第五話 柳川家の環境
「そうだ花見に行こう」
日曜日のお昼前、柳川家の居間で兄妹三人くつろいでいた中、唐突に大吾がそんなことを言い始めた。
「いいですねー、お花見」
その大吾の提案に関心を示した奈々香は話に乗っかる。
「暖かい春の日差しの下、咲き誇る色鮮やかな桜並木」
「満開の桜の木の下で食べる奈々香特製弁当に舌鼓を打ち」
「舞い散る花びらが浮かぶほんのり甘く温かい甘酒が、より春の暖かさを感じさせてくれる」
「かあー、いいねえ花見」
「盛り上がっているところ悪いが」
「ん?」
お花見妄想トークを楽しんでいる二人の間に、窓際に座ってスマホゲームをしている小吾が割り込んでくる。
「四月序盤の北海道に桜は咲かない」
窓の外で激しく降る雪景色を見ながら小吾は冷ややかにそう言った。
「現実に引き戻すなや!」
小吾の言葉で妄想の世界から帰還した大吾は身を震わせながら怒鳴る。
「お前何後付けの如くこの物語の舞台と季節を説明してんだよ!」
「この物語って何だ。それはともかく、僕は事実を言ったまでだ。怒鳴られる筋合いはない」
「うるせえ! こちとらストーブの調子が悪くて点かなくて寒いんだよ! 季節に則って暖かい話題で気分だけでも暖まろうとしてたってのに、全部台無しじゃねえか!」
「ふん、情けない。これしきの寒さで音を上げるなど、貴様それでも道民の端くれか?」
「いやお前がただ寒さに強えだけだから! 道民だろうが寒いもんは寒いんだよ!」
「に、兄さん。そんな寒い寒い言わないでくださいよ。余計に寒いじゃないですか」
「う……」
奈々香に指摘を受けて「悪かった」と謝罪する大吾。
「うう寒い……。ねえ小吾ー、こっち来てよー」
「ふん、仕方ないな」
両腕を伸ばして小吾の名を呼ぶ奈々香の元へトコトコと歩いていく小吾は、そのまま奈々香の膝の上に座る。ゲームの邪魔をしないように小吾のお腹に手を回す奈々香は、人肌の温もりを感じて至福に満ちた表情を浮かべる。
「ちょっ!? おい小吾アーンド奈々香! お前ら何互いが互いで羨ましいことしてんだよ!?」
「別に、姉と妹の単なるスキンシップだ」
「そうですよー兄さん。はあー温かい……」
「兄妹のスキンシップなら俺だってやる権利がある。こい小吾、兄ちゃんの膝の上でパフパフしてやる」
胡坐をかいてぽんぽんと膝を叩き小吾を呼ぶ大吾。
「誰が行くか」
「だろうな。なら奈々香、お前がこい。ヘイカモン」
小吾の拒絶にめげず、続いて奈々香にアプローチをかける。
「行く訳ないじゃないですか」
「だろうな。だが奈々香、よく考えてみろよ。小吾を抱いたその状態で俺の膝に乗れば、お前は前と後ろ両方から暖を取ることが可能になるんだぜ?」
「はっ!?」
「揺らぐな」
大吾の甘い誘惑に心揺さぶられた奈々香のおでこに軽い小突きをお見舞いする小吾。その際奈々香は「痛っ」と可愛らしい声を漏らす。
「ちっ、作戦失敗か。へ、へっくしっ!」
妹と戯れるチャンスを逃した大吾は、着々と寒さが増していく部屋の洗礼を受けた。
「奈々香、せめて毛布とかないのかよ?」
くしゃみで垂れた鼻水をティッシュでかみ取った後に大吾が言う。
「その、今日は晴れの予報だったので、しばらく洗っていなかった布団類をまとめて洗濯しようと……」
「ああ、それで湿ったシーツが部屋の中にある訳か」
雪が降る屋外に干せない為、洗濯を終えてしまったシーツやタオルケットが部屋中に所狭しと干されている。洗面所の片隅には、干してもらえずに畳んで放置された残りのシーツ達がぽつんと置かれている。
「ああくそう、ストーブもねえ、毛布もねえ、コタツもクーラーも布団もねえ。それもこれも正確な天気予報を提供しなかったテレビ番組のせいだ」
「八つ当たりもいいところだな」
「よっしゃ、奈々香ちゃんの洗濯予定を狂わせちゃった報いだ。俺がテレビ局に苦情の電話を入れてやる」
