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第十話 柳川奈々香の同好会

「ゴメン二人ともー。先生に用事頼まれて遅くなっちゃった」


 昼休みを向かえて約十五分。縁なし丸眼鏡を掛けた優等生感漂う少年、奥山(おくやま)吹雪(ふぶき)は部室の引き戸を開けて先に待機していた二人に謝罪を入れる。


「って、ちょっとどうしたの柳川さん!?」


 入って早々吹雪が目撃したのは、長机に突っ伏して、魂が抜けたように生気の失われた目をしていた柳川家長女、奈々香の姿だった。


「……ダメ、もうダメ。いっそのこと消えてしまいたい……」

「ほんと大丈夫!? 目が死んでるけど!?」

「ダメよ奈々香」


 パイプ椅子に座って膝掛けをしている、額も眉毛も覆い隠す水平に切り揃えられた前髪をした少女、山奥(やまおく)(ゆき)は落ち着きのある綺麗な声で言う。


「そ、そうそう。何が起きたかまだ訊いてないけど、元気だしなよ」

「死んだ目は私だけで十分よ」

「そうそ、そっち!?」

「キャラ被りは迷惑よ。今後の出番に響くじゃない」

「今そんな心配しなくて大丈夫だから!」

「たとえ死んでも空気にはなりたくないのよ」

「大丈夫! キャラ被りはしてないから今は柳川さんの心配してあげて!」

「そうは言うけれど吹雪、こればかりは奈々香の自業自得だもの」

「自業自得って」

「事の真相はこれよ」


 そう言って、雪は一枚の紙を吹雪に手渡す。


「あ、そう言うことか……」


 用紙に書かれた内容を見て事態を察する吹雪。


 十三点。


 赤く彩られた二桁の数字が、柳川奈々香の名前が載った英語の答案用紙に書かれていた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「で、今日の放課後早速追試って話だけど、見込みは?」

