視線
目の前に居る眉間に皺を寄せながら高坂を睨み付けている赤髪の男と穏やかな瞳で微笑んでいる茶髪の男が椅子に腰掛けている。真反対の男二人が高坂に居心地の悪い視線を向けていて、誰も口を開けない。
嫌な沈黙が先程から続いていて居心地が悪く、耐え切れなくなったのか、高坂が茶髪の男の方に視線を向け口を開ける。
「橘大将」
穏やかな薄紅梅色の瞳で高坂を見る茶髪の男、橘一徹と視線を交わし、名前を呼ぶ。
「ごめんね? こんな朝早くから。少し気になった事が有ったんだ」
其れに応じる様に優しい声でそう言う橘はやはり高坂より歳を重ねているだけあってか中心点が見えず、感情が読み取れない。にこりと笑みを浮かべている橘の腹が見えず居心地の悪そうに高坂は視線を外し、赤髪の男に目を向ける。
橘とは違いありありとした嫌悪感が読み取れる瞳で此方を見ている男は高坂と視線を交わし、口を開ける。
「高坂、こんな朝早くから何処に行くつもりだったんだ」
冷たい瞳で睨み付けている赤髪の男は怒りを隠そうとしている様な落ち着いた声で高坂に言い放つ。
この男から放たれる空気は部屋を重苦しくさせ、高坂は其れに答える事はなく赤髪の男を見ているだけで口を開けない。いや、開ける事が出来ず蛇に睨まれた蛙の様な状態なのかも知れない。
「態々君に其れを言う必要はない」
やっと言い放った言葉は角が立つ言い方で高坂はまた橘の方に視線を戻す。
「……答えろ」
そんな高坂に苛立ったのか舌打ちをし、威圧的な声でそう言い放つ赤髪の男は更に眉間に皺を寄せる。
「言い直して上げるよ、君の問いには答えたくない」
赤髪の男を煽る様ににこりと笑う高坂は空気に呑まれない様に強気に出ている様にも見える。だが其れはただの憶測にしか過ぎず、目の前に居る男が嫌いだから角が立つ物言いなのかも知れない。
あるいは何方も当てはまるのかも知れないが高坂は前のめりになり態と赤髪の男に顔を近づける。
「ね、だから黙れ。君の問いには俺は答えない」
ずらした視線についでに出て行ってくれといった思いを乗せながら先程とは違う低めの声でにこりと笑いながらそう言い放つ高坂は赤髪の男の唇を噛み、更に煽る。だが男の瞳からは視線を外し、甘噛みする高坂はやはり空気に呑まれない様に少し強気に出ているのだろう。
「答えられない程後ろめたい事でも有るのか」
冷えた瞳で見つめていた男が勢いよく立ち上がり胸倉を掴み、答えさせようとする。
「……ない」
高坂は赤髪の男の手首を掴み少し間を空けながら低い声で答え、舌打ちをする。今にも殴り合いが始まりそうな殺伐とした空気がより一層部屋を重苦しくしているのにも関わらず、橘は表情を一つ変えずにこりと笑っていて非常に不気味であり何を思っているのかが読み取れない。
「高坂君も一君もそんなにカリカリしないで」
そんな橘がこの殺伐とした空気が充満した部屋には似つかわしくない穏やかな声で仲裁をする。
仲裁に応じる様に高坂の手を離し、静かに座るサラサラとした赤髪に真っ赤な激しい夕日の様な赤色の瞳を持つこの男、一聡は今は違うが高坂と所属部隊が元は同じであり、幼馴染みである。
高坂も橘の仲裁に応じる様に椅子に座り、足を組む。
「高坂君、昨日誰といた?」
優しい声でそう問う橘は高坂の目を真っ直ぐと見ていて、一から向けられた視線よりも居心地の悪いものだろう。
「皇中将と居ましたよ」
しなし高坂は視線を外さず橘の問いに答える。
皇中将は高坂の夢に出てきた灰桜色の髪に長春色の瞳を持ち、ベールで左目を隠している穏やかであるが腹の奥が見えない人物で、そんな男と昨日高坂は立食をし、その後皇の部屋で寝た。
寝たからあんな夢を見たのだろうかと視線を橘から外す高坂はそう思ったのだろう。だが寝たからと言ってあんな夢は見ないだろう。
「そう……今日も皇に会いに?」
瞳を固定しながらにこりと笑いそう問う橘は不気味で感情が読み取れない。
「えぇ、皇中将にまた明日の朝来てと言われたので」
高坂が瞼を伏せながらそう答えると先程とはまた違う空気が部屋に充満し、重苦しい沈黙が生まれる。
沈黙が生まれるのも無理はなく橘は年下の皇に熱を上げていて、その皇は高坂を気に入っているのだ。
其れを知っている所為か一は高坂から視線をずらし気まず気である。だが橘は表情は変えずに穏やかな声で沈黙を破る。
「そっか、ごめんね? 約束が有るのにお邪魔しちゃって」
苦笑しながら高坂に謝罪を述べる橘は手首に身に付けている時計を態とらしく一瞥する。
「今日はそろそろ御暇するよ」
そう苦笑しながら一の肩を軽く叩き、立ち上がり背を向け扉の方に歩いていく橘から一瞬だけ見えた冷えた視線は睨みつける様で高坂の顔を少し下に向けさせる。嫉妬が垣間見えた様な気がして、見てはいけないものを見てしまったかの様に顔を少し下にやり微笑している高坂は大概の性格をしているだろう。
「またいらして下さい、橘大将」
あの穏やかで腹の中で何を思っているのかが分からない橘が嫉妬心であんなにも冷ややかな視線を向けるのが可笑しくて堪らないとでも言うかの様に笑いながら橘に向かってそう言う高坂はやはり何処までいっても傲慢で幼稚な男である。
其れを聞くなり橘はくすりと笑いながら高坂の方に向き、首をほんの少し横に倒しながら低い落ち着いた声で言い放つ。
「また来るよ」
やはり何処までいっても本心が見えない声色は穏やかで目を細めながら微笑む橘はまた背を向けて部屋から出て行く。