第四章 輪廻を泳ぐ夜②
女たちが人間でいることを放棄するのに、そう時間は掛からなかった。
甲高い音の共鳴と同時に、皮膚の穴から噴き出す分泌液によって波立つ衣服は溶け消え、見えた皮膚は緑へ様変わり、怪しげな薄ら笑いは大量の魂が層になる事で不快な音色を奏でた。
重力と言う言葉は完全無視で、踵の力だけで不自然に起き上がると、皮膚の穴からウジ虫のような軟体生物が見え隠れする様子は、まるで女の肉体を住居のように公然と扱っている。
無数の皮膚の穴から生える生体だ。
動物並みのフサフサとした生き物ならまだ可愛く見えるが、緑の小さく細長い生き物が己の意思でそれぞれが前後左右、不自然にうごめく。
この過程を目にして警戒しない方がおかしいほどに。それでもフレイは軽く手招きをして挑発する。
「さあ、来てよ。手加減する気はないけどね」
「きえぇえぇぇええぇぇえぁぁあぁああぁあッ!」
待ち構えるフレイに立ち向かうために、この時ばかりは集合体も目的を同じ場所に置いて、大音量の不快な声は一致団結を示す合図のように、皮膚に隠れた生体も一斉にその姿を現す。
音の共鳴から女たちの身体は小刻みに震え、単体同士が次々と細胞を混ぜるように体を連結させていく。
粘り気ある分泌液が、この一連の作業をより快調に進めた。
まさに生贄として差し出されたも同然な二人の女の身体を主軸に、一匹では何の力も持たないもの同士が集まり結束すると、肉体を溶かして再び魂と共に融合。
完成したのは柔い半透明のミミズのような、一匹の緑の生体になると極端な肥大化まで成功させてしまう。
「く……ッ!」
勢いを継続したまま先手必勝を目論む集合体は、小回りを利かしてフレイの隙を突いて絡みつくと、視覚と呼吸、動作に至るまで全ての自由を奪い、フレイの身体全体を隈なく締め上げて、身体が完全に宙に浮くとフレイにとって厳しい局面へ突入する。
「きえぇえぇぇえええぇぇえぁああぁぁああぁあああッ!」
フレイの最後を悟ることで、上半身にいる小さな生き物たちは伸縮自在な口を大きく開いて、ラッパのような形に変えると大音響のスピーカーを作り、大量の共鳴を呼んだ。
これはフレイが死への最終段階に入ったことを、末端となる足先の仲間にも伝達している証拠だ。
集合体は多種多様な意思を持った生物の集まりだ。
思考も共感も、物理的な共有をしなければ満足に歩くことすらままならない欠点を補うために、この五月蝿い共鳴が存在している。
そんな頂点がフレイの終わりを知らせる共鳴で仕上げて、完全勝利を掲げた集合体。
事実フレイは全身を、特に首回りを渾身の力で締め付けられていて、すでに窒息死してもおかしくない状況だ。
おかしくないはずなのに、窮地のフレイが息絶える瞬間は一向に訪れない。
この奇妙さを身体中に即通達できない難点によって、焦るように染渡る不穏の淀みを細胞各々に浸透させるのだが、全てが遅いと悟る前に、フレイの反撃は鮮やかに遂行される。
フレイに絡む緑の太い軟体が、上部から順に緑の色素を失くしてどす黒い黒へ変色を始めた。
特にフレイの顔周辺から順に範囲を拡大させている。
既にこの黒い物体に抵抗の力はなく、フレイの上半身は見えていて、足元を締め付ける緑のミミズが色を変えるのも時間の問題だ。
肥大化した体はただ黒くなるだけでなく、墨色の、透けるほどの薄さと軽さで急速に干乾びて、少し風に煽られただけでパラパラと割れると、最終的には粉になり果て夜空に消えた。
この唐突な墨色の物体こそ、集合体の体内で生きたものの残余と捉えてまず間違いない。
