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第九話 柳川大吾の職場

「……よし、もう少しで終わるわ」


 スーツ・眼鏡・ネクタイ等々、ワイシャツ以外ダークカラー一色で身を包んだ女性、鴻森(こうもり)天子(てんこ)。仕事やお昼時で誰もいない事務所で一人、黙々と自分のデスクでデータ整理をしている。


「こっうもりさーん! お疲れ様でーっす!」

「うわっ!?」


 静寂に包まれた中、どこからともなく青い作業着姿の青年、柳川家長男大吾が現れた。

『株式会社ノンブレイク』。機器部品や構造建築物等、内部又は表面に異常や欠陥がないか対象を破壊せずに検査する、『非破壊検査』という専門技術を全般に取り扱う中小企業。

 大吾はそこの北海道営業所技術部に勤めている。


「な、何だ柳川君か。もう驚かさないでよ」

「かっかっか。ちょっとしたサプライズっすよ」

「現場の仕事は終わったの?」

「モチっスよ。まあ午前中で終わらせられる内容でしたし。鴻森さんこそパソコン打ちですかい?」

「ええ、今日中に終わらせないといけなくてね。結構な量で何日も前からコツコツやってきたけど、なんとか終わりそうよ」

「じゃあここらで昼休憩ってことで、俺と昼飯食いに行きません? 二人っきりで」

「え?」


 他に誰もいないことをいいことに、下心むき出しの大吾が年上の女性、天子を決め顔で誘う。


「ああ、ごめんなさい。今日はお弁当作ってきてるから」

「おっふうっ!?」


 早速誘いを丁重に断られる大吾。


「それは非常に残念……」

「ごめんね。また今度誘って――」

「なーんてことはないのでっす!」

「ええっ!?」


 断られたショックで項垂れていたと思われた大吾が急に活力を取り戻し、その動作にビクッとしてしまう天子の眼前に、大吾は青い小さなトートバックを掲げる。


「じゃじゃーん! 実を言うと俺も今日は弁当持参なのですよ。つまり俺と鴻森さんは手作り弁当仲間。仲間ならばより親睦を深め、更なる高みへと昇るべきなのですよっ!」

「高みって何の!?」

「そんなの後々考えればいいじゃないですかー。さあ鴻森さん、弁当プラス俺と共に味わい深い時間を過ごしましゅげっ!?」


 しつこく天子を誘い出そうとしていた大吾の後頭部に、資料が大量に詰め込まれた特大ファイルが振り落される。


「過度なナンパはやめなさいって昨日も言ったばかりなんだけど? ねえ柳川君?」


 栗色の長い髪に雪のように白い肌、口元のほくろがより大人の色気を醸し出すスカートスーツの女性、雲類鷲(うるわし)美咲(みさき)。彼女によって大吾の不埒な行いは停止させられた。


「な、何だよみさ吉。いたのかよ」


 振り返り、殴られた後頭部を擦りながら大吾はかなり親しげな口調で言う。

 それもその筈。二人は幼少期からの顔見知り、つまりは幼馴染の間柄なのだ。


「あら、いたらダメなのかしら? それとみさ吉って言わないで」

「美咲ちゃん、お昼はもういいの?」

「はい、外で済ませようと思いましたけど、鴻森さん一人に電話番を任せてしまうのは申し訳なくて。なので今日はコンビニ弁当にしました」


 茶色のビニール袋から温められた日替わり弁当を取り出して言う美咲。


「あらら、気にしなくてよかったのに」

「いえ、後輩だからといって甘えてばかりではいけませんから」

「かー、後輩の鏡だねえみさ吉さん。俺っちもう反射光が眩しくて目が開けられないぜ」

「はいはいふざけなくていいから。それとみさ吉って言わないで」

「じゃあみさ吉もいることだし、三人でお昼しよーぜ」

「懲りないわねえ柳川君。……鴻森さん、ご一緒しても大丈夫ですか? 彼」


 と、大吾を指差す美咲。指先の大吾は「てへっ」と舌を出しているが、全く可愛くない。


「んー、そうね。美咲ちゃんもいることだし、三人で頂きましょうか」

「あの鴻森さん、今のセリフ完全に俺と二人きり嫌だって言ってますよね? ね?」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「うわー! 鴻森さんのお弁当すごーい!」


