第十一話 柳川小吾のクラス
「柳川! 授業中に寝るんじゃない!」
六年一組の教室にて、生まれつき唇の分厚い担任の先生は、隠すつもりも自重する気も一切なく、堂々と自分の机に突っ伏して寝ている柳川家次女、小吾を起こそうと声を上げる。
「……何だ『タラコ』?」
伏せていた顔を少し上げて、虚ろな目で担任の先生を不機嫌そうに睨む小吾。ちなみに『タラコ』は生徒間で使われている先生の、いかにも小学生らしいあだ名である。
「私をタラコと呼ぶな!」
教壇をバンッと叩く先生。
あだ名で呼ばれることは構わない。生徒との間に良好な関係を築けるのならばむしろ望むところだ。
そう考える当の本人はこのあだ名をお気に召さないらしい。
やはり女性でタラコなのは抵抗があるのだろう。
「ちゃんと岩内先生と呼びなさい」
「ふん。そんな如何にも喋りたそうな唇をしていながら『言わない』とは驚きだな。宝の持ち腐れだな。いっそのこと『いいたい』って苗字の男探しだして結婚したらどうだ?」
「うるさいよっ!」
彼氏いない歴三十二年イコール年齢の岩内先生は、若干瞳を潤わせながら小吾を怒鳴りつけた。
「そ、そんなことより柳川、今は授業中なんだから堂々と寝るんじゃない」
「悪いが僕は寝不足なんだ。昨日は新作のRPGに熱中してつい夜更かししてしまってな、だからもう少し寝かせてもらう。ぐーぐー」
「そんな理屈が通るか!」
最もな怒りである。
「そんなに眠いんだったら保健室に行きなさい」
「は? 貴様何を言っている? 保健室など等の昔に出禁を食らっているに決まっているだろうが」
「お前保健室で何をした!?」
「別に何もしていない。時には体調不良、時には睡眠不足を訴えてベッドを一日中借りていた、それだけだ」
「一日中って」
それもどうかと思う岩内先生だったが、流石にそれで保健室を出禁になるという特異稀なケースになるとは考えがたい。なので岩内先生は更に小吾を問いただしてみる。
「本当にそれだけで出禁になったの?」
「それだけだ。まあ極めつけは四年の夏、暑苦しくて布団を捲っていたら保健の先生にゲームしてたところを運悪く目撃されたことなんだがな」
「してるじゃないか!」
「あーそーだなー」
二年ほど前の校則違反ではあるが、反省の色を全く見せない小吾。どころか、「ふあーあ」と先生の眼前で堂々と欠伸をするというふてぶてしい態度を取る。
「柳川、どうやら私は君に教育的指導を施さなければならないらしいな?」
色鮮やかな唇をプルプルと震わせて岩内先生は言う。
「間に合ってるし今は授業の時間なんだろう? なら僕のことは気にせず他の連中と楽しく勉強していればいい。僕は寝る。ぐがーぐがー」
「寝るなっつに!」
「せんせーい」
と、教師と生徒の会話劇に介入してくる声が上がる。
天翔美空。小学六年生、十二歳の子供とは思えない高身長とプロポーションを持ち合わせた、小吾の数少ない友人の一人である。
「なんだ天翔」
「小吾ちゃんは基本的に人の言うことを聞かない悪い子なので諦めてくださーい」
「君仮にも学級委員なんだからそういうことを言うんじゃない!」
「でもー、本当のことなのでー」
と、ふわふわとした口調で言う美空。友達である筈の小吾を『悪い子』と称したことに何の悪びれもない様子だ。
「あー、あと興味のないことには全然関心も示しませんよー」
「興味って……」
美空から追加情報を得た岩内先生は、ニヤリと怪しい笑みをした後、爽やかな笑顔に切り替えて小吾の方を向く。
「そうだ柳川、君はゲームが好きなんだったな。なら先生と授業を使ったゲームをしよう。それなら君も少しはやる気になるだろう?」
(美空め、余計なことを……)
