第三章 災いの元凶①
比較的心地よい環境と静寂さに包まれながら、自身の昆虫を媒体に人間界を巡回させ、人間の行動を脳という巨大なパノラマに繋ぎ、数多ある映像を介して監視するジュノ。
本来なら地球の裏側まで監視を手広く配置させるのだが、昨晩の件もあり、今日だけは特別狭い範囲で集中的に捜索を行っている。
ただ早朝ということもあり、主に出勤のために忙しなく目的地へ向かう人間が殆どで、時間に追われるごく普通の日常が眼前に広がる。
つまりこの時間に得られる情報は極端に少なく、監視の手も緩めるジュノにとっての束の間の休息だ。
しかし唐突にあまりに非常識な出来事によって、この朝の平穏が転換期を迎える知らせを得た。
道中、昆虫を潰す怪しい男の情報がジュノの監視下に飛び込んだのだ。
この珍事に多くの昆虫を手配すれば、予想を裏切らない男はジュノの昆虫だけをピンポイントに潰してくる。それは不快に思うようで、自らの存在を主張するようで。
「フレイ! 起きて頂戴!」
より詳しい情報を得たいジュノは、忙しなく脳天から高らかと声を出してフレイの名を呼ぶ。
あの深夜の出来事からそう間が経たず、眠気眼のフレイではあるが、ジュノの苦虫を噛み潰したような横顔を目にすることで、寝ぼけた頭は一瞬で目覚める。
「突然で申し訳ないけれど、この男性と会って欲しいの。お願いできるかしら?」
一部の白髪が生きた生物のそのもののように宙に浮き、縦に綺麗に並ぶと毛髪は溶けて結合を行い、なだらかになったと思えば最終的には物質まで変えて、半透明のフィルムのような薄い液晶画面になると映像が浮かび、色彩豊かに男の顔と全身が映し出されて、最終的には衛星画面のように男の現在地をリアルな地図で分かりやすく伝えてくれる。
「話を聞くだけで良いのかな? ジュノは何を知りたいの?」
「厳密に言えば要望を聞くだけで譲歩も承諾も一切答えないで欲しいの。貴方はただ毅然とした態度で臨めばいいわ。ジェームスを従えなさい、何か役立つかも知れないわ」
「分かった。努力はするよ」
ジュノ管轄の小さな指導者、赤いテントウムシに擬態している【ジェームス】は、会話はできないが総括の地位に立つだけあり人間の語学を理解する非常に賢い昆虫だ。そんな心強い友を得て、フレイは不審な男が待つビジネス街を目指す。
***
「……おぉ、来たか、少年!」
忙しない早朝を駆け抜けて、ビジネス街は人が疎らとなった朝九時過ぎ。
舞台を一棟のビジネスビルの屋上に移して、大量の昆虫を潰した男はフレイをまるで昔からの友人のように意気揚々と、子供の姿のフレイとその傍らにいるジェームスの到着を心待ちにしていたのだから、緊張で引き締まっていた顔は呆気に取られた表情で満ちる他ない。
男は一見するとこれと言った特徴はないが、ビジネス街とはあまりに場違いな、かなりラフな格好ということくらいか。ジーンズにTシャツ、薄汚れたスニーカーと自由人にも程がある。
これで昆虫を潰し歩いていたのなら、周囲の目にもかなり奇怪に映っていたことだろう。
フレイとジェームス、一人と一匹が顔を合わせることで、とある予感が渦巻く。
とことん調子を狂わされて振り回された挙句、結局スタート地点へ戻されるような、そんな嫌な予感だ。
「手荒い方法で悪かった。他に効率の良い方法が思いつかなかったんだ、許せ!」
男の言葉でフレイの顔つきが強張る。
素が陽気な性格と百歩譲ったとして、初対面というのに打ち解け合ったような、昔からの友人のように気軽に話す姿は実に馴れ馴れしい。
「き、君は何が目的なんだ? なぜわざわざ僕たちを呼び立てる?」