どうやらフレイの口から集合体の持つ水分を根こそぎ吸い取る行為によって、敵の身体が壊死した事が原因だろう。
現状、個々の細胞が全滅して、抗う方法を完全に失くした敵を引き千切る行為は、豆腐を握るよりも容易い。
緑が飛び散る事で壊死を逃れた細胞の残余や司令塔の処理には、フレイによる食道の限界まで吸い溜めた緑の体液を横隔膜で強く押し上げる反動と喉を強く鳴らす合図によって、一種の大砲のような派手さで豪快に口腔内から放出させる。
その威力は絶大で、特大の風穴をいくつも作る豪快な攻撃で破裂して、ミミズの身体のバランスを崩壊させていく。
増殖で補う早さより、欠落する速さの方が圧倒的に上なのだ。
しかし敵はアンバランスな自身の身体にすら関心を持たず、一瞬怯んだ感情や感覚すらもまるで他人事のようにすぐ忘れる。
どうやらこの生体は死を恐れないほど痛覚を麻痺させているようだ。
そんな厄介な敵に対して、フレイは最後の制裁を与える切り札を放った。
〈コッ、ボアァァアァァ!〉
顎を外したフレイの口腔内から顔全体へ光が灯った次の瞬間、見えた閃光は一点集中の炎。
これは自然治癒力をより活発に、素早く行うために採用された、無限に生成されているフレイの血液に含まれる天然のアルコールを着火剤にして、マッチを擦る行為と似た刺激で口腔内で舌を摩擦させる動作で炎を生み出し、自由自在に操るという人知を超えた能力だ。
豪快に放出される灼熱の砲撃が、情け容赦なく集合体に襲い掛かる。
それはミミズの名残も無く、肉体は恐ろしいほど簡単に焼け落ちて塵すら残さず消えて行くさまは、柔いプリンをバーナーで瞬時に燃え焦がすようなイメージで、緑の物体は明瞭な黒煙を焚き出して心身共に根絶やしに燃やし尽くされる。
んなフレイに執拗に纏わりつく悪臭は猛毒のガスだ。
この状況から見ても明らかに有利な状況に転じたというのに、未だフレイが警戒を解けない理由がある。
それは怒涛の衝撃を受けて幅広く分散させてた身体のほんの一部の細胞が危機を脱して、この事態を想定してか、事前に保険を掛けて僅かな欠片から蘇生を開始したのだ。
細胞を集約し、新たな魂まで呼び寄せ、再び肉体を組み立てていく。
「……ッ? やはりアイリーンかッ!」
「きぃぃいいぇえぇえぇぇえええぇぇえぁあぁぁあああッ!」
予め知恵を与えた黒幕の名を口にしたことで、つい先ほどまで人間だったはずの怪物は怒り狂ったまま叫び、再びフレイを威嚇する。野心の強いアイリーンと崇拝心の高い集合体。
信仰心が強いが故に、集合体の単純さは時に生への貪欲さを生み出す。
「……アイリーンのためなら、死すら恐れないってことかい?」
一般人を巻き込むリスクは考え及ばず、ただ全責任をフレイ側に擦り付けるだけで全てが完結する問題と軽く考えているのは粗方間違いないだろう。
アイリーンとよく似た思想を持つ無敵の集合体は、フレイを倒すことだけに集中して散った体を再び集めて立て直すと、勝利を掴んだことを意味する奇声で、同時に、フレイと同等の生体であると喜びの余韻にも浸る。
フレイのように何度だって立ち上がると、今の集合体なら可能だと信じて疑わない。
「いいよ、特別に本気で相手にしてあげる。僕は今、とても怒っているからね」
集合体の持つ再生機能に動揺も見せず、怒っているという割には言葉の発音に余裕が見える。
今にも襲い掛かるような体勢を整えると、一呼吸おいて、次の瞬間には集合体の懐に入ったフレイ。
同じ異端同士、血みどろの戦いにどっぷり浸かる。




