第十五話 柳川大吾の主夫力
「よーっし、始めるとすっか!」
「それじゃあ、お手並み拝見させてもらいますよ兄さん?」
「おうともよ! 掃除洗濯炊事に育児。今日は全てこの兄に任せんしゃい!」
ほのかに暖かい日の光が雪解けを促す休日の午前。
珍しく紺色のエプロンを身に纏う大吾はやる気を示すように服の袖を捲り上げる。
――奈々香が勉強漬けになった場合、誰が柳川家の家事をするのか。
小吾から投げられた疑問の一声に反応した大吾は、「俺に任せろ!」と頼もしいセリフを吐き、実際にどれほどの実力があるのかを妹に見せつける為に、急遽柳川家家事担当の奈々香に代わって柳川家収入担当の大吾が家事をすることになったのだ。
「やるのはいいが、何で室内でニット帽被ってるんだよ?」
小吾は大吾が被っている紺色のニット帽を指差す。
「三角巾あるかと思ったらねえし、手頃な布もねえからこいつで代用した」
「なんだそんなことか。それなら僕が持ってるから貸してやるよ。ほれ」
「マジで? 珍しく親切じゃねえか小吾ちゃん」
ニット帽を脱いだ大吾は小吾から白い布を受け取り、布の両側に付いている紐を頭の後ろに回して結ぶ。
「よしこれで準備万端――ってこれ死んだ人が被るやつじゃねえか!」
被ってから違う物だったと気付く大吾。
「白いし三角だし、代用品にピッタリじゃないか」
「どこがだよ!? 髪の毛ほぼむき出しじゃねえか! 衛生面上何の役にも立たねえよ!」
そう言って大吾は巻いていた三角頭巾を力任せに引っ張って外す。
「おいこら貴様人が貸した物だぞ? もう少し丁重に扱え」
「やかましいわ! てか何でこんなもん持ってんだ!?」
「いつか貴様の来たるべき時に備えて仕方なく用意したものだ」
「少なくとも来たるべき時は今じゃねえよ!」
「なんならこいつも割烹着代わりに着ろよ」
「何で死装束まで持ってんだ!? いいから仕舞ってこい!」
小吾は不機嫌そうに「ちっ」と舌打ちをして三角頭巾と死装束を部屋へ仕舞いに行く。その間大吾は先程被っていたニット帽をもう一度被り直そうと思い、テーブルに置いていたニット帽を手に取った。
「兄さん、別に無理して被らなくてもいいんじゃないですか?」
「まあそうなんだけどよ、俺って結構形から入るタイプだからさ。それによぉーく見てみろよ? ニット帽にエプロン姿って、何か洒落た店の店員っぽくね?」
ニット帽を被った大吾は腕を組んだり目の横でピースをしたりと様々なポーズを取ってカッコつける。
「……えぇ?」
「何そのこいつ何言ってんのみたいな反応!?」
「いやでも、その格好ですと店員さんじゃなくて、せいぜい着の身着たままで外に出て除雪してる人くらいにしか見えないんですけど」
「くそぅ! 汚れると思って使い古しのスウェットなんか着るんじゃなかった!」
「そんな貴様にぴったりの着替えがこちら」
「仕舞いに行ったんじゃなかったのかよ!?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「よーっし、今度こそ始めるとすっか」
小吾おすすめの死装束に三角頭巾の『なりきり幽霊セット』に衣装チェンジ。
――することもなく。
結局スウェット・エプロン・ニット帽の『着の身着たまま除雪人三点セット』のまま家事を進めることにした大吾。
「ようやく始めるのか。全く何を脱線しているんだか」
「大概テメエのせいだよ!」
「もう、ホントに進まないから小吾も一度その辺にして?」
「はいはーい」
奈々香におざなりな返事をした小吾は、スマホを開いてそのままソーシャルゲームの世界へと入り込んだ。
「で、兄さん。まずは何から始めるんですか?」
「そだなー、まずは洗濯からやるかねえ」
「ではこちらをお願いしますね?」
奈々香は用意していた洗濯カゴを大吾に手渡す。
「ハイ喜んで! ――って、これ俺の着替えばっかりだな?」
大吾はカゴの中に積まれた衣服を何度か捲って確かめるが、いくら見ても自分の服や下着しか入っていない。
「奈々香ちゃんと小吾ちゃんの服は?」
「ありません」
「……奈々香ちゃんと小吾ちゃんの着替えは?」
「ありません」
「………………奈々香ちゃんと小吾ちゃんの下着は?」
「ありません」
「え、何? お前ら普段ボディペイントなの!?」
「何の話をしてるんですか!?」
「いやだって着替えも下着もねえなら、今俺の目に写りこんでいるお前らの服はボディペイントしかありえねえじゃん! クオリティが高い上に、兄ちゃんへのサービス精神がハンパねえな!」
「そんな訳ないでしょう! ほら見てください! ちゃんと服着てますから!」
奈々香はセーターの裾をひらひらとさせて、間違いなく服を着ていることを大吾に示す。しかし、その様子をじーっと眺めている大吾からは疑いの眼差しがまるで緩まっていない。
「な、何ですか?」
「むっふっふ~。そんなもので俺を誤魔化せると思うなよ? どうせそこの部分だけひらひらできるようにテープか何かで張り付けてんだろ? 本当にそれが服だっつうならもう少し上に捲りあげしっ!?」