 隣の席から覗き込んだ美咲が絶賛の声を上げる。

 デスクの上を少し片付けて弁当箱の蓋を開けた天子。鶏の唐揚げや野菜の煮物など家庭的な惣菜も美味しいそうだが、何より注目がいくのは切った海苔で丁寧に描き上げられた、要り卵の牙が輝く吸血鬼の顔だった。


「これキャラ弁って言うんですよね?」

「ええ。あの子達吸血鬼が好きみたいで、具材も余っちゃったからついでに私のも、ね。」

「もしもーし」

「ああ、鴻森さんのお子さん確か小学生でしたっけ?」

「今年で六年生なんだけど、まだまだ手がかかってしょうがないのよ」

「あのー、すいませんみさ吉さん」

「みさ吉なんて人はここにはいませーん」

「何で俺と女性陣の距離をそんなに離すんだよ!」


 美咲達と反対側、片隅のデスクに一人追いやられた大吾は納得がいかず抗議に出る。


「あら、一緒に食べていいとは言ったけど、近くで食べていいとは言ってないわよ?」

「そんな理屈が通用するか! これじゃ俺と鴻森さんの距離が縮まらねえじゃねえか!」

「上手いこと言ってもダメ。奈々香ちゃんに頼まれてるのよ。兄が女の人に迷惑かけるところを見かけたら止めて欲しいって」

「マイシスター! そんなに兄が他の女性とイチャつくのを妨げてえのかー! くそう可愛い妹め!」

「あなたは本当に……」

「柳川君、別に近くで食べてもいいわよ」

「マジっすか!」


 天子の言葉に甘えた大吾は堂々と天子の隣に座ろうとするが。


「反対側に行きなさい」


 重量感のある特大ファイルを構えた美咲に言われ、「ちぇー」と口ずさみながら言う通りに反対側のデスクに座る大吾。


「じゃあ俺もあいまい弁当を頂くとするか」

「あ、あいまい?」


 疑問符を浮かべる天子を余所に、大吾は筒型の弁当箱から三つのタッパーを取り出して蓋を開ける。

 一つは胡麻塩のかかった白米。一つは豆腐と若芽の味噌汁。一つは焼き鮭や卵焼き等々が丁寧に詰め込まれた惣菜である。


「おー、流石奈々香ちゃん。和食一色とはクオリティー高い」

「かっかっか、当然よ。我が愛する妹奈々香にかかれば、和食だろうが洋食だろうが料亭並みの味に仕上げてくれる。弁当とて例外じゃないぜ」

(あ、あいまいって愛の妹ってことね)


 話の流れでやっと意味を理解した天子。


「それだけ絶賛してるのに、何で鴻森さんを食事に誘ったのよ?」

「みさ吉、さてはさっきの冒頭から全部見てたな?」

「何のことかしら? それとみさ吉って言わないで」

「それは私も思ってたのよね。そんなに美味しそうなお弁当なのに、外食なんかしたら食べられなくなっっちゃうじゃない」

「ちっちっち、わかっていませんねえ鴻森さん」


 思わせぶりに人差し指を三回左右に振る大吾。


「いいですか。女性にとってお菓子、スィーツが別腹になるのと同様、男にとって――いや妹を持つ全ての兄にとって、妹の手作り弁当は別腹! 妹の弁当を前にすれば満腹の腹などないに等しい! 時として愛妻弁当も、お袋の味すら凌駕する。それが『愛・妹・弁・当』なのです!」

