終わりし世界のネクロフィリア
あらゆる文明が衰退し、一面砂と岩ばかりになった荒野。少女が立つ小高い丘に見える場所も、かつては緑にあふれ、人々の憩いの場所となっていた公園だった。それが今では、遠くを見渡すための高台にしかならない。
「あっちに瓦礫の山が見える……。行ってみる?」
少女は振り返りながら言った。ウインクしているように見えるのは、もうすでに彼女の左目は二度と開かないからだった。すごぶる愛らしい造形をした少女だったが、右肩から先は無く、服もボロボロで、穴の開いた箇所の奥には、つぎはぎのような跡が残っている肌が見えた。身長は百四十に満たないくらいで、齢は十を超えたか超えないか、のように見える。
「うん。ごめんね、ネク」
ネクと呼ばれた少女の声にこたえたのは、酷く小さな少女だった。……いや、少女だった物体、だろうか。
「気にしないで。私も、することないから。行こうか、ロニカ」
ネクはロニカの元へと歩くと、彼女を左手一本で抱き上げ、背負った。ロニカもネクと同じく天使と見紛うような愛らしい顔立ちをしているのだが、首から下は、人間ではありえない形相をしていた。両手両足はなく、腹も裂けていて臓物はなく、代わりとでもいうように、旅に必要な小道具が詰められていた。
「……何度も確認するけど、本当にいいの?」
背中と左腕でロニカを背負いながら、ネクは聞いた。
「何が?」
「その、荷物入れみたいにしちゃってて」
ネクの言葉に、ロニカは朗らかに笑った。
「いいよ、いいよ。私、普段は何にもできないし、荷物持ちくらいするよ。……それに、結局は荷物、ネクが持ってることになるし。ネクこそいいの? 足手まといじゃない?」
ネクは首を振った。
二人は遥か先に見える瓦礫群……。かつて人間が栄耀栄華を築き、繁栄した大都市、そのなれの果てを目指して歩いていた。
そこにはきっと、ロニカが求める新しい何かがある。詳しいことはネクも知らないが、それを得るために、二人は共に滅びきった後の世界を生きてきた。
戦争ですべての動植物が死滅した後の世界を。
見えていた瓦礫群は、近づいてみればそれはそれは大きな都市だった。二人は久しぶりにかつての文明に想いを馳せた。
「すごいね、ロニカ」
「うん。ここにはあるかな、私の代え」
ネクとロニカは慣れた風に周りの地面を見回す。アスファルトで舗装された道を、大きな瓦礫がいくつも折り重なるようにしてふさいでいる。見上げれば、多くのビルが半壊した状態でそびえたっていた。未だに完全な状態で残っているものは一つとしてなく、一番まともなものでも、壁がはがれて中身がむき出しになっていた。
「じゃ、瓦礫どけるから、ちょっと待っててね」
「うん」
ネクはゆっくりとロニカをアスファルトの地面に横たえると、積み重なって道をふさぐ瓦礫の前に立つ。
「よいしょ、っと」
彼女は一番手前にあった一部を左手で持つと、軽い調子で引いた。砂埃が舞い、轟音が響き、瓦礫の山は少しだけ小さくなった。力をかけすぎたせいか、ネクの左手の指の皮は、破れて血が流れていた。彼女はそれに構わず、次の瓦礫に手をかけ、引き抜いた。より一層低くなった瓦礫の山と、さらに破れたネクの皮。彼女は自分の指を見ると、少しだけ驚いたような顔をした。
「ロニカ、ちょっと休憩」
「うん、わかったよー」
ネクはロニカのそばまで歩くと、腰を下ろした。膝を丸めるようにして座ると、目を閉じた。
「大丈夫、ネク? 何かあったの?」
心配そうに、ロニカは聞いた。
「うん、ちょっと皮が破けちゃって。すぐ修復するから、待ってて」
ネクは言いながら、自分の不調を悟っていた。まさか、瓦礫をどかす程度で皮が破けるとは思っていなかった。自分もやわになったものだ。若干の不安と共に、そう思った。
「でも、ネク。あれ全部どけるんでしょ?」