主導権をものの見事に掴まれたフレイたちだが、このまま黙ってやられる性分でもなく、今一番の疑問を問い掛けるが、そんな当然の質問に対して驚く様子を見せるのはこの男。
「なぜ? こんな面白い素材を前に、一人楽しむには些か贅沢だろう。喜びは共有することで増幅するとも言うだろ? つまりは心の距離も縮むってもんだ、そうは思わないか、少年?」
「ま、まあ……、つまり君の話の内容を要約すると、互いの話を擦り合わせて物事を穏便に進めたいが、君の主張は全部聞き入れて欲しいという見解で合ってるのか?」
「ご名答ッ! よく解ったな!」
少々ユーモアも交えた意思表示の発言を、フレイに解説されて興奮気味になる男。
「残念だが君の要望を叶えることは出来ない。他を当たってほしい」
「すぐにとは言わん。そう滅多ない巡り合わせだ、ここで断る判断こそ下策と思わないか?」
男が口を開くたびにフレイの不信感を煽る中、それを超える不快感で激怒するのはジェームスだ。
自身を主張するためだけに仲間を潰したと知って、湧き上がる憤慨をコントロールできない。
普段冷静な対応と温和な性格が持ち味のジェームも、今回の件は許し難いものなのだ。
「赤いの、中々陰険な表情をしている。ストレスを溜めると後々面倒だ。少しは気楽にしろよ」
男の発言に一人と一匹は激しく動揺して、この静かな驚きを隠せそうにない。
一見すればただの昆虫がフレイの傍で離れずくっ付いているだけなのだから。
昆虫のジェームスの感情を細かな動きだけで見極める、鋭い洞察力まで発揮する男。
この発言で言葉では表現出来ないほどの不可解な違和感を放つことから、フレイの心にもこれ以上この場にいるのは危険だと脳が強い信号を送ってくる。
「悪いけど、僕たちにはもう時間が……、」
直感に従ってジェームスの怒りを宥めながら、この場を離れるための妥当な言い訳を考えるも、男は言葉の束縛を存分に発揮させてフレイをあの手この手でこの場に止まらせ始めた。
「そうだよなあ、確かに俺が何者か、一度知らしめる必要はあるか?」
「き、君はさっきから何を言って……ッ?」
いまいち成立しない会話に収拾をつけるためなのか、男は突然右手をフレイに差し出す。
集中力を研ぎ澄ませて左眼に力を注ぐと、瞳孔が開いた男の虹彩は鮮やかな赤に染まる。
右腕の骨と筋肉を増殖・増強させて、腕の付け根から掌にかけて骨の一部が容赦なく折れる凄惨な音と、血管を突き破る音まで残酷に鳴らして、直視できないグロテスクな改造の後、右手に馴染む形で露わとなったのは、艶のない、重厚感ある黒に染まった立派な銃。
右腕付け根の内部から爪先に至るまで、骨から筋肉、神経、血管まで活用して、非常に巧妙で緻密に組み立てられている。見れば見るほど魅了される美しい創りだが、それ以上に注目すべきは銃のバレルに赤く刻まれた〈05〉の数字だろう。
「基本的に弾は凝固させた血液を頼りにしていてさ、実弾も装弾可能で超万能なんだぜ?」
この能力の過程と最終的に揺るぎない数字を目にして、フレイの表情は強張る。
これは右腕に束ねた太い血管を銃口へ直通させるために、肉体改造まで施した珍しい能力。
綿密に癒着を重ねて体内に太い管を作り、分厚い金属で覆う構造に実弾用のシリンダーも採用された、完璧な回転式拳銃であることを目視から訴え掛ける。
ここまで完璧な一体型は滅多にお目にかかれない貴重なもの。
なにより男が所有するこの独特の変異は、フレイとジュノの変容や特殊能力、ステラの手術技術に次ぐ、【祝福】による異質な創造物と意識する他ない。
