第四章 輪廻を泳ぐ夜①
「……最終確認よ、準備はできて?」
日付が変わる午前零時目前。
相変わらず巨大な空調機が騒がしい音を立てて、排出される熱風をまともに受ける中、真剣な顔つきでジュノはフレイに最後の調整と確認を行った。
これはこの二人にとってごく日常的に行われる〈罪咎〉の始まり。
「ありがとう、僕は大丈夫だよ。さあ、行こう!」
元気なフレイの返事を合図に、突如二人の毛髪が活発に躍動する。
暗がりの空の下、それぞれの色を身に纏い、二人を全くの別人へあまりに驚愕な成形を扶助していくのだ。
《ジュノは頭部から足先に向けて黒い髪の毛が下がっていく》
《フレイは足底から頭部に向けて紅い髪の毛が上がっていく》
ただフレイの場合少し特殊で、単純に毛髪が全身を纏うだけでなく、非常に奇妙で残酷な働きを見せる。
毛髪を彩る紅の色素だけ足元へ移動した瞬間、フレイの髪は煌びやかな銀髪に変色。
足底を抜けた紅の色素は液体に物質を変えて、溶け出す合図で体外へ一気に放出させる。
外気に触れた瞬間、紅の色素は化学反応で沸騰を起こして煮え滾るままフレイを囲うと、更なる変化で巧みに化合・分解と、派手な変形を繰り返してはより高濃度の紅を生成する。
恐らくこの瞬間のために体内の至るところに蓄積させていた金属と適合して、剣山のように鋭く長い〈紅い針〉に物質を変化させる。大量の針はフレイの姿を隠すように蔽った。
続く下部から出現した〈銀の糸〉が身体を旋回しながら紅い針の先端へ到達すると、その合図で紅い針は逆行を開始させ、まるで針に糸が通ったかような、銀の糸が後を追う形で繋ぐ。
突き進む大量の〈紅い色素〉と、そのすぐ後を追う〈銀の組織〉は、互いを交差させながら螺旋を描き、壮大な体外から排出されたと思えば、再び緻密な体内へ侵入すると、無邪気に遊び合う子供のように身体中を自由に巡るのだ。
この清く純粋なままの目まぐるしい変化は、遂に最終段階へ到達。
血管内を浮遊する紅に銀を重ねた色素と組織は、小回りが利くよう柔軟で細く、先端の尖った特殊な毛髪に進化を遂げて、意志を持つ生物のように身体中を巡ってうねり、毛細血管の先端へ到達した後、各々の配置が整う合図で毛細血管を一斉に貫通させる。
血液を丸々含んで毛細血管を突き抜けた色素は、枝分かれを起こす変化で筋肉の筋を網目状に絡んで締め上げ、太く頑丈に仕上げながら筋肉に絡みつく事で柔軟性も兼ね備えた身体は、フレイの外見と成長を凄まじい速度で促した。
この過程で発生した傷は元より、癒着すら体内に残さないものの、一斉に血管を突き破り、筋肉を締め上げる際に伴う激痛への慣れは一切生じない。
堪らず雄叫びを吠えたフレイは、全身の関節を鳴らして限界まで仰け反る。
最後は皮膚の表面に浮き出た紅い毛髪を熱で圧縮させると、表面は溶けてなだらかとなり、雲一つない月光を浴びることで、反射する眩い輝きに加えて美しい色艶も確認できる。
子供の原型は一切留めず、身長は飛躍的に伸び、毛髪で紡いだ衣服は外気を遮断するような作りで、頭からつま先まで全てを覆い尽くす様はまさに全身ラバースーツ。
そんな身体の成形を終えた、際立つ漆黒と真紅に包まれたこの姿こそ、黒塗り・紅塗りと呼ばれるもの。
深夜の下界は色とりどりの光を放ち、人通りも相変わらず多い。
そんなネオンが届かないこの場所で、月明かりで燃えるような紅を幻想的に浮かばせたフレイが再び吠えた。
