第八話 柳川家の兄妹対戦(結果)
「どういうことだっ!」
ニット帽にマフラー及び上下防寒着を着込んだ大吾は、これから豪雪豪風の真っただ中、昼食用のカップ麺を買いに出かけようとする自分を玄関先で見送ろうとしている妹二人に抗議を始める。
「いいから早く行け。妹を飢え死にさせる気か」
「何故だー! 何故兄を裏切ったんだ奈々香ー!」
「まあ、私も悪いかなとは思ったんですけど……、やっぱり外に出たくはなかったので」
言いながら、全く大吾と視線を合わせようとしない奈々香。
対戦終了間近のラストアタック。大吾の操作するキャラクター心音静名は小吾の扱うルシファーへ真っ向から攻め込んでいった。しかし熟練した腕前を持ち、尚且つ自身の攻略難易度を自発的に上げた小吾は意図も簡単にその攻撃全てを薙ぎ払ってしまう。それでも諦めずに武器のバトンを振るう制服姿の女の子。この場にギャラリーがいるのなら、その勇ましくも美しい姿に熱い声援を送るところだろう。
だが、その健闘は邪念に満ちた思惑により打ち砕かれてしまった。
「だからってあのタイミングで小吾側に寝返るか普通!?」
背後からの堂々襲撃。これは本来戦い序盤にルシファーへと行う筈のものであったが、予定変更により奈々香の意志を受け取ったネコニャが「にゃにゃーん」と楽しげな鳴き声で静名の背を爪で斬りつけたのだ。不意打ちで怯んだ隙にルシファーとネコニャによるタコ殴りの刑に処された静名は成す術もなくなり、最後にはルシファーの回し蹴りにより画面の彼方へと飛ばされてしまい、そこでゲームは終了した。
「でも私、う、嘘は言ってないでしゅし……」
一部噛みながら口ごもる奈々香。
実際、大吾にアイコンタクトで訴えられた時には既に小吾側に付く計画を立てていたのだ。
二人がかりなら勝つ見込みがある。
私は絶対に負けない。
確かに、一度も大吾と共に小吾を打倒するとは言っていない。
が、卑怯なことをしていることに変わりはない。
「ふん。どれだけ熱い展開に持っていこうが、冷静に考えれば僕の方に加勢した方が最下位を避けられるに決まっているだろう」
小吾の言うように、今回の乱闘では最下位になった者が買い出しという罰ゲームを受けるルールになっていた。
すなわち、ビリでなければ問題ないのだ。
「大体、奈々香の裏切り癖は今に始まったものじゃないだろうが」
「うっ、裏切り癖って……」
「そうだけど何か納得いかねえ!」
「兄さんも肯定しないでください!」
「はあ、仕方ない奈々香。この低能に納得させるこの一言を頼む」
「え?」
言われて、小吾がスマホに打ち込んだ言葉を奈々香は黙読する。
「ふえっ!? ちょっ、小吾、これはちょっと――」
「この寒空に放り出されずに済んだんだ。これぐらい我慢しろ。それとも大吾とチェンジするか?」
「うっ」
小吾の地味な脅迫に何も言えなくなる奈々香。
反論しない理由として大吾を裏切ったことへの罪悪感もあるのだろうが。
外に出たくない。
それが奈々香にとって、兄への罪悪感すら簡単に上回る究極の理由だった。
「で、どうするんだ?」
「おうよどうしてくれちゃうのよ!?」
二人から催促をされ、外気の影響で別室より冷え込む玄関の中焦りで汗を垂らす奈々香。
充血した眼で奈々香を見つめる大吾からはどこか期待に満ちた感情が伝わってくる。
「わ、わかったわよ! 兄さんっ!」
最早逃げ場などないことを悟り、覚悟を決めた奈々香は両拳を軽く握り必殺のセリフを口にする。
「ゆ、ゆ、ゆ、許してにゃん☆」
「いってきますだよチクショオオオオオ!」
バタンッ! とドアを開けて通路の階段を駆け下りていく大吾。入り口の引き戸を開けて除雪が追いつかず五十センチほど雪が積み重ねられた歩道をがむしゃらに突き進んでいった。
「寒いー!」という山彦が小吾の耳を通り抜けていく。
「やっと行ったか」
「うう、は、恥ずかしいい……」
我が身可愛さの為に、我が身の可愛さを嫌々活用した奈々香は、掌で真っ赤になった顔を覆い隠しその場にへたり込んだ。
「いやよかったぞ奈々香。ネコニャ繋がりで猫キャラをやらせてみたが、女の僕でも思わずときめくほどのクオリティーだった。こんなことなら大吾の部屋から猫耳を拝借しておくべきだったな」
「やめてえー! これ以上私を辱めないでえー!」
「そうは言っても裏切った貴様の自業自得だろうが」
「それはそうなんだけど……」
「まあ最も、そんな裏切り行為も無意味に終わってしまったがな」
「え? どういうこと?」
全てを見透かしたような小吾の発言に理解が追いつかない奈々香。
「やっぱり気付いてなかったか。あいつ最初から自分で行くつもりだったみたいだぞ?」
「ええっ!?」
「こんな大荒れの中、たかがカップ麺二個の為に妹を放り出すほど非情な奴じゃないし、それに貴様の裏切り癖をあいつが知らない訳ないだろう。本気で行きたくないのなら、それこそ僕と共闘して奈々香を打倒すればいいだけの話だ。それをしなかったってことは」
「ワザと……負けた」
「そういうことだ」
「じゃあ私あんな恥ずかしいセリフ言わなくてもよかったじゃない!」
「真っ先に出る言葉がそれか」