「まあね」
「じゃあ、皮が破ける度に休んでたら、日が暮れちゃうんじゃない?」
それもそうだな、とネクは相槌を打った。
「じゃ、手が使い物にならなくなるまでやるか。ありがと、ロニカ」
「気にしないで。頑張ってね、ネク」
ネクはぎこちなく微笑み返すと、修復しかけていた手を酷使して、瓦礫を次々にどかしていく。ロニカを背負ったネクが問題なく通れるほどに瓦礫をどかし終わるころには、ネクの左手の皮は真っ赤に染まっていた。指先に至っては筋繊維まで見えて、握力もかなり落ちていた。
「おしまい。ここにロニカの探し物があるといいね」
「うん」
その左手でロニカを背負うと、ネクは奥へと進んでいく。
「左手、大丈夫? 濡れてるけど」
「すぐに修復できるよ」
二人はあたりを見回して、瓦礫以外の何かがないかどうかを探しながら歩を進める。
「見たところ何もないね。ハズレかな」
「ビルの中にも入ってみようよ。もしかしたらアンドロイドが隠れ住んでるかも」
その言葉を聞いて、ネクは嬉しそうに顔をゆがめた。
「そうだね。弱かったらいいんだけど、どうだろう」
ネクは近くにあったビルの入り口を見つけると、嬉々とした表情で入っていく。
「罠とかないかな?」
「あるわけないよ。あったとしても、私たちを傷つけれるだけのものじゃない」
ネクはビルの中に入ると、獲物を見つけた鷹のような表情であたりを見回す。広いエントランスには、かつての受け付けや待合用の椅子などの残骸が残っていた。他のビルと同じく、上に行く手段はことごとく崩壊しているが、それ以外の部分はある程度片づけられている。小さな石ころなどはたくさんあるが、外に転がっているような大きさの岩は端に寄せられたように並んでいた。
「いるよ、絶対に、いる」
ネクは不自然に固められた瓦礫の山の後ろに回った。
「見つけた」
「……あ……」
そこにいたのは、二人と同じような少女だった。綺麗な顔立ちをして、両手がなく、心臓があった部分からは機械のような手が生え、それは痙攣するかのように細かく動いていた。少女の目は大きく見開かれ、まるで怯えているかのようだった。
「壊れかけだね、ロニカ」
「そうだね。どれだけ『残ってる』かな?」
「わ、私、は、壊れていな、い」
そう主張する少女の声はざらざらとした雑音がまじっていて、鈴のようだっただろう声はもはやスクラップ寸前のスピーカーのようだった。
「まだ自意識あるんだ。レア物だよ」
「ネク、早くやっちゃおうよ」
ロニカの言葉に、少女は肩を跳ねさせた。静かに首を振り、涙を流した。
「ゆ、ゆるし、て……」
「涙? もしかしてあんた、元人間?」
ネクが興味深そうに聞いた。少女は必死の様子で頷いた。
「へえ、生体改造型ってまだ動いてたんだ。ねえ、あんたらって痛いことも気持ちいいことも感じるってホント?」
「は、はい」
怯えたまなざしのまま、少女は質問に答える。それが唯一の生き残る術だと考えてるようだった。
「ふうん。ねえねえ、ロニカ。私、一度『悲鳴』って聞いてみたいんだけど。『あえぎ声』でもいいけどね」
「私は『悲鳴』がいいな。悲しい鳴き声。どんなのかわくわくしない?」
二人は朗らかに笑っているが、そばで聞いている少女は恐怖で凍り付いていた。
「よし、悲鳴なら、ロニカの出番だね」
「うん、頑張っちゃうよ、私」
ネクは背負ったロニカを地面に下ろした。ロニカは踏ん張るように全身に力を入れると、体の側面から嫌に細長い腕のような器官が八本、生えてきた。それは三節あり、まるで節足動物のように自在に動いた。
「よいしょ、と」
ロニカがそういうと、細腕のありとあらゆる部分から刃物が生え、とたんに彼女の腕のようなものは凶器に変貌した。
「ひ……化物……!」
「心臓からマシンアーム生やしてるあんたはなんなんだよ。じゃあ、ロニカ、そいつの『悲鳴』、聞かせてよ」