小吾は美空のいる方へ睨みを利かせる。だが当の本人は笑顔で手を振ってくるだけで全く堪えていない。視線上にいたクラスメイト数人が巻き添えに恐怖を覚えただけだ。
「悪いが、僕が興味を示すのは電子機器活用のデジタルゲームであって、そんなアナログものじゃない。出るのはやる気じゃなくて寝る気だけだ」
「くっ」
爽やかな笑顔が消える。
「それに、罰ゲームも報酬もなしじゃ、なおのことやる気なんか出ないな」
「……いいだろう。このままじゃ授業が進まないからな。君がゲームに勝てば、望み通り報酬をあげよう」
「ほう?」
折れた岩内先生の報酬に食いついた小吾。
「一時間だ。今日に限り一時間分だけ好きなタイミングで眠ることを許可しよう。それならいいだろう?」
通常、一教師が与えることはまずないであろうご褒美を、岩内先生は渋い顔をしながら約束する。
だが。
「何だそのふざけた報酬は? その程度でこの僕が満足すると思っているのか? 僕もナメられたものだな」
見合わないと判断した強欲な小吾により特例の報酬は却下された。
「柳川ぁ、何様のつもりなんだ君は……」
「僕にやる気を出させたいなら、更に上を用意してもらわないとな」
「じゃあ二時間、三時間か? ああもう一体何時間分必要なんだ?」
「一ヶ月だ」
「アホかお前は!?」
あまりにも無茶かつ馬鹿げた要求に我慢できなくなった岩内先生は、教壇から降りて小吾の席へ向かい、そのまま少女一人呑み込まんとばかりに分厚い唇を大きく開けて眼前で小吾を怒鳴る。
「ぬあ近い! 唇が近い! 口付けするつもりか!?」
「いっそのことしてやろうか! ああ!?」
両手で逃げ出せないよう岩内先生は小吾の顔を鷲掴みにして押さえ込む。必死に足掻きもがく小吾であったが、こうなっては小学生の、まして女子である小吾に逃れる術はない。
テカテカと光る厚い唇が小吾のファーストキスを奪おうとゆっくり近づいてくる。
「だー、わかったよ! なら一日分、それも座学系の授業限定の睡眠でいいから!」
「この期に及んでまだ一日だと?」
小吾の初めてまで後十センチ。
「あーっ!? あーっ!? 嘘だ嘘っ!? 半日、いや三時間、もう二時間でいい! だからそれ以上近づくな!」
「……それだけか?」
報酬の格下げを申し出たことをいいことに、岩内先生は更に畳み込んでくる。
「これ以上僕に何を求める気だ!?」
「まだ君が負けた場合の罰ゲームを決めていなかっただろう?」
「ちぃ、余計なこと覚えてやがって……」
「なんだ? なんならこいつを罰ゲームに――」
小吾の初めてまで後五センチ。
「ギャー! ギャー! ギャー! わかったわかった! 負けたら今後一切貴様には逆らわない! 敬語も使うし授業も真面目に受ける! ついでにタラコも撤回してやるっ!」
「絶対忘れるなよ?」
と、念を押して手を離す岩内先生。解放された小吾は胸を押さえながら荒い息を漏らしている。
その様子を見ながら、「勝った」と訴えるようにどや顔をしてみせる岩内先生。
「はぁ、はぁ、覚えてろよタラコ……」
眠気を全て吹き飛ばすトラウマものの恐怖とかつてない屈辱を受けた小吾は、弱々しくも拳を固く握り締め、岩内先生へのリベンジを誓う。
「よーし、じゃあゲームの説明を簡単にするからみんなよく聴いてくれー」
気持ちを切り替えて、趣向を変えた授業を始めようとする岩内先生。
「タ……、岩内先生ー」
「今タラコと言いかけたよな? 何だ?」
男子生徒の一人が手を挙げて岩内先生に質問する。
「そのゲームの景品って僕らも貰えるんですかー?」
「は?」
「あー、俺も欲しいー」
「あたしも!」
「ちょっ……」
僕も私もと、サボタージュの特権欲しさに次々と挙がる生徒達の小さな手。普段の授業もそれだけ挙げて欲しいものだと内心嘆く岩内先生は、元気のいい挙手を一時下げさせる。
