優先するのは当然だ。アルダザールについては、移動しながらでも情報を集めればいいだろう。
ティタラーナが居れば捜索も楽になり、アルダザールが見つかれば、すぐに元の時代に戻ることもできる。そういう意味でも、ティタラーナを優先すべきだ。
とにかく、俺は一刻も早く帰らなければならないのだ。
「でも、どうやって行くの? ティナ姉がいないと、ボク達だけじゃ精霊国入れないよ」
「精霊の案内がなければたどり着けないところだからな。まぁ、そこは考えてある。気にするな」
「そう? ならいいけどー」
そう言って頭の後ろで手を組み、ウィアドラはちらりと魔国の方角へ目を向けた。
「魔国が気になるか?」
「え? あ、うん。1000年位経ってるなら知ってる人はいないかもだけど、やっぱり気になるねー」
「……俺の考えを実行する時期まで少々時間がある。俺も気にならないわけでもないし、行くか?」
「良いの!?」
「ああ。先を急ぐ必要もないからな」
どうやっても悪目立ちする魔力を持つアルダザールを探すことに、そこまで時間がかかるとは思えないしな。
「よーし! じゃあ行くよっ!」
「って、待ておい」
「あたっ!」
待ちきれないといった様子で魔力で創造した翼を広げ、飛び立とうとするウィアドラの頭に拳骨を落とす。
「人目のつくところで飛ぶな。変に目をつけられてたら面倒になるだろ」
「あたた……じゃあ走ってくの?」
「そうだ。できるだけ常人に近くな」
「えー、時間かかるじゃん!」
「目立つよりましだろう。出来るだけ目立たない方が後々楽なんだからな」
アルダザールを探すことには役立つかもしれんが、それよりも身動きが取りづらくなる方が面倒だ。何より、まだ人間国に竜王を敵視する輩が居ないとも限らない。
そういう敵意は、伝承していくものだ。
「文句言うなら置いていくぞ」
「あー! ちょっと待ってよー!」
そうして、俺たちは魔国に向け移動を始めた。
人間国の中央に位置する、王都セラフィ。
その町外れに佇むやたらと豪奢な建物の奥、廊下の飾りに比べ質素なその部屋に、一人の騎士が佇んでいた。
黒く細身の鎧を身に纏うその姿はまさに歴戦の騎士であるが、その人物を見た者は皆一様に驚愕する。
白く染み一つ無い肌、吸い込まれそうな漆黒の長い髪、ふっくらした唇、強い意思を感じるキリッとした切れ長の目。
この黒い騎士は、間違いなく女性であった。
「…………」
彼女はじっと、1枚の写真を見つめていた。
既に魔力は薄くなり、色褪せたその写真には、彼女と同じ髪色の女性と鎧を着た男性が並び、10歳程の少女が二人に挟まれて幸せそうに笑っている。
写真を見つめるその黒い瞳に憎悪の炎が宿り、無意識に拳を握りしめた瞬間、その部屋の扉がノックされた。
「レイナ団長。報告に上がりました」
写真をしまい、拳を緩めて口を開く。
「……入れ」
その言葉と同時にドアが開き、白い鎧を着た男が姿を現す。
男は女性を視界に入れると、跪き剣を置いた。
「何があった」
「はっ……先ほど、霊峰にて竜と思わしき魔力を探知したとのことです」
「霊峰だと……?」
その言葉に、レイナと呼ばれた女性の目がつり上がる。
「はい。国境付近の隊数人で探知したため、まず間違いないと思われます」
「今すぐ分隊長を集めろ。1時間後にここを発つ」
「はっ!」
指示を受け、頭を下げて部屋を出る男。
レイナは再び写真を取り出し、胸に当てた。
「もう少し……もう少しだ……待っててくれ」
そう呟き、レイナは立て掛けられた直剣を腰に差した。
誤字など見つけましたら報告よろしくお願いします。