「うん、わかった!」
にっこりと笑うと、ロニカは怯えて後ずさる少女に構わず、腕を足のように使って飛びかかった。
「い、いや、いやあ、いやっ」
八本の腕で抱きしめるようにすると、少女の全身に数えきれないほどの刃物が食い込んだ。
「きゃあああああああああああ!」
痛みと恐怖に耐えきれなくなった少女は、息を絞るように悲鳴を上げた。
「へえ、これが悲鳴かあ……」
言いながら、ロニカは手を動かす。少し手が動くたびに、ジャクジャクと少女の肉が切れ、血があふれ、少女に痛みをもたらす。
「た、助けて、赦して」
「ねえ、ネク、今の聞いた? これって命乞いってやつじゃないかな!?」
少女の体を弄びながら、ロニカは嬉しそうに聞く。
「たぶんそうじゃないかな。私もやってみたいなぁ。『オープン』」
手持ち無沙汰にネクは言った。すると、彼女の右肩から、光の粒子があふれ、次第に腕の形を成していく。それは人の腕だったが、彼女には似合わないくらい大きな右腕だった。
「ダメだよ、ネク。あなたがやったら一瞬で消しちゃうじゃない。悲鳴を楽しむんだったら、私のほうが向いてるよ?」
「……そうだよね。じゃ、もっと聞きたいから、もっと痛くしてあげてよ」
ネクはそういうと、光り輝く右腕を振るった。するとその右腕は霧散し、後に残ったのは痛々しくもがれた痕がある右肩のみだった。
「うん、わかった」
ロニカは腕をただ動かすだけでなく、刃を抜き差しするように動かした。余計に痛みと流血が酷くなり、少女の意識は次第に遠のいていく。
「あ、ああ……お父様、お母様、私は、私は……」
それからしばらく、少女のうわ言のような独り言が続いた。それが途絶え、完全に少女が息絶えるまでには、一時間ほどかかった。
「あれ、もう動かなくなっちゃった」
ロニカがゴミでも捨てるかのように少女から手を放すと、少女の体はどしゃりと音を立てて落ちた。
「うーん、やっぱり生体改造型は耐久力がないよね。ま、それでも戦闘能力がほとんどなくなってたからよかったけど、マシンアームが生きてたら手こずったかも」
ネクは少女に近づくと、穴だらけの体をまさぐる。
「ねえ、核はどこにあると思う? 体の中かな、やっぱり」
ロニカが全身に穿った刃物の痕を、ネクが指でさらに広げる。
「手伝おうか、ネク」
「あ、お願いしていい?」
「まかせて」
ネクが少女の残骸のそばから離れると、ロニカが覆いかぶさるようにして少女を解体していく。ネクは危険が近づいたらすぐロニカに言えるよう、視線をビルの外に向ける。しばらく、肉を裂く音がビルの中に響いた。
「あったよ、核」
「ありがと、ロニカ」
ネクが振り向くと、そこには真っ赤に染まったロニカと、赤い残骸と、拳大の機械核しか残っていなかった。機械核は黒っぽい立方体で、ネクはその核を手に取ると、飲み込んだ。
「……どう、ネク」
「うん、アタリ。結構残ってた」
ネクは微笑むと、戦闘形態を解除し、だるま状態に戻ったロニカを背負った。
「ねえ、ネク、次のビル行こうよ。もしかしたらあれがあるかもしれないし」
「そうだね」
二人は瓦礫となったビル群を、楽しそうに歩いていく。
「今度生体改造型とあったら、あえぎ声聞いてみたいな、ネク。たしか気持ちいいことするとあえぎ声って出るんだっけ?」
「そうだったっけ? まあ、いいや。脳みそ直接いじって、快楽物質を直接投与したら、あえぎ声が出るかな。それとも、生殖行動で出るんだっけ?」
「生殖行動って?」
「さあ? 文献に書いてあった。何をするのかは知らないけど」
二人は滅びきった後の世界を、当てもなく歩いていく。
「……ねえ、ネク」
「なあにロニカ」
その果てに訪れるものは、終焉。
「楽しみだね」
「楽しみ」
けれど、二人は最後まで、楽しみ切ることだろう。