「え? あっ、ちょ、兄さん待ってください」
ポケットからスマホを取り出した大吾に一時停止を促す奈々香。
「あれはどの局でも晴れ模様って言っていましたから、それだと全部に言わなきゃいけなくなります」
「クレームをつけること自体は止めないのか。奈々香、貴様内心怒ってたんだな」
「おうそうか。だったらどっかに的絞るか」
うーん、とうなりを声に出してどのテレビ局にするか考える大吾。少し考えてようやく決まったらしく、大吾はスマホ画面に表示された数字を打ち込んで電話をかける。
「あーもしもし? お宅の天気予報なんだけどさー、今日は晴れとか言っときながらどっかどかの雪だらけってのはどういうことなんだよ?」
電話を繋げてすぐにクレームに入る大吾。それから数分間テレビ局の局員と口論を続けた後に大吾は「あんたなんかじゃ話にならない」と切り出して。
「話になんねえから担当の佐藤綾子アナを呼んでくださ痛っ!」
「この低脳が」
裁判長小吾による有罪判決が執行された。
「兄さん?」
小吾が投げつけたスマホが額に命中して身悶えしている大吾に、奈々香が優しくもどこか殺気だっている声で話しかける。
「待たれよ奈々香嬢、兄は別に卑猥なことが本来の目的でUHBに抗議の電話をした訳ではない。ただ電話に出た相手が受付の、しかも融通の利かぬ日本男児であったが故に担当のお天気お姉さんに代わってもらおうとしただけだ。他意はない」
「天気予報はキャスターではなく気象予報士が出すものですし、そもそも佐藤アナはお天気お姉さんではありません」
「チッ、バレたか」
他意がありまくりの大吾。その舌打ちに怒りのボルテージが上がってきたのか、すくっと立ち上がりポケットから何かを出そうとする奈々香。
ちなみにその間、小吾は投げつけた自分のスマホを回収しに動いていた。
「だあっ!? 待てってば! そ、そうだ、こんな時こそ何か温かいものを食べて暖まるのがいいんじゃね?」
身体への更なる危険を予知した大吾は、寒がりな奈々香の気を引こうと苦し紛れの提案を出す。
「手頃なところでカップ麺とかよ?」
「あ、僕もそれを希望するぞ奈々香」
回収し終えたスマホでゲームを再開していた小吾も、その提案に賛成すると手を挙げた。
「ふえ? えーっと、そうですね。じゃあ少し早いですけどお昼はそれで済ませましょうか」
急な提案に少し困惑する奈々香だが、温かい食べ物は非常に魅力的に思えたのだろう。欲望に忠実になる奈々香は快くその提案を受け入れた。
ズボンのポケットから出そうとしていたものを放すのを確認して、「助かった……」と小声で言う大吾。
「よっし、じゃあ俺準備してくらあ。カップ麺いつものところに入ってるよな?」
「はい。じゃあお願いしますね兄さん」
「妙なことをするなよ?」
「カップ麺で俺が何するってんだよ!?」
そんなツッコミを入れて、大吾は台所流し下の収納スペースをごそごそとあさり始める。
すると。
「おい大変だ!」
収納スペースに頭を入れた状態で大吾が慌てたように言う。
「未だUHBと通話中だったことがか?」
「えっそげっ!?」
小吾の予想外な報告に焦って頭を強打する大吾。その後頭を押さえてゆっくりと後ろに下がりながら出てくる。
「そんな馬鹿な……。通話ボタンは押していなかった筈……」
痛みを堪えながらセリフの続きを言う大吾。
随分痛そうに見えた為、奈々香は大丈夫なのか不安になり挙動不審な動きをする。
「何ださっきのはフリか」
「てめえ俺をハメやがったな!」
「そんなことはどうでもいい。それで何が大変なんだ?」
「ハメといてそれかよ!? まあいいか……」
納得のいかない大吾だが、ことの重大さを話す為に収納スペースから一つのカップ麺を取り出して言う。
「カップ麺が一個しかねえ」
「「え?」」