「そういう訳にはいかない。これは授業を真面目に受けようとしない問題児に対するやむを得ない処置であって、君たちにまでサボりを肯定する処置を許すわけには――」
「えー! 小吾だけなんてずりーよ!」
「俺も授業中寝てーぞ!」
「あたしだって!」
ブーイングの嵐に見舞われる岩内先生。六年一組の生徒達ほぼ全員からなので、その音量は隣のクラスから注意をされかねないほどに大きい。ちなみにブーイングに参加していないのは問題児小吾と、その光景を微笑ましく見ている美空だけだ。
「「「ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! ほ・し・いっ! 」」」
「だから話……聞いてって……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「さあー、始まりました第一回六年一組即席クイズ大会ー。司会進行は私ー、学級委員の天翔美空がおーくりしまーす」
教壇に上がり、握り拳をマイクに見立ててメインキャスターの真似事をする美空。
生徒達からの『ほしいコール』に押し負けて急遽始まったクイズ大会の開会宣言に、「「「イエーイ!」」」と六年一組生徒一同から歓喜の声が上がる。
「みんなー、授業中寝たいかー?」
「「「イエーイ!」」」
「サボりたいかー?」
「「「イエーイ!!」」」
「先生のあだ名はタラコのままがいいかー?」
「イエッ!? あぶるぶっ!?」
「誰だ今言いかけた奴はっ!」
黒板横の担任用机に移動した岩内先生は、椅子から立ち上がり犯人を探す。だが生徒達は皆顔を反らして黙秘を決め込んでいる為見つからない。
「ちっ、どうでもいいところでチームワーク発揮してからに……ってそれより天翔! お前もいらん掛け声入れるんじゃない!」
「さてさてー、では気を取り直してクイズの説明をしましょー」
「流すなっ!」
と、岩内先生の指摘も虚しく、美空は自分のペースで進行していく。
「クイズ内容は授業も兼ねている為、全て社会科の範囲から出題されまーす。ノートや教科書を見るのはオッケー。でも制限時間は一分間だけー。隣の人と相談するのは反則だから気を付けてねー?」
「だから流すなって……、ああもういい」
美空の揺るぎないマイペースさに負ける岩内先生。
「いいかー? 褒美は仕方なく、本当に仕方なくやるが、それはあくまで全問正解した場合だけだからな。ああそれと、一問でも間違えた奴は罰ゲームとしてたっぷり宿題を出してやるから心してかかれよ?」
「ええー!? 何その難易度!?」
「先生横暴だー!」
「うるさい! 例外を認めてやっただけありがたく思え!」
勉学不得意組のブーイングを一括し、岩内先生は美空に出題文を書いた紙を渡す。問題は時間の都合上全部で五問あるようだ。用紙を受け取った美空は早速その内容を読み始めようとする。
「おい待て美空」
一時制止を求めたのは、これまでの人生でも類を見ない恐怖と屈辱でとてつもなく不機嫌になっている小吾だ。
「なにー?」
「タイミングがなくて言いそびれたが、何で貴様が進行役をしている? ていうか貴様はやらないのか?」
「うん。私が進行役やりたーいって言ったら、先生がサボり権なしならいいよって言ってくれたのー」
「まあ天翔は成績がいいと評判だから問題ないだろうし、どうせ私がやったってつまらないだろうしな……」
(自分の授業サボりたがられて拗ねてるのか)
頬杖をついて窓の外を遠い目で眺める岩内先生。その心境を見抜く小吾は「ざまぁ」と心の中で嘲笑う。
「じゃあ次こそ第一もーん。ちゃらーん」
拗ねる先生を置き去りに、美空は中断された問題文を読み上げる。