「ないー……」


 気力のない言葉を吹雪に返す奈々香。


「私も人のことは言えないけれど、ここまで五教科が苦手だなんてね。他の科目は問題ないのに」

「特に英語は苦手だよね」

「もー、単語だけでも覚えるの大変なのに、文法なんて使い分けられる訳ないじゃない」


 余程勉学が嫌いなのか、己の学力の低さを差し置いて、奈々香は投げやりな言葉を口にする。


「英語なんてやらなくていいよー。私日本から出る気ないもん。使わないなら覚える必要ないし」

「いや、やさぐれ過ぎでしょ。どれだけ嫌いなのさ」

「それは間違いよ奈々香」


 ぼやいている奈々香に説教をするつもりなのか、雪が否定の言葉を浴びせる。


「いらないのは数学よ」

「雪!?」

「因数分解? 二次関数? 三平方の定理? そんなもの覚えて役立たせるのは精々学者か教職員ぐらいなものいよ。こんなもの選択科目で十分だわ」

「わかるよ、雪ちゃん」


 奈々香は雪の手を優しく握り、長い間巡り会えなかった理解者にやっと出会えたかのような熱い視線を雪に送る。


「数学なんて、加減乗除さえ最低限できればいいんだよね。将来使いもしない数式を暗記する必要なんてないよね」

「その通りよ、奈々香」


 雪は片手を暖かく包み込んでいる奈々香の手を握り返す。


「奈々香、今こそ立ち上がりましょう。私達で忌々しい数学を必修科目から永遠に撤廃するのよ」

「他の四教科もいいかな?」

「英語だけ許すわ」

「よし!」

「よしじゃないって!?」


 二教科の危機に立ち上がる吹雪。


「二人とも、苦手だからって現実逃避しないでよ。あと因数分解も、二次関数も、三平方の定理も、二年じゃまだ習わないから今心配しなくても大丈夫だよ」

「あら、そうなの? ところで何でそんなこと知ってるのよ?」

「ん? そりゃ僕は受験の為に前もって予習してるし」

「チッ、これだから優等生は」

「ええっ!?」


 普通に聞き取れる舌打ちをされた吹雪は、ごほんとわざとらしく咳き込んで話を戻す。


「と、とにかく教科撤廃は一先ず置いとこうよ。今はそれより柳川さんの窮地を脱することだけを考えようよ」

「え、手伝ってくれるの?」

「そりゃあ僕ら同好会に名前を貸してくれた大事なメンバーだし、何より友達だからね」

「ありがとう吹雪君! すっごく嬉しい!」

「あ、いや、うん……」


 乗り出して吹雪に顔を近づける奈々香。その可愛らしい笑顔(プラス発育のいい胸)を間近で見せつけられた吹雪は、顔を赤らめて視線を反らす。


「あらイヤだ。吹雪ったら奈々香ちゃんを手込めにして何をする気かしら?」

「変な言い方しないでよ!」

「気を付けなさい奈々香。男はみんな獲物に餓えた狼なのよ。そこのムッツリ眼鏡も奈々香の揺れる胸を常に狙っているわ」

「狙ってないって! ちょ、柳川さんも無言で離れていかないでよ!」

「賢明な判断ね奈々香」

「まあ、身近にちょっとそんな感じな人がいるから」

「え? 何それ初耳よ。誰よそのろくでなしは?」

「いや、それはちょっと……」


 そのろくでなしが自分の兄だとは流石に言えない奈々香。


「いいから黙って白状なさい。この前耳にした呪詛を試してみたいのよ」

「それ洒落になってないやつじゃない!」

「男なんてみんな死ねばいいのよ」

「ダメ! 絶対ダメ!」

「あの雪、もしかして僕にも怒ってる?」

「まさか、吹雪が奈々香でいやらしい妄想をしていることなんてこれっぽっちも怒ってないわ」

「今もまさにしているようなこと言わないで!」

「………………」

「手で胸を隠さないで! 大丈夫だから! 男とまでは言わないけど、せめて僕は信用してよ!」


 疑惑の目を向ける奈々香へ必死に身の潔白を示そうとする吹雪。


「そう言って信用を得てから奈々香を玩具にする魂胆ね。これだから思春期は」

「吹雪君?」

「だから違うって!」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「じゃ、じゃあ気を取り直して、追試の対策をしようか」

「そうね。弄りもほどほどにしておかないと話が進まないもの」

「それを雪が言わないでくれるかな……」

「ちなみに吹雪が奈々香でいやらしい妄想をしていたことは紛れもない事実よ」

「吹雪君?」

「それはもういいよ!」


 未だに吹雪への警戒姿勢を崩さない奈々香。兄の影響もあるせいか、男への信頼性は高くないようだ。


「それで吹雪、追試ってどんな内容になっているのかしら?」


 ここにきて雪がまともな質問をしてくれたことが喜ばしいのか、吹雪は笑みを溢した後雪の質問に答える。


「そうだね。うちの学校のだと期末試験と違って、こういう抜き打ち形式なのはどの先生の場合でも、ほぼほぼ同じ問題が出ると思うよ。だから赤点回避はそんなに難しくはないだろうね」

「つまり、このテストの答えを丸暗記してしまえば、めでたく事が収まるということね」

「暗記って、私の空欄と解答間違いばっかりなんだけど……」


 と、自分の答案用紙を見ながら落ち込み気味に言う奈々香。


「奈々香、誰があなたのお馬鹿をリプレイしろと言ったかしら?」

「言わないで!」

「模範解答は吹雪に書いてもらいなさい。あなたはそれを死ぬ気で覚えればいいの」

「簡単に言うけれど、私勉強での記憶力も自身ないんだけど」

「全く奈々香、あなたここをどこだと思っているの?」


 呆れたように雪は言う。


「私達は『リスニング同好会』よ。音楽、物語、ラジオ、ただの雑談。聴覚で楽しめる事柄なら何でも耳の中に入れていく、それがこの同好会の活動内容じゃない。答案用紙とにらめっこして頭に入らないのなら、部員らしく音にして、声に出して鼓膜から脳へ叩き込めばいいのよ」

