第十六話 柳川大吾の男飯
「兄さんの裏切り者っ!」
「あふんっ!?」
――パチーン! と乾いた音が響く。
ほぼ全ての家事を終えて早々、大吾は奈々香に容赦ない平手打ちをお見舞いされる。
「念の為に一応訊こう。俺が何したってんだ!?」
「いいでしょう説明しますよ。まず部屋の中を見てください。どう思いますか?」
平手打ちをされて赤く変色した頬を摩りながら、大吾は掃除を終えた茶の間をぐるりと見回した。
「簡潔に言うとピッカピカだな」
「そうですピッカピカです。強いて言えば手の届きにくい隙間に若干の汚れは見られますが、それでも一般レベルとしては上出来な部類です」
「マジで? お前に言われると普通に嬉しいわ」
柳川家随一の家事職人である奈々香に褒められてはにかむ大吾。
「次に洗濯物を見てください。どう思いますか?」
大吾はベランダで暖かな日差しの下に干されている洗濯物をじーっと眺める。
「見事に俺の服ばっかりだな」
「それは別にどうでもいいですが、服と服の間隔は開けられてますし、干す前にしっかりシワを伸ばしているのでこれについては問題ありません。ワンポイントアドバイスとして、ジーンズは裏返しにした方が乾きが早くなりますよ?」
「マジか。よく知ってるな奈々香」
「ふふん当然です。家事は私の得意分野ですから」
大吾から素直に感心された奈々香は、えへんと自慢げに大きな胸を張る。
「それだけ勉強も熱心ならよかったんだがな」
「ん、んっ!」
奈々香はわざとらしい咳払いをして小吾のコメントを流し、気を取り直して話を進めに入る。
「そして最後に兄さんの作ったこのお昼ご飯ですが、これは?」
「かっかっか。よくぞ訊いてくれやした。これぞ本場の男飯。俺流『ニンニク香る焼肉丼』よ! ドドンッ!」
大吾は己の口から擬音を発しながら自信満々に自作メニューを紹介する。
食卓に乗せられた三人分のドンブリ。豪快によそった白米の上では、ニンニクの香ばしい香りが異様に漂うタレのよく染みた肉が湯気を立てる。
「何が本場だ。何が俺流だ。ただ焼き肉のタレで炒めてご飯に乗せただけだろうが」
「まあ少し言い過ぎかもだが、でもそれがいいんじゃねえか。サッと炒めてドーンと飯に乗っけるこの豪快さ。これぞ男の飯って奴よ!」
「僕には手抜き料理にしか見えないが」
「確かに手抜きですね。私じゃまずこんなの作らないですし」
「あ、あれ? 思ったより不評? 男飯って食いたい女子割といると踏んで作ったんだけど……」
妹達の不満げな表情を見てやらかしてしまったかと焦る大吾。
「こんなもん幼児でもできる食い物だろふが」
「第一栄養のバランスが悪いでふ」
「真の男飯を食わせたひなら修行して出直ふぃてこい」
「次からは野菜のサラダを用意ひないとダメでふよ」
「お前らネチネチ文句言いながらガツガツ食ってんじゃねえよ!」
奈々香と小吾は不平不評を口にしながらも、目の前のドンブリから漂う食欲を促す匂いには逆らえず、ニンニク香る焼肉丼を欲望のままに胃袋へと流し込んでいた。
「出された食事は残さず食べるが私のモットーですから」
「まあ一応腹は膨れるし、問題ない」
「あーそうかい! 食ってくれてありがとよ! つか俺も食うわ! 小吾、箸を持てぃ!」
「自分で取ってこい」
「はいっ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「「「ご馳走さまでした」」」
「そしてお粗末様でしたい」
焼肉丼を残さずきれいに食べた三兄妹。何だかんだと言いながらもお腹が膨れて満足そうな妹達に、大吾は男飯の感想を尋ねてみる。
「で、結局全部平らげた妹諸君。俺流男飯のお味は如何だったかね?」
「だからこんなん男飯に含めるなよ。強いて言えばズボラ飯だろうが」
タレの付着した口元をティッシュで拭きながら小吾は言う。
「細けえこと言うんじゃねえよ。そもそも男飯って、料理下手な奴でも手軽にできるもんじゃなかったっけか?」
「まあ典型はそうだったな。こういう丼物とかチャーハンとか」
「でも最近テレビで見る男飯って、手軽って言う割に結構しっかりした料理を作ってるよね? レシピも分かりやすいし」
自分が見た料理番組のレシピを思い出しながら奈々香は問いかける。
大吾の男飯(ズボラ飯)に不平不満を漏らしていた奈々香だが、男飯そのものを全否定している訳ではない。