「時は三世紀前半、神のお告げや占いを駆使して政治を行った、邪馬台国の支配者の名前はー? シンキングタイムー、キュー」
とあるバラエティ番組のQポーズを合図に、生徒達は一斉に動き始める。開いた教科書に目を配らせ、自身が書き留めたノートを確認し、中には横目で隣の解答を盗み見る者もいる。
答えを模索する方法はまばらだが、皆テストをする時以上に真剣な顔で答えを導き出していく。
全てはそう――二時間分眠る権利を得る為に。
(まあそこまで必死になるほどの問題じゃないけどな)
既に答えを書き終えていた小吾は周りの空気を感じ取りながらそう思った。
この問題の解答は『卑弥呼』。歴史序盤の人物の中でも割と覚えやすい基礎中の基礎である上に、邪馬台国に関してはつい最近授業で習ったばかりの範囲だ。真剣に取り組んで間違える方が難しい。
岩内先生も最初の一問ということで、全員答えられるようサービス問題にしてくれていたようだ。
「はいしゅーりょー」
緊迫感などまるでない美空の終了コールが言い放たれた。
「皆答えは書けたかなー? そうでない人もー、答えーオープン!」
生徒達は自分のノートに書いた第一問目の解答が見えるよう教壇へ向けて開く。
漢字、ひらがな、中には何故かローマ字で書いている変わり者もいたが、生徒達は『卑弥呼』という答えを当然の如く導き出していた。
ように思えた。
「山崎ぃ! お前邪馬台国の女王が『タラコ』ってどういうことだ!?」
岩内先生の触れてはいけない部分を抉る答えを書き留めた男子生徒、山崎は岩内先生の怒りにビクビクしながら理由を説明する。
「だ、だって、俺教科書もノートも忘れちゃったし、隣と相談もダメだって言うし、わかってたのは名前の最後に『こ』って付くことだけだったから、今思い当たるのがこれしかなくて……」
「どう考えても『タラコ』はおかしいだろぉ! 宿題決定っ!」
「いやあああああっ!」
六年一組即席クイズ大会。
山崎はクラス総勢三十人の中から最初の犠牲者と化した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「さあー授業終わりが刻一刻と迫る中ー、いよいよ最後の問題になりまーす」
石器の名称、土偶の使い道説明、一悶着あった生徒を貶める地図記号の復習問題等。
一問毎に脱落者が増える中、小吾を含む勝ち残り組十六名は、遂に睡眠権二時間分に王手を掛ける。
「宿題提出は明日まで、忘れたら追加で宿題出すから覚悟しとけよ?」
「先生ー、今時公立でそれはスパルタ過ぎるよー」
「ゆとりの時代は終わったんだ。恨むならあんな問題で真っ先に落ちた自分を恨むんだな」
サービス問題で脱落して意気消沈している山崎に対し、自分の運命を潔く受け入れろと言わんばかりの岩内先生。それを聞いた他の十二名の脱落者達もすっかりやる気をなくしてしまっている。
「だいじょーぶだよみんなー。宿題なんて元気があればなんとかなるよー。私もできるだけ協力するからがんばろー」
暗い雰囲気を少しでも変えようと、美空はふわふわとした癒しのある口調で元気づけようとエールを送る。
「そういえば美空、貴様は罰ゲームというか、宿題はないのか?」
ふと、思い出したように美空へ尋ねる小吾。
「あー、私サボり権なしだから、宿題やらなくてもいいよーってことになったんだー」
「貴様ちゃっかり安全圏に逃げたな!?」
小吾からの問いに「えー、そんなつもりないよー」と笑いながら答える美空。
それが事実か否か、美空の天然さ漂う立ち振舞いでは裁判長小吾ですら判決を下せない。
故に「この悪女が」と悪態をついて迷宮入りさせるしか小吾にはできなかった。
「ではではー、最終問題いってみよー……って、え?」