それが合図と言わんばかりに、ジュノと共に午前零時の高層ビルを駆け降りる。
大胆にも人であふれる深夜の歓楽街へ降りて行くと、人という障害を避けて、風のようにすり抜けて。
途中、フレイが若い女性二人の顔面を鷲掴むと、勢いそのままに目前のビルへ駆け上がった。
そんな突然の突風に一時騒然とするのは人間だ。
しかし赤の他人が二人消えたことなど知る者もなく、辛うじて認識した者がいても、錯覚か記憶違いと思考が勝手に解決に至るのが常。
あまりに非現実的な出来事に対しては、幾らでも記憶を無かったことにできる。赤の他人なら尚の事。
なによりも確信がない時点で主張しても良い事などある訳ないのだから。
***
「ん?」
素早くビルを駆け上がる最中、両手のひらに伝わる異様な感触がフレイの警鐘を鳴らす。
辿り着いたビルの屋上で、勢いそのままに女たちをコンクリート中央に沈め、地面が少々ヒビが入るほど顔面を押し付けると一旦退き、後方ジュノに注意を促した。
「気を付けて! この二人、集合体で間違いないっ!」
心の意志を失くして本能赴くまま生きるこの生物は、〈泥濘から生まれた人間の総称、神の子〉の直系であり、単体では未発達・不完全で非力であることから、同様の境遇の魂が結合した存在として《集合体》と称されている。
現状集合体は、アイリーンを崇拝する者が圧倒的大多数で、未発達が故に単調な知能を利用されたアイリーンの勝手の良い操り人形でもある。
実はそれがこの生物の厄介なところ。
「アイリーンが近くで潜伏している可能性が捨てきれない。何か画策しているとしか……」
敵から少し離れたフェンスで、これから起こる可能性に目星を付けるフレイとジュノ。
「でしょうね。二手に別れましょう、貴方には集合体をお願いするわ」
「あっ、相手はあのアイリーンだ! 君じゃ彼の思うつぼにしかならないッ!」
「どちらを選んでも大して立場は変わらないでしょう。なら互い好敵手に収まることね」
「だからって何も彼を選ばなくったって……」
「あら、貴方を慕うのはアイリーンだけじゃないのよ。あれを見てもまだ不服かしら?」
ジュノの指差す方向へ振り向いたフレイの眼に映るのは、女たちが仰向けのまま身体中の皮膚の穴から声にならない悲鳴で発狂する様子であり、激戦を予告するに事足りる。
「圧倒的に抱える数が多いと思うの。恐らく私一人では時間稼ぎにすらならないでしょうね」
「……ッ、君は罠と知っていながら僕から離れるのか?」
「こういうことは深く考えないほうが得策よ。お互い、気楽にいきましょう」
「全く、君らしくないなッ!」
捨て台詞を吐いて、フレイは甲高い音の共鳴を放つ集合体に向かって飛び出した。
普段から几帳面で慎重なジュノが、あのアイリーンの懐に自ら入ると宣言したのだ。
心配が勝ってもこの状況を打破するために、避けることは出来ない必要な行動と思い改めて静かに従う。
これが今フレイのすべき選択と納得した以上、信じて進むしかないのだから。
そんなジュノは行動を起こす前に、今一度金網にヒールを片足ひっかけ、足を組みながら幅の小さなフェンスに器用に座り、余裕を醸して下界の全貌を眺める。漆黒の身体が淡い月夜に照らされる事で暗闇に同化すること無く、孤高な漆黒が際立ち、目立つ赤眼は美しく妖艶。
正しく艶やかな黒が厳かな雰囲気を漂わせたこの姿こそ、まさしく女王の貫録。
ジュノはそんな優雅な雰囲気を纏ったまま、ゆっくりアイリーンの思惑に嵌っていくのだ。




