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五十九話

 夕ご飯を食べたあと、以前に将の組がやった『白雪姫』を見た。

 漫画だとこうやって思い出の場所や出来事に遭遇して思い返すなんて展開がよくある。 漫画と現実を比べるものどうかと思うけど、やってみてもいいかなと思った。 今は(わら)にでもすがる思いなのだ。 将の記憶が戻るならなんでもやる。

 ビデオを見終わった後、感想を聞いてみた。 将はしばらく考えて一言だけ言った。


「あのこたち、だれ?」


 記憶は戻ることはなかった。 想像はしていたけど、試したことがダメだと分かるとガッカリする。

 そんなことは顔に出さずに、ビデオをもう一度再生しながら教えた。

 白雪姫をやっているのが将の初めての友達の野々原みおちゃん。 王子様をやっているのが頼れる友達の大輔くん。

 俺が知ってるのはその二人だけで他の子は知らないということで許してもらった。

 そして最後に、将たちの先生である結城先生のことも教えた。 いろいろお世話になっていることや、一回結城さんの家に泊まったことも話した。

 お隣さんから服を貸して、そのお返しに行ったら今度はみかんを大量にもらった。 見た目は悪くても中身は旨かったのを今でも覚えている。

 まだ一年も経ってないのにどこか懐かしく感じる。

 俺が懐かしむように話していると、将はどこか寂しそうな顔をした。


「おなかでも痛いのか?」


 将は首を振った。


「おぼえてるはずなのに、おぼえてないのが……」

「そう……か。 心配はいらないぞ、すぐに思い出す」


 俺は将を優しく抱き寄せた。

 この小さな身体には大きすぎる不安を持っている。 きっと大人でも耐えきれないぐらいの不安を感じているのだろう。

 俺が話したことは今の将にとってはまるで別人との思い出に聞こえたかもしれない。 これまでの将はもう別人なのだ。

 今ここにいて、これからの記憶しか残らないこの子がこれからの将になってくる。

 記憶が戻るまでは。

 しかし、本当に記憶は戻ってくれるのだろうか。 現に完治できない病気はまだある。 将の記憶喪失だって精神面の病気で、それも重い病気の一種だという。

 病院の先生は『治る』とは言ってくれた。 でもそれは、俺を心配させないために言っただけなのではないだろうか。

 治る可能性を上げるためのつなければならない嘘。

 記憶を戻すには、将に安心できる環境を用意しないといけない。 そのために俺に「将は治る」ということを認識してもらうしかない。 安心できる環境を用意できるのは俺しかいないから。

 逆を言えば、俺が不安を持っていれば将はその不安を感じ取って不安を感じてしまうかもしれない。 それでは治らない。

 将を治すためには俺の精神面がとても重要になってくる。 だから先生は「治る」と断言することで、俺の精神を安定にさせようとした。

 実際にあの一言だけで救われたような気持ちになった。 あの言葉がなければ、笑みを作ることすらできなかったかもしれない。


「大丈夫だ。 俺がそばにいる。 俺が絶対、戻してやる」


 こうやって希望を持たせる言葉もかけることができなかったのかもしれない。

 感謝しなければならない。

 本音を言えば、あの病院には行きたくなかった。 なんて言ったて、妻が亡くなった病院だ。 もう二度と足を踏み入れないとまで思っていた。

 まったく、昔の自分をぶん殴りに行きたいぐらいだ。

 先生たちだって妻を助けようと手を尽くしてくれた。 死なせるために手術をしたわけではなく、生まれてくる将も助けようと手術をした。 生きるための手術。

 だけど、妻は亡くなってしまった。 俺はそれを受け入れるのにずいぶんの時間を要した。 育児休暇のおかげで社員には悟られることはなかったけど、辛かった。 精神的に。

 これまでずっと一緒で、これからもずっと一緒に……。 そう思っていたのに……。 会いたくても会えない。 写真を見るたびに声をあげて泣きそうになった。

 その気持ちを病院のせいにすることで、精神の落ち着きを手に入れていた。

 あの病院が悪い。

 あの執刀医が悪い。

 育児休暇が終わるころには、普段と変わりようがないほどの落ち着きを覚えた。

 当時の俺の精神面はお世辞にも大人とはいえないものだった。 善意に対して悪意を向け、自分を保っていた。 恥じるべきだと、今になって思うあたりも情けない。

 あの病院はなにも悪くない。 悪いのは自分だ。 俺なんだ。

 

「くるしい……」

「あぁ、ごめん」


 つい力が入ってしまった。 将を解放してやり、目を見た。


「これから将が覚えてないことをみんなが教えてくれる。 俺もみおちゃんもダイスケくんも先生も他のみんなだって、将が元に戻るのを待っている人たちだ。 みんなが将を治そうとしてくれる。 だから そこに不安を感じることはないんだ。 怖がる必要もない」

「でも、おもいだせなかったら」

「思い出せなくてもいいんだ。 思い出せない分、覚えていけばいい。 ゆっくりとな」


 将の頭をポンと軽く叩いた。

 将は叩かれた頭を撫でたあと、屈託のない笑顔を見せてくれた。

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