六十六話
朝の仕事をこなしてる目覚まし時計をよそに目が開かない。 起きなければ、と思えば思うほど身体が布団に埋もれていく。
なんだか、今日はやる気になれない。 起きてご飯の準備やら、洗濯物やらとやることはいっぱいある。 それはもう習慣になっているはずなのに、やる気になれない。
昨日、飲んだせいか。 それとも夢の――
「めざまし、うるさい……」
鳴り止まない目覚ましにうんざりしたのか、将が目覚ましを止めた。
「おきなくていいの……?」
「……洗濯物、ソファーに置いといて」
まだ起きない。 起きたくない。
ボソッと「いつもとちがう」と呟いた将が布団から出る音が聞こえた。
そうだな、いつもと違う。 いつもと違うようにしている。 将の知っているいつもを変えなければならない。 記憶を無くしてまだ日は浅いが、以前のまま俺が気を張っていれば将にもその緊張が伝わってしまう。
夢の中で気付いた。 だからこれからは、今の将の知らないいつものにしなければならない。 落ち着ける空間にしなければならない。 そのためにはこれまで張り詰めた気を取り払い、ダラけてもいい空間を作っていく。
これが安心できる環境作りの第一歩になる。 だいぶ遅い一歩になってしまったけど、やっと気づくことができた。 それだけでも今は良しとしてもいいんじゃないか。
「まだおきないの?」
洗濯物を片づけ終えただろう将が、俺の頭を揺すりながら言った。
「……今、何時?」
「んっと……、6じ30ぷんぐらい」
「ん、あと五分寝かせて」
「かいしゃにおくれちゃうよ?」
「だ~いじょうぶ、大丈夫。 遅れはしないって」
「ボクしってる。 それフラグっていうんでしょ」
今の幼稚園児はそんな言葉を知っているのか。 ……確かにフラグそのものの言い方だな。 本当に遅れそう……。
ふつふつを湧き上がる不安に耐え切れなくなって、起きることにした。
朝にできることをして、将を幼稚園に送る時間になった。
玄関先で寝癖をチェックしながら将を待っていると、制服のボタンをかけ間違えたまま駆けてきた。 「おまたせー」と言わんばかりの笑顔の将のボタンをかけ直す。
「……幼稚園、大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
将の顔が陰り、少しだけ俯いた。
昨日、結城さんを睨んで言葉を遮ったみたいだから何かあるちは思ったけど、やっぱり何かあったのか。 俺には言えない、というより言いたくないみたいだから何かしようとは思わない。 だけど、少しだけ言わせてもらう。
俯いてる将の顔を押しつぶすようにして顔を上げさせた。
「困った時は素直になれ。 人に頼ってもいい。 絶対に一人でいるな」
「……うん」
何度も頷くながら言ったことをしっかり耳に残してから、将の顔から手を離した。
記憶を無くして不安になっているだろうけど、根っこにある部分は変わらない。 それをみんなは分かってくれるだろうし、まわりの子がきっと助けてくれる。
今は寂しい思いをするかもしれないけど、絶対に前みたいに楽しいことになる。
だから、頑張れ。 思うようにやってみろ。
「いかなくていいの?」
裾を引っ張ってこっちを見つめる将に軽く笑いかけた。
「……ん、行こうか。 遅れちゃマズいもんな」