「……あ、はい」


 拳を握り締めて熱く語る大吾を前に、呆然としてしまう天子。その隣で美咲はやれやれと言うように、頭に手を当てて首を横に振る。


「相変わらずのシスコンねー」

「失敬な、俺はシスコンではない。フェミニストだぜ。妹含めてな」

「余計性質(たち)が悪いわよ。はあ、奈々香ちゃんの苦労が絶えない訳ね」

 呆れ、諦めたかのようにぼそっと口に出す美咲。

「ん? 何か言ったかいみさ吉?」

「何でもないわよ。それとみさ吉って言わないで」

「……ところで前々から、というより去年から訊いてみたいと思ってたことがあるんだけど」


 丁度いい機会だと言わんばかりに天子が質問を始める。


「随分長い間放置してた質問っすね。いいっすよ、俺とみさ吉がじゃんじゃか答えちゃいますぜ」

「だからみさ吉って言わないで。もう」


 そう言って、美咲は買ってきたコンビニ弁当を口にする。




「じゃあ訊くけど、二人は付き合ってるの?」




「ぶうううううっ!?」

「いぎゃあああっ!? 何すんだみさ吉っ!? どんなプレイさせる気だこん畜生っ!?」


 美咲が口に含んだばかりの白米が大吾の顔面に全弾命中する。


「鴻森さんっ! 何て勘違いしてるんですかっ!」


 後輩が一度も見たことのない剣幕で怒鳴り掛かってきたので、椅子ごと後ろに倒れそうになるほど天子は驚いてしまう。


「ごご、ごめんなさい。あなた達とても仲がいいし、みさ吉なんてあだ名で呼ばれてるからそうなのかなーって思って」

「どうして私がこんな米塗れの汚らしい変態を彼氏にしなくちゃいけないんですか!」

「米はお前のせいだろうが!」


 ティッシュで顔を洗う大吾は汚ならしい変態よりも先にそっちをツッコむ。


「うるさい! そもそも大吾がみさ吉みさ吉言わなければ余計な誤解持たれることなかったのよ! いい加減そのふざけたあだ名やめなさいよ!」

「かかっ、そりゃ無理な相談だみさ吉。十年以上もこの呼び方してんだぜ? 慣れて慣れ親しんで、愛着すら湧いちまってんだ。今更普通に呼ぶとか、そんなの恥ずかしいじゃねえか」

「恥ずかしいのはっ!」

「ちょまっ、みさきーー」


 大吾の胸ぐらを掴む美咲は。


「あたしじゃボケエエエエエッ!」

「だあああああー!?」

 

 背丈にほぼ差はないとはいえ、それなりに筋肉のついた成人男子大吾を軽々と背負い投げた。


「う、うわあっ!?」


 ガシャーン! と、障害事件発生かと思わせる激しい音が事務所内に響く。

 投げ飛ばされた大吾が天子のデスクに置かれたパソコンに顔面からぶつかったのだ。


「あああっ!? パソコンがっ!?」

「へぶしっ!?」


 焦る天子はデスクに乗り上げた大吾をゴミのように床へ落とし、無残な姿に成り果てた吸血鬼のキャラ弁すらそっちのけでスリープにしていたパソコンを開く。


「あ、ああっ!? ご、ごめんなさい!」

「データ、データっ! ああもう!」


 パスワードを打ち間違えるほどに余裕がなくなっている天子。美咲の謝罪も耳に入っていないようだ。


「消えてないでー、無事でいてー………………あ」


 液晶画面を見て硬直する天子。

 エラー、データ破損の可能性を訴える表示が次々と現れて画面上を侵食していく。再起動させてみたが、エンドレスエラーは全く止まらない。


「で、データって、たしか今日までに上げないといけないやつじゃ……」

「……そう」

「ば、バックアップは……?」

「………………ない」

「………………」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「何で全員でパソコン打ちしてるんですか?」


 現場仕事から戻ってきた目つきの悪い青年、屑桐(くずきり)壊破(かいは)は、定時終わりまもなくにも関わらず、殺気立った雰囲気の中でひたすらキーボードを打ち続ける社員一同に思ったことをそのまま伝える。


「いいから早くお前もやれ! これがお前の担当だ!」

「ちょっ、はあっ!?」


 先輩にパソコンがセットされた席へ強引に座らされ、手書きのデータを渡される屑桐。


「たくっ! 柳川、お前余計なことしてくれやがって!」

「今日彼氏とデートの予定だったのに! 責任取りなさいよ柳川!」

「ちょっと! なし崩しで俺だけのせいにしないでくださいよ!」

「ごめんなさい鴻森さーん!」

「いいから打って! とにかく打って!」

「鴻森、柳川、雲類鷲っ! 今月の給料楽しみにしておくんだなっ!」

「「「すみません所長ー!」」」

 



 その後、なんとか提出は間に合わせることはできたが、所長の公言通り三人の四月分給金は減らされ、また社員全員の余分な残業代は問題児の夏季ボーナスから引かれることに決定したのだった。


「何で俺だけ!?」

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