第三話 柳川家の安全性
「全くもって許しがたい。親が子供に手をかけようとするなんてな」
夕刻の報道番組で流れている殺人未遂事件のニュースを見ていた大吾は、我が子を溺愛する親のように言う。
「まあ、余程その家庭環境が荒れていたんだろ」
ソファーに座ってPSPで遊んでいる小吾はあまり興味のなさそうな口振りで言った。
「そんな事件今更珍しくも何でもないけどな」
「おいおい小吾ちゃんよー、流石にそいつはドライ過ぎやしねえかい? 身内同士でそんな物騒なことが起きてるんだぜ? 同じ家族を持つ身として何か思うことはねえのかい?」
今現在我が子ではなく妹と女性を溺愛する大吾も、小吾の他人事だと言わんばかりの言葉が気に障ったのか、少々説教染みた言い方で小吾に尋ねる。
「ふん、そうだな。まあ強いて言えば親近感があるかもしれん」
「あ? 親近感?」
「僕もいつそこの変態に襲われるのかと常に身の危険を感じている」
「親近感ってそういうこと!?」
大吾はテレビの電源を切り、小吾の方へ体を向ける。顔付きを威厳のある父親のようにして。
「小吾、いい機会だから言っておくことがある。確かに兄ちゃんは愛する妹ですら興奮を覚えてしまう青年男子だ」
「威張って言うことか」
「しかし、だがしかし、どれだけ性欲に飲み込まれようとも決してお前達には危害を加えたりはしない。絶対だ。不肖この大吾、ここで約束しようじゃないか」
「約束するも何も、手を出さんのが当たり前だろうが」
「ぐ、まあそりゃそうですけど……、あまりにも小吾ちゃんがお兄ちゃんを信用してくれないもんだからさ」
正論で返されて少しいじけぎみになった大吾は、両方の人差し指をツンツンとつつき合わせながら言う。
「ふん、なら訊こうじゃないか。僕らに手を出さん変わりに何をするつもりだ?」
微塵も信用していないと訴える小吾の眼差しが大吾を攻撃してくる。
「て、早速疑いの目を向けるなよ。侵害だな。別に何もしねえって。手を出せないなら隙をみて生着替えをスマホで撮影しようとか考えてな痛っ!」
二リットルの緑茶入りペットボトルが、回転を加えて大吾の額に直撃する。
妹へ如何わしい行為を働こうと企てた大吾に、迷惑防止条例違反未遂の罪により、裁判長柳川小吾からの有罪判決が下ったのだ。
「この低脳が」
「いちち、てかどう考えても俺の方が襲われる率高いだろ。物理的な被害受けまくりだろマジで」
赤くなった額を擦りながら言う大吾。
「自業自得だ」
「この前だって奈々香ちゃんに危うく殺されるところだったし」
「誰も殺そうとなんかしてません!」
台所で夕食の支度をしていた奈々香が紺色のエプロンを身に纏って現れる。
「ぎゃあああー!」
「うわっ!? 急に叫ばにゃいで下さいよ兄さん! ビックリするじゃないですか!」
驚いたせいでセリフを噛んでしまう奈々香。普段はその可愛らしい失敗に微笑する大吾なのだが、今日は部屋の端でガタガタと身を震わせていた。
「ちょ、兄さん。この前は私も少しやり過ぎましたけど、そこまで怯えることないじゃないですか」
「いや、流石の僕もそれは仕方ない反応だと思うが」
「え?」
PSPのポーズボタンを押した小吾はわからない、という顔をする奈々香に救いの手を、もとい救いの指を指す。
「奈々香、とりあえずその包丁は戻してこい」
「包ちょ、あああっ!? ご、ごめんなさい兄さん! 私そんなつもりじゃ!」
「だああっ!? わかった、わかったから包丁をこっちに向けないで! より殺傷力のあるもんをこっちに向けないで!」
「ご、ごめんなさい。あ、私まだ料理の途中だから戻ります。ご、ごゆっくりー」
包丁を背後に回し隠した奈々香は足早に台所へと去って行った。
「はあ、はあ、し、死ぬかと思った……」
バクバクと鼓動が波打つ胸を押さえる大吾。
「む、なんだ死ねたのか。なら何も言わない方が好都合だったな」
「ちょ、今心弱ってんだからさあ、やめてくれよそういうの……」
「ふん」
弱々しい声で言う大吾に少しは同情したのか、小吾は悪態をつくのをやめてPSPを再起動させる。
「はあーあ、ちっと気晴らしがてら、トイレでも行くとするか」
「気晴らしがトイレって、まあどうでもいいが、とりあえず汚すなよ」
「へいへーい」