つまりこの男は同胞だと断言できる、まごうことなき証拠を提示してきたと言うこと。
祝福とは自身の判断で心身に秘められた能力を限界まで発揮させる、脳のリミッターを一部解除させた能力の総称だ。
契約と規約さえ守れば、一般人も含めて公平に機会が与えられている能力だが、継続と調整が面倒で難解で、忍耐力と精神力が根こそぎ削がれる曰くつき。
これは多方面に神経が行き届き、並外れた技術と忍耐を持つフレイたちだからこそ扱える代物であり、人間にいかほどの潜在能力に恵まれようと、ただの宝の持ち腐れにしかならない。
つまり祝福とは死に物狂いの末に掴める努力の賜物であり、抗えない運命が圧し掛かることで、更なる精度を究極に研ぎ澄まされたことで出来る、二つしてない個性となる。
「これ見た目通り完全に俺と同化して離れなくてな。なかなか、厄介だろ?」
脱力しながら話してはいるが、この残酷な成形による激痛は計り知れないものとフレイの経験から訴えかけるも、男の相変わらず気楽な雰囲気を崩す気配を見せない芯の強さを知る。
「そ、それにしたって、君のことを僕は……、」
まず根本からフレイにはこの男とはほぼ初対面なのは勿論のこと、05の刻印を持つ者とも接触した記憶は片隅にもないほど稀薄で、想起も実に曖昧。
ここまで有耶無耶な理由には訳があって、フレイたちが人間界に溶け込むこと決意してから後世に記録を残すのは好ましくなく、記憶を採用する他なかったのだ。
数えきれない、気の遠くなるほどの年月を重ねるのだから記憶は万能ではないし、脳に入れる情報にも制限がある。
今回は単にフレイが〈忘れている〉だけなのか判断しづらい状況であって、焦って損じるより、ゆっくり答えに近づく方が無難だろう。
それに男の立場で考えてみれば、ジェームスにとっては悪害他ならない存在であっても、通常の一般人ですら生き辛い今の世の中、フレイたちへの連絡手段も限られていることから、昆虫を潰す判断が致し方ない点も理解できるのだ。
「フッ、本当に、……甘ちゃんなようだな。隙だらけだッ!」
「え……ッ? ああッ、くッ……!」
深く理解を示すほどに男に対する警戒心を解いていくフレイの良心を阻害して、癖の強い男は有ろう事か最悪の未来へ続く方向へと容赦なく移行させていく。
男は突然、悪意を纏ったような腹黒い表情でフレイの首を掴み、地面に叩き倒したのだ。
思いもしない襲撃にフレイの心を撹乱させたまま、男は無理難題を押し付ける。
絞殺するならこれ幸い。
問題は生かす方法にあり、有ろう事か究極の災いへ陥れる封印を強引に解くのだから。
子供のフレイの細い首をコンクリートに固定して、無理矢理目線を合わせると、赤く灯った男の左眼が映写機のような仕組みで、フレイの右眼を被写体にして大量の情報を注ぎ込む。
「く、くく、ぐ、ぐぐぐッ……、ぐ、ぐぁあぁあああっ……、あぁ、あぁ……ッ!」
暴れるフレイがみるみる大人しくなると、最後は生気を失くして酷く怯える事態に陥る。
一見すると何の変哲もない行為だが、覚束ない眼が小刻みに震え出した頃合いで、男はフレイを自由の身へ。
たった数秒でフレイの精神は異常を来たし、正常な感覚を把握するための脳も上手く機能せず、漠然とした不安から眼を見開き、放たれた自由に縋るように男の元から急いで去って行く。
フレイの異常性をその目に焼き付けたというのに、男は何事もなかったように後ろポケットから煙草を取り出し火を近づける。
先程までの陽気さと気楽さが消え去り、深追いもせず、まるで他人事のような無表情でフレイの姿が見えなくなるまで静かに見送った。