最終問題を読もうと渡された用紙に目を向けた美空。だが、その問題文を目視した途端、明るかった表情が曇り出した。
「先生、これって――」
「気にするな。時間もないし、さっさと読みな」
「は、はい。じゃあ問題」
疑問を投げかける美空に冷めた返しをする岩内先生。困惑するものの、美空は言われた通り書いてある問題文をそのまま読み上げる。
「期間は一九五六年から一九七六年まで、イギリスとアイスランドの間で勃発した紛争の名前はー?」
「はあっ!? 何よそれっ!?」
「そんなの難しいどころか、習ったことすらねえよ!」
「てか習うの!? 何か聞いた感じやりそうにないんだけど!?」
「……ふふふふふ、あはははははっ!」
全く答えの見出せない問題を聞かされて騒ぎ出す生徒達。それを見ていた出題人、岩内先生は突如顔を掌で覆いながら高笑いを始める。
「わからなくても無理はない。何せこの問題は――豆知識の範疇だからなぁ」
外道の如く、にやりと悪い笑みを浮かべる岩内先生。指の隙間から覗く瞳がより一層悪質さを増している。
岩内先生の卑劣な悪巧みを前に、生徒達は文句を言い始める。
「豆知識って、そんなのわかる訳ないじゃん!」
「社会科から出すって言ったのに!」
「そうだな。確かに私は社会科の範囲から出題すると言ったが、誰が小学校の範囲から全て出すと言った?」
「卑怯臭い!」
(いや復習問題出してきてる時点で気付けよ)
片手を机の中に入れている小吾はポツリとそう思った。
「何とでも言うがいい。私は教育者だ。授業中堂々と眠ること、サボることを認めるなどできるか。何より、私の授業でそういう態度を取ろうとするその怠慢さが、実に気に入らないんだ」
拳を握り締めながら教師としての立場問題と、生徒達にサボられたがられたことへの怒りと不満をぶちまける岩内先生。不満を口にした時の方が握り方が強い。
「とはいえ、例外を認めてしまったのも私だ。認めてしまった以上、権利はちゃんと渡してやるさ――この問題が解けたらな」
再び悪い笑顔が生徒達に向けられる。
小学、中学、高校ですら触れられることのない、基礎勉学では特に学ぶ必要のない豆知識。普通の小学生に答えられる筈もなく、しかも僅か一分という短い時間の内に正解を導き出さなければ権利は手に入らない。
岩内先生は、最初から権利を渡すつもりがないのだ。
「さあ天翔、シンキングタイムを始めるがいい」
「は、はい……。じゃあ、シンキングタイ――」
「必要ない」
諦めムード漂う教室の中、シンキングタイム不要の一言を告げる小吾。クラス全員の視線が小吾へと向けられる。
「何だと柳川?」
小吾の言葉に眉を吊り上げる岩内先生。
「ああそうか。流石の君でも答えには辿り着けそうもないから降参するということか。まあ君への対策としての役目が大きい問題だから無理もないが、それは許可できんな。君が答えられないだけで、他の子が答えられるかもしれないんだ。降参するのは君の自由だが、他の子の可能性まで摘み取ってしまうのはどうかと思うぞ柳川?」
語りながら小吾の席まで歩いていく岩内先生。初めこそ睨んでいたが、早くも勝利を確信したせいか、敗北者を滑稽だと言わんばかりの嘲笑う顔を小吾に見せつけている。脳内では嫌々ながらも岩内先生に屈服している真面目な小吾が活動を始めている様子だ。
だがその妄想も。
「この低脳が」
小吾の決まり文句で消滅してしまった。
「て、低脳、だと? 教師に向かって何だその口の利き方は!?」
「それ、今更過ぎる指摘だな」
小吾の口の悪さは担任を受け持ってから幾度となく振る舞われている。単にムカついて怒鳴った感が丸出しの岩内先生。
「どうせ貴様だって誰も答えられないとわかっているのだろう? ならやるだけ無駄な話、無駄な時間というものだ。真に答えられる奴だけ答えさせればいいだろうが」
