五話
「藤井、そろそろあがるぞ」
藤井はちらっと時計を見て「もうですか?」と言いたげそうな顔をしていたが、朝の会話を思い出して急いで帰る支度をした。
時計はまだ五時を指していて、あがるには少し早い気がする。 でもあまり遅くなると俺を待ってる将にも悪いし、なにより面倒を見てる結城さんにも悪い。
「先輩、行きましょうか」
残ってる社員に挨拶してから会社を出た。 春でも夜になるとまだ少し肌寒く身震いをする。
電車で通勤している藤井を助手席に乗せて幼稚園に行くと、幼稚園は朝のにぎやかな雰囲気が嘘のようにひっそりしていた。 夜の学校が異様に怖い雰囲気があるのは、朝とのギャップがあるかもしれない。
藤井を車の中に残して、園内で唯一電気がついてるチューリップ組の教室をのぞくと、将と先生がクレヨンで絵を描いていた。
そっとドアを開けて声をかけると、結城さんがクレヨンを置いて俺のそばに来た。 ちょっと甘い香りがしたような気がした。
「お仕事お疲れ様です。 どうぞ入ってください」
「それじゃあ、お言葉に甘えて失礼します」
靴を脱いで教室内に入ると、驚くことに昔のまんまだった。
懐かしいなぁ。 俺も子供のころはこの桜幼稚園に通っていた。 さすがに外にある遊具は一新されているが、教室の中はほとんど変わっていない。
朝は仕事に行かないといけないこともあってじっくり見れなかったけど、本当に昔のまんまだ。
「中村さんもこの幼稚園だったのですか?」
一懐かしい思い出に浸っていると、横で笑みを浮かべている結城さんがいた。
「ええ、俺もこの幼稚園に通ってたんです。 教室が当時とほとんど変わってなくて、少し昔を思い出してました」
「奇遇ですね! 私もここでした!」
それから少し当時の幼稚園のことを二人で語っていた。
当時流行っていたごっこ遊びや、アニメ、園内でのイベントなどいろいろ話していたら、偶然にも話はいろいろ合うところがあり盛り上がった。
もしかしたら歳が近いかもしれないな。
「セイさん、なにイチャラブしているんだ? ショウは、おなかへった!」
いつの間にかお絵かきをやめて、ロッカーからかばんとぼうしを取ってきた将がお腹を鳴らした。 腕時計で時間を確かめるとここに来て三十分が経っていた。 藤井は怒ってるかもしれない。
それはそれと——————
「将! イチャラブとか言うな! 先生困るだろう!」
「いやでも、センセイちょっとうれしそうだぞ」
そんな馬鹿なことがあるかと思いながら横にいる結城さんに視線を向けると、両手を頬にあてて顔を赤くしていた。
なんというか……行動があざとい。
「わ、私中学校からずっと女子校だったので男の人と付き合うことはおろか、こんなに話したこともなくて、いま冷静に考えたらすごいことやってたんだなぁ私って思っちゃって……。 それに将くんにイ、イチャ……ラブ……なんて言われて驚いたけど、でも中村さんとなら悪くないなって思っちゃって……。 ほら話も……」
将ー!! どうするんだ、将が変なこと言うから結城さん壊れたぞ!! 「結婚」とか言ってるけど、どうするのこれ? ねぇ、将!
なんとか結城さんを静めてほしいと懇願の意味も込めて将に視線を向けるが、今の結城さんの暴走に少し引いてた。 そして俺の視線に気づき、ひきつらせた顔のまま首をよこに振られた。
「先輩、遅いですよ!!」
その時、待つのに我慢ができなくなった藤井がドアを勢いよく開けて入ってきた。 そのことで結城さんの暴走も止まり徐々に冷静さを取り戻していったが、さっきよりも顔を真っ赤にして教室に備えられているトイレに逃げ込んでしまった。
写真撮りたかったけどこんな状況だ、また今度でいいか……。
それより今はすぐに退散するに限る。
黒板に一言だけ書置きして、俺たちは車に乗り家に帰った。