と、覇気のない返事をした大吾はトイレへと赴いて行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『何でだよ、何でこんなことするんだよ! たった一人の妹だろ!』
小吾のプレイしているRPG の主人公である少年剣士の声がイヤホン越しに聴こえてくる。
ボスキャラ攻略前、金色の甲冑騎士が妹であるヒロインキャラを斬り捨て、意識を失い倒れ込むヒロインを少年剣士が抱き止めている場面だ。
『ああ、そうだね。大事な妹だよーー魔法使いに、魔女になるまではね』
大剣を片手に甲冑騎士が冷たい眼を向けてそう言い放つ。
『我が家は由緒ある騎士の家柄だ。女に生まれたとしてもそれは例外ではない。だと言うのに、我が妹は騎士の素質を投げ捨て、愚かにも魔女などという不埒な輩に成り果てた。家名を背負う者として、名を汚す邪魔者を野放しにしておく訳にはいかない。妹は今、ここで始末する』
説明くさいセリフを長々と喋り、血で鈍く輝く大剣を構える甲冑騎士。
(身内のいざこざがこんなところにまで。ボス戦前の展開としては熱くなるところだが、今これをやられると逆に冷めるな)
仮想世界から現実に引き戻されやる気を削がれてしまった小吾。ボスを気分よく討伐したい小吾はしばらく間を開けようと、PSP をスリープ状態にした後ソファーの上で横になる。
(身内に手をかける、か)
柳川家に生を受けて早十二年。今一度自身の家族構成を見つめ直してみる小吾。
遠方に家を構える至って普通の父と母。
妹ですら興奮をおぼえる性欲の塊である兄。
面倒見がいいがリミッターが外れると身内相手でも容赦なく殺人技を披露する姉。
(………………)
まともに考えれば、親はともかく上の二人は完全に要注意人物に認定される。一度道を踏み外せば強姦魔と殺人鬼にすらなりかねない。
(まあ、ウチに限ってはないか)
まともに考えて辿り着いた答えがそれだった。
上から目線の毒舌ゲーマー小吾。柳川家で過ごした十二年という歳月は、彼女の一般的思考を鈍らせるには十分だった。
「ねえ小吾、ちょっといいー?」
台所で炊事に勤しむ奈々香から呼び出しがかかる。声を聞き取った小吾は半ば面倒臭そうにソファーから起き上がり、台所へと向かう。
「何事だ奈々香」
「うん、ちょっとこれ味見してくれないかな?」
そう言って小吾に差し出したのは本日のメインディッシュ、ピンクの粒がパスタを彩るタラコスパだった。
「何だ奈々香、貴様ともあろう料理人が味に自信を持てないのか?」
「うーんそういう訳じゃないんだけど……」
含みのあるような言い方をする奈々香に小吾は疑問符を浮かべるしかなかった。
「まあ、とにかく食べてみて」
そう言って奈々香は少し強引に箸を手渡してきた。
「何だかよくわからないが、そこまで頼まれたら仕方ない。いいだろう、味を見てやるとするか」
まるで自分が頂点に君臨しているかのような傲慢な態度をとる小吾。だが母親代理の奈々香はその態度に注意するでも叱るでもなく、どことなく顔のひきつったような笑みをして、皿に盛り付けられたタラコスパをただ持っている。
そんな奇妙な雰囲気など気にも止めず、手渡された箸で数本麺を摘まみ取った小吾は、「はぐ」と声を漏らし麺を口の中に放り込む。
「どう、かな? 美味しい?」
目を瞑り、じっくりと味を堪能している小吾に奈々香は尋ねる。
ごくり、と噛み締めたタラコスパを胃の中に送り込んだ小吾は、コメントを述べるべく口を開く。
「そうだな、パスタの茹で加減も塩の量も申し分ないし、奈々香特製のタラコソースは文句の付けようがない。後は仕上げの刻み海苔さえ乗せればーー」
と、料理を作ってもらっている立場で上からの物言いをする最中。
小吾は身体に違和感を覚えた。
「ぐっ!?」
突如訪れた吐き気と腹痛の洗礼に見舞われた小吾は、ぐらりとふらついて方膝を床に落とす。
一体自分の身に何が起きたのか。思考を巡らそうにも腹痛の波が幾度となく押し寄せて脳が思うように働かない。
「……ふ、ふふふ、思ったより早く効果が現れたみたいね」
顔を上げると、体を震わせながら歪んだ笑顔で見つめてくる奈々香の姿が目に焼き付いた。
そう、小吾は騙されたのだ。
身内同士の傷害事件。そんなものは所詮他人事。我が家は絶対大丈夫。
その些細な油断が今、小吾の運命を変貌させてしまったのだ。
「な、奈々香、貴様っ、まさかーー」