「この低脳が」
小吾が投げたスマホが大吾の額に直撃し、そのまま後ろに倒れる大吾の顔に持っていた洗濯カゴの中身が覆い被さる。
妹にいやらしい行為を強要しようとした大吾に裁判長小吾からの有罪判決が下ったのだ。
「も、もう! 何考えてるんですか兄さん!」
「エロいことだ!」
「開き直らないでくださいよ!」
「うるせーやい! だったらお前らの服と下着はどこに消えちまったんだ!?」
「どうせこんなことだろうと思って、奈々香が昨日のうちに洗濯して僕らの部屋に干してるぞ?」
先程投げたスマホを拾いながら小吾が言う。
「ちくしょう先手を取りやがって! これが唯一の楽しみだったのに!」
大吾は心底悔しがるように、散らばった自分の洗濯物の中から適当に選んだ衣服を噛んで引っ張る。それが自分のパンツだと気付いた大吾はその場でげほんごほんと咳き込む。
「何自滅しているんだ貴様は?」
「くそう何で俺がこんな目に! 妹のパンツなら喜んで噛みしめたのに!」
「そういうことすぐ考えるから洗濯させたくなかったんですよ!」
「もういいからさっさと自分の服を洗濯機にぶち込んでこい」
「せめて……せめて慈悲として教えてけれ! 昨日洗濯したお前らのパンツは何色だ!?」
「発言がホントの変態です!」
「あー、確かピンクだったな」
「何で私のパンツの色を言うの!?」
「よっしやる気が出た!」
「ちょみゃ!? 今のはちが――」
「それでは柳川大吾、お勤め行ってきます!」
噛みながらも自分の発言を撤回しようとする奈々香だが、大吾は気にも留めず掻き集めた洗濯物をカゴに入れ、爽やかな笑顔で敬礼してから洗濯機のある洗面所へと歩いて行った。
ただ見送るだけになった奈々香は「あうぅ……」と声を漏らし、恥ずかしさで顔全体が真っ赤に染まる。
「そんなにハズいなら、馬鹿正直にパンツの色答えなきゃよかっただろうに」
「小吾のせいでしょ!?」
「決め手は貴様だろうが」
「うぐぅ……」
言い返されて何も言えず、唸るしかできない奈々香。その姿を特に見ることもなく、再開していたソーシャルゲームで遊んでいた小吾は、動かしていた指を止めて奈々香に問いかけた。
「にしても奈々香、今日は試しとはいえ、よく奴が家事をするのOKしたな? 諦めて勉強漬けにされる気にでもなったのか?」
「いやなってないし、私が赤点取るの確定にしないでよ。……まあ、自信はないけど」
反論してみるも、赤点を免れる術が未だにない奈々香は目を伏せた。
「諦めてないならどうする気だ? 策でもあるのか?」
「ない……けど、とりあえず可能性に賭けてみようかな~って」
「可能性?」
奈々香は眉間に皴ができるほど目に力を入れながら言う。
「兄さん、家事できない説」
「………………」
「………………」
眉間に皴を寄せた二人が沈黙の中見つめ合う。小吾の瞳から「また馬鹿な事言い始めたなこの姉」という意思が伝わってくる。
耐えかねた奈々香がおろおろとした様子で弁明を始める。
「ほ、ほら、こういう時よくあるじゃない? 普段家事してない人が頑張ろうとすると空回りしちゃって、洗濯機から泡吹き出しちゃったり、掃除機暴走させちゃったり、お鍋が爆発しちゃったりするあれよ!」
「あー、アニメとかでよくあるあれか」
「そ、そうそれ! そうなっちゃえば、やっぱり家事は私じゃなきゃ無理だよ~ってなって、勉強漬けになるのはなくなる流れになるかな~? なんて?」
「貴様それ本気で言ってるのか?」
小吾にぎろりと睨まれて萎縮する奈々香は、小声になりながらも答える。
「……えっと、半分。いや、半分の半分くらい、でしょうか?」
「現実見ろ馬鹿姉。仮に奴が家事苦手だったとしても、そんなアニメみたいな破滅的レベルにできない奴いるわけないだろ」
「い、いるかもしれないじゃん! だって人の可能性は無限大なんだよ!?」
「それ頑張ればどんな未来でも掴み取れるって子供に希望を持たせる言葉だろ。なに絶望的な未来に進ませる言葉にしているんだ」
「私にとっては唯一の希望だよ!」
「だったらその希望を打ち砕く。そんな奴はいない!」
「いるよ!」
「いない!」
「いるったらいるの!」
「存在しないっつに!」
「待て待てーい! どうした我が妹達よ!?」
妹達の口論を聞きつけて洗濯中の大吾が駆けつける大吾。それに気付いた奈々香は大吾へと詰め寄り口を開く。
「兄さん! 兄さんは家事できませんよね!?」
「は?」
「料理で暗黒物質生み出したりお風呂を地獄に変えたりはたきで家中破壊するそんな絶望的なレベルですよね!?」
「俺をそんなダメ人間だと思ってんのかお前!?」
「私はそう信じています!」
「全く喜べねえ信頼だな!?」
「たとえ兄さんが喜ばなくても、一時的に家庭崩壊が起きたとしても構いません!」
「そこは構えや! 特に俺に構えや!」
「何と言われようとっ!」
そう言って、奈々香は大吾の二の腕を両方掴み、かつてない程の真剣な表情で大吾の顔を見上げた。
「私は――兄さんを信じます!」