奈々香は食事のレパートリーを増やす為に、料理本やテレビ番組で紹介された様々なジャンルの料理を記憶。更にはアレンジを加えて独自のレシピを生み出しては日々の食卓に並べている。
その数は千を優に超え、一度作り出した料理はレシピを確認せずとも再現させることが可能だ。
男飯の簡単レシピであっても例外ではない。
「それは番組の中で紹介する料理だからだろ? 実際にこれみたいな手抜き料理番組で出してみろ。すごいとか面白いとか為になるとか思うか?」
「全然思わない」
「つまり貴様の飯などその程度の評価だということだ」
と、話ついでのように大吾作『ニンニク香る焼肉丼』は低評価を付けられた。
「雑談を挿んでから俺をディスるのはやめろ!」
「でも栄養バランスはともかく、結構美味しかったですよ」
「マジで? どこがよかった?」
柳川家専属料理人奈々香にお褒めの言葉を貰う大吾は、どういった点が評価に繋がったかを尋ねる。
「そうですね。とてもいい味のタレを使いましたね」
「流石は市販の調味料というべきか」
「ご購入商品じゃなくて作った過程を褒めろよ!」
「いや褒めろと言われましても……」
奈々香は何かないかと一連の流れを思い出す。
油を引いたフライパンで適当に切り分けた豚肉を焼き、火を止めて準備していた焼肉のタレを豪快に掛け、再び点火して肉にタレが絡まったら、白米の盛り付けられたドンブリの上に乗せて出来上がり。
「……ええ?」
「そんなに褒めるとこねぇのか!?」
悩み、振り絞ってすら回答が出てこないことに泣き出しそうな叫びを上げる大吾。
「ていうか焼肉の予定なんかなかったのに、よく家に買い置きのタレがあったな」
「んあ? いやねえよ。ねえからわざわざ小遣いはたいて買ってきたんだよ」
「あー、それでですか。こんなの置いてあったかなーってずっと思ってたんですよ」
「いつものタレじゃないよな? どんなの買ってきたんだ?」
「数あるスーパーを転々として、何度も厳選に厳選を重ねてようやく手に入れた俺一押しのタレよ」
「ガチャでもやってたのか?」
「ちょっと待ってな」
調理過程も盛り付けも褒めてもらえなかった大吾は、この際妹達が絶賛している選び抜いたタレを褒めてもらおうと、台所に置きっぱなしだったタレのビンを持ってくる。
「本日より新発売! 『ニンニク十倍臭いはヤバい。だけど美味しさ百万倍!』をキャッチフレーズに売り出してたこいつよ! タレレンッ!」
奇妙な擬音を言いながら、大吾はテーブルの上に買ってきたタレのビンをドンッと置いた。
商品名『漢の極み大蒜』。
黒光りするビンの中心に貼られたラベルには、先程のキャッチフレーズと共に、『臭くてスンマセン』と両手を合わせて謝罪しているスーツ姿の渋いおじさんが描かれている。
「「………………」」
目の前に絶賛していたタレのビンを置かれた妹二人の顔には、後悔と絶望の色が浮かび上がっていた。
「……え? 兄さん、これ、大丈夫なんですか?」
「何がじゃい?」
「いやこれニンニク十倍とか臭いヤバいとか書いてあるじゃないですか」
「そう言えば、さっきから随分ニンニク臭がキツイと思っていたが……」
「そりゃこんだけサービスしてニンニク入ってるやつ食ってんだから、臭いがすんの当たり前だろ?」
「当たり前だろ? じゃないですよ兄さん!」
「ぶえっ!?」
血走った目をした奈々香と小吾に大吾は襟の左右を引っ張られる。
「私達女子ですよ女子っ!」
「こんなニンニク臭漂わせて明日学校に行けってのかこの低脳が!」
「だー!? 落ち着け妹達! 接近されるのはお兄ちゃんめっちゃ嬉しいんだけどってガーリック臭っ!?」
「「誰のせいだと思ってるんだ(ですか)!」」
「ウェーイトウェーイト、ドントウォーリー。ちゃーんと口臭用のカプセルも買ってきてるからよ。ほれ」
そう言って、大吾はポケットから噛んで使用するタイプである口臭用カプセルの容器を取り出した。
「持ってるならさっさと寄こせ!」
「ああ、小吾私にもー!?」
小吾は大吾からカプセル入りの容器を強引に奪い取り、通常の摂取量を無視して口の中にカプセルを放り込む。奈々香も同様に両頬がまるでハムスターのように膨らむほど詰め込んでいる。
「お前ら大量に食うなって! 腹壊すぞ! てか俺の分も取っといてけれ!」