「長期で記憶するなら黙読の方がいいって言われてるけど、今回は放課後に試験だし、短期間、短時間記憶力を底上げさせるなら断然音読の方が合ってるしね」


 雪部長の提案と吹雪副部長の雑学に促され。


「うーん……そっか、それならいけるかも」


 と、少しばかりその気になる奈々香。


「やる気が少しは出たようね。それでこそリスニング同好会のメンバーよ。吹雪、早急に答えを埋めなさい」

「オッケー。じゃあちょっと貸してね。しゃしゃしゃしゃー……はいできたー!」

「早っ!?」


 奈々香から答案用紙を受け取った吹雪は、一分も経たない内に全ての空欄、訂正箇所を埋めてしまう。


「そ、そんなに簡単だった?」

「そうだねー、応用問題もないし、基本さえ覚えちゃえばそんなに難しい内容じゃないかな?」

「そ、そう」


 確かに、今回の小テストは抜き打ちであったにも関わらず、奈々香を除くクラス一同は誰一人赤点を取った者はいなかった。

 そんな基本問題ですら赤点にしてしまう自分のオツムは、この先本当に大丈夫なのかと悲観的になる奈々香。


「さあ奈々香、ぐずぐずしてないで早速音読よ。昼休みが終わってしまうじゃない」

「う、うん」


 雪に言われ、一呼吸置いた後に奈々香は吹雪先生のルビ付き模範解答を読み上げ始める。最初は単語の訳し問題。一問目には日本語で『殺す』と書いてある。


「えーと、キル――」

「違う」


 膝掛けを鞭のように振るい、奈々香の頬に一撃を与える雪。

 ペシンッ! といい音が響く。


「何するの雪ちゃん! 痛いじゃない!」

「答えだけ読んでも意味ないわよ。ちゃんと問題文から読み上げてセットで覚えなさい。じゃないとあなた、どれがどの答えか忘れてしまうんだから」

「うぐ……」


 全くもってその通りの言い分に、何も言い返せない奈々香。


「それと、残りの休み時間も同じように読ませるから」

「ええっ!? 雪ちゃん、授業でもないのにそれは恥ずかしいよ!」

「知ったことじゃないわ」

「ひどい!」

「雪ー、どうせなら録音もしようよ。空いた時間に聴くだけでも大分違ってくるし」


 常に持ち歩いているのだろうか、吹雪は上着の内ポケットからボイスレコーダーを取り出した。


「あら、いい考えね」

「全然よくないよ! ていうか雪ちゃん絶対楽しんでるでしょ!」

「否定はしないわ」

「してよっ!」

「うるさいわね、これもあなたの為よ。いいから黙って読みなさい。また赤点取りたくないんでしょ?」

「ううー、読めばいいんでしょ読めばっ!」


 雪に弄ばれ、恥ずかしさなどもうどうでもよくなった奈々香は、吹雪持参のボイスレコーダーに音声を録音されながら、校舎片隅の部室で問題文を読み上げていった。

 その後も雪の言った通り、休み時間は全て音読に当てられた。廊下での音読中に「殺す!」と奈々香が読み上げた際、殺人宣言をされたと思い込んだ通りすがりの男子生徒が数度転びながら慌てて走り去っていく事態もあったが、やけくそ状態の奈々香は全く気にも止めず、ただひたすらに問い解答を読み続け、問い解答を聴き続け、そして――



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「どうしてこうなったのよ?」


 放課後、追試を終えた奈々香を教室の外で待っていた吹雪と雪は、落胆した奈々香の姿を見るなり、手に持っていた答案用紙を奪い取って点数を確認した。


 十八点。


 赤く彩られた二桁の数字が、柳川奈々香の名前が載った英語の答案用紙に書かれていた。

 五点しか上がっていない。


「試験前の最終確認じゃ、まあ誉められるほどじゃなかったけれど、赤点を免れるくらいにはちゃんと覚えてたじゃない」


「うん。吹雪君の言う通り、問題はほぼ、と言うよりもそのまんま全部同じだったから、どこに何の答えが当てはまるのかは大体わかったんだけど……」

「だけど?」

「あの……す、……す」

「酢?」


 これを言えば確実に罵られる。

 そう思った奈々香は言葉に出すのを躊躇っていたが、言わなければこの気まずい時間はいつまでも終わらない。

 意を決した奈々香は今にも泣き出しそうな顔で、出だし噛みながらもこう叫んだ。




「しゅぺりゅ(スペル)がわからなかったの!」




「「………………」」


 静寂が辺りを包み込む。

 吹雪も雪も、奈々香のあまりにも低い知力を目の当たりにして、何も言えなくなってしまったのだ。


「う、うあああああー!」


 無言の圧迫に耐えきれず、奈々香は泣きながら走り去って行った。

 見送り、立ち尽くす二人はぼそりとこう言った。


「……次からは書き取りもさせよっか」

「……そうね」


 奈々香、再追試決定。

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