長男なりの厚意が報われない。そう思う小吾。
「まああの反論はこれを見越しての悪足掻きみたいなものだったが、今日くらいはそれぐらいのサービスしてやってもいいんじゃないか? 貴様の尻拭を自ら買って出ているんだからな」
「確かに買い置き切らしていたのは私のせいだけど、こんな恥ずかしいサービスするほど悪いことしたとは言えないんじゃない?」
「カップ麺買うだけだったらな」
「ん?」
「今日の夕飯はカレーだったよな? さっき確認したが、奈々香。貴様米とルーを買い置きし忘れてたぞ」
聞いて奈々香はすぐさま台所へと向かい、流し下の収納スペースを開けて確認する。
柳川家が好んで食べる『ダーモンドカレー』の中辛ルー。なし。
実家から貰っていた地元産の米。不足。
「う、嘘……」
「カップ麺を探していた時に気付いたんだろう」
追いついた小吾はスマホゲーム『プロジェクトCat』をプレイしながら言う。
「じゃあ、もしかして兄さんこれも一緒に買いに?」
「そりゃそうだろ。そんな残り一合ぐらいじゃ茶碗三人分ですら賄えない。明日以降にも響くし、だったらまとめて買いに出た方が効率的だ。夕飯が何かを芝居がかって訊いたのだって、他に足りないものがないか確認する為だったんだろうし」
「はああー……」
肩を落とし、溜息を吐く奈々香。
誰でもない、自分の不甲斐なさに呆れてしまっている。
「流石にこれは言ってよ兄さん。わかってたら私が行ったのに」
「さっきも言ったが、こんな悪天候で妹を放り出す奴じゃない。米まで運ぶなら尚更な」
「でも、これ全部私のミスだし」
「まあそうだな」
「ふぐっ!?」
自分が悪いとわかっていても、やはり他者から言われると心に突き刺さるようだ。
「そうすると思ったから、あいつは僕の提案に乗っかったんだろう」
小吾の提案。
最下位は問答無用でパシリ確定。三つ巴のスマブラ一本勝負。
「罰ゲームという名目を立ててワザと負ければ、たとえ貴様が事に気付いたとしても納得せざるを得なくなる。だろ?」
「それは……」
提案自体は大吾と小吾にほぼ強引に決められたようなものだが、奈々香自身も妥協、というよりも諦めてその提案を受け入れたのは事実。
形として、納得しているのだ。
「それはそうだけど、でもやっぱり」
ここにきて、自分のミスを知らされて、保身よりも兄への罪悪感が上回ったようだ。立ち上がる奈々香は防寒着を着ようと自分の部屋へ行こうとする。大吾の手伝いをするつもりだ。
だが、小吾が冷蔵庫にもたれ掛かり足止めをする。
「一人負けできるようチーム戦を拒んだり、僕を愚弄する真似を取ったり、自分が負ける確率を自分で上げてまで貴様を凍えさせないよう無意味な手を打ったんだ。認めたくはないが、一応奴は兄で僕等は妹。だから、少しは兄のMっぷりを利用してもいいと思うぞ?」
悪態を織り交ぜながらも、小吾は諭すように姉に言う。
それが小吾なりの、妹の気遣いだとわかった奈々香は、今度こそ納得したのだろう。微笑んだ奈々香はこう言った。
「……優しいね。兄さんも、小吾も」
「なっ!? べ、別に僕はそんなつもりで言ったんじゃない。僕は自分の空腹を満たしたかっただけだ。人知れない自己犠牲で好感度を上げようと勘ぐっていたあの低能のプランを潰してやりたかっただけだ。それだけだからなっ」
不意に褒められて頬を紅くする小吾。奈々香と自分を誤魔化すかのようにスマホ画面を意味もなく指でタッチし続ける。操作キャラは森のステージで素振らされていた。
「ふふふっ、それって『ツンデレ』ってやつじゃない? 兄さんに見せたらすごく喜びそう」
「ふ、ふざけたことを言うな!」
照れ隠しのように怒鳴って、小吾は冷蔵庫から背中をどかし立ち去っていく。
変態だが妹の為に体を張れる長男大吾。
裏切り癖はあるが家族の為に日々家事を熟す長女奈々香。
口は悪いが誰よりも周りを気に掛ける次女小吾。
三人の戦いもようやく終わり、後は昼食のカップ麺で温まるのを待つだけ。
の筈だったが。
「ねえ小吾」
「……何だ? 湯ならもう沸かしているが」
不機嫌そうに先読みした答えを言う小吾。
ガスコンロに置かれたヤカンは小吾の計らいで既に火に掛けられている。大吾が戻ってくる頃には準備が整うだろう。
だがそうではなかった。
小吾の避けた冷蔵庫をおもむろに開けていた奈々香は、更なる悲劇の幕をも開けてしまう。
「野菜も切らしてた」
「あん? それぐらいあいつだって……あ」
大吾の行動の一部始終を見ていた小吾は知っている。
奴は冷蔵庫まで目を配らせていなかったことを。
「あの低能が」
小吾はスマホゲームを閉じて大吾に緊急連絡をしようとする。が、大吾は携帯電話を置いていってしまったようだ。着信音に設定している「お兄ちゃん電話だよ」という女性声優の声がテーブルの上で虚しく発音されている。
通話を切った小吾は、ふと何かを思い出したように大吾の部屋へ入り、机の引き出しを漁って取り出したものを奈々香に差し出して言う。
「今度はこれ着けて謝りな」
奈々香は差し出された猫耳を、黙って受け取った。
次回からは三兄妹それぞれの職場、学校での話を書いていくつもりです。