「言うじゃないか柳川ぁ。まるで自分ならこの難題を答えることができると言いたげだなあ?」
「はい、フラグ頂きましたー」
「ん? んげぇっ!?」
一つの用語が書き記された小吾のノートを見た瞬間、岩内先生は眼球とタラコ唇が零れ落ちそうになるほどの驚愕を示す。
死亡フラグを立ててしまったのだ。
「『タラ戦争』。答えはこれでいいんだろう? なあ美空?」
岩内先生に解答を見せつけている小吾は、横目で美空に確認を取る。曇っていた美空の表情が、暖かな日差しを届けるかのように晴れ渡っていく。
「ぱんぱかぱーん! 全問せいかーい! 見事クイズ大会を制覇した小吾ちゃんには、賞品として睡眠権二時間分(座学限定)をプレゼントしまーす! 皆拍手ー!」
見事全問正解を成し遂げた小吾を称える美空に促され、「「「おおおおおー!」」」と生徒達も拍手で小吾を称えていく。卑怯な手を使った岩内先生が無様に敗れたこともあってか、拍手の音は予想以上に大きいものとなっている。
「ば、馬鹿な……。大学でも滅多に触れないような内容だぞ? 小学生がほいほい答えられるようなものじゃ……」
「そう思ってこんな自虐ネタ丸出しの問題用意したのか? とんだM教師だな。それに、僕をそこらのボンクラ共と一緒にされるのは極めて不本意だ」
驚愕のあまり床に跪く岩内先生に、仕返しの毒舌を浴びせる小吾。続く「そこらのボンクラ共」というセリフで拍手喝采だった教室内が一気に静まり返った。
「自慢じゃないが、僕はほぼ全てのジャンルを攻略している万能型のゲーマーだ。当然クイズゲーとて僕の攻略範囲。文系理系社会に雑学、昨今の芸能スポーツからマニアックなアニメ・ゲームまで、ありとあらゆる知識を日々蓄えて続けている。小中高の基礎勉学など、今の僕にとってはただの知識確認でしかない」
「だから眠くて退屈なんだよ」と、欠伸をしながら続けて言う小吾。
「で、でも柳川、私が知るところだと確か君の学力は、高く見積もっても平均並みだった筈だが」
「あー先生、小吾ちゃんはテストとかも面倒臭がって、真面目に受けたことがあんまりないんですよー。本当は私より頭いいしー」
「なっ!?」
「そういうことだ。僕がその気になれば、この程度の浅知恵問題、解けて当たり前なんだよ。だから貴様は低脳なんだ」
「ぐ……、ぐ……」
小学生女子を相手に言い返せず、厚みのある唇をブルンブルンと震わせて睨んでいる担任教師の姿がそこにあった。
「おっと、呼び方はこうじゃなかったな」
そう言うと、小吾は席から立ち上がり腕を組んで岩内先生へ体を向ける。そして恨みと憎しみの籠る、今年十二歳を迎える女子とは思えないどす黒い瞳で見下し、嘲笑いながらこう言い放った。
「タ・ラ・コ・ちゃん?」
「すけそうだらあああああっ!」
――キーンコーンカーンコーン。
と、授業の終わりを告げるチャイムが校内中に鳴り響いた。
「じゃ次の時間、早速権利を使わせてもらうからな。さてトイレトイレ」
「あー、私も行くよー」
崩れ落ちて放心状態になっている岩内先生にそう告げて、小吾は美空を引き連れトイレタイムで教室を後にしていった。
こうして、第一回六年一組即席クイズ大会は、心に受けたこれまでにない屈辱を、短い時間の内に見事晴らした柳川小吾という初代大会覇者の誕生で幕を閉じたのだった。
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「よかったねー小吾ちゃん。バレなくてー」
「……今日は気付いてたパターンか。ホント貴様はわかりづらくて恐ろしい」
友人であり、要注意人物と認識している美空を横に、小吾はスマホの検索履歴を消しながらそう言った。