第二章 流転を泳ぐ夜②
瞬く星で飾るはずの夜空は、眠らない街が広がるだけでその儚い輝きはかき消される。
今、この場で、人類の命運を決定づける事態が勃発したことなど、誰一人想像すらしないだろう。
完全体の絶妙なタイミングに能力と。
その個性を十二分に生かした計画は、鮮やかなほど完璧だった。
ただ一つ、招かれざる者がその姿を現すまでは。
ステラが事の顛末に気付くには十分すぎる方法で、その存在を主張した。
深い青が注ぐ夜空から地上に向かい鋭い刀が数多降り注ぐことで、真後ろでステラを狙う中身のない敵の動きを完封したのだ。
硬いコンクリートをものともせず、敵の肉体を次々串刺しにする豪快な荒業は、この敵に対する強い怒りと殺意の表れがよく伝わる。
「ジュノ? ……ジュノっ!」
左手に新たな刀を創造し、印象的な赤眼を輝かせて、黒塗りのジュノが降りてくる。
「全く、貴方たちは本当に……」
少々呆れた物言いながらも、ステラを守るように串刺しの敵の前に立つジュノ。
説教云々は後々こっぴどく聞かされるとして、不穏な空気は一転して大きな希望に満ちる。
対して、入念な計画を水の泡にされた完全体の怒りが収まるはずもなく、刀の檻に阻まれながらも渾身の力で暴れる様子は、まるで檻に繋がれた気性の荒い猛獣でも見ているようだ。
「面白いわね、〈時間を操作する〉なんて。アイリーンの受け売りかしら?」
言葉に毒を添えながら、ジュノは真の首謀者を名指しした。
これはフレイが直面していた抉れた傷口の違和感、それが全てと物語る。完全体単体で動作を鈍くするだけならともかく、小刻みに時間を繰り返す、高度な現象を起こせるような手腕は流石に持てない。
ならば空間を廻すことが得意なアイリーンが、どこかで手引きしていると考えるのが自然の成り行きだ。
加えてジュノは外部から事の真相を確認済みだ。
この空間だけ妙な膜に覆われていた事実を。
「私が外部から確認した膜は深海のように時間の進みが重鈍と考えると、破格の水圧を、深海を再現して誤差を生み出したようね。そんな頼りない空間にアイリーンが〈回転〉加えてフレイに重傷を与えた瞬間を何度も繰り返し、傷つけられる前後を何度も繰り返したのでしょう。本当に、姑息なやり方だわ」
簡単に例えるならば、動画を超低速で見ながら同じ場面を寸分たがわず再生と巻き戻しを繰り返すような仕組みだ。
実にシンプルで地味だが、誰でも実現可能な陳腐なカラクリでもある。
「……ステラ、その者を私に」
「え? こ、これのこと?」
膜を完全に切り裂いて構造自体を崩壊させたことからか、フレイの負傷も回復の兆候を見せている。
その様子を確認すると、串刺ししたただの入れ物でしかない存在から目線を外し、地べたに座り込むステラと正面に向き合ったジュノ。
未だ困惑したままステラの両手にしっかり掴まれた生物を引継ぎ、片手で掴むと少し強く締める。
粘着く体液で滑り落としそうになるが、多くの怒りを買った柔い肉質と小さな体は、手加減のない手の内に止まる。
ジュノの殺気がひしひしと伝わることで、誤魔化すことすら手遅れな状況に加え、より大きく波打つ恐怖が追い打ちをかけて、突然奇怪な産声を上げて叫んだ小さく奇妙な生物。
そう、ステラの予想通り、これこそが完全体の本体だ。
「ひっ、くひゃあ、ひゃあっ!」
「あら、今更?」
欲望に任せてやりたい放題、好き放題行って、最後の最後で縋る助け舟。
相手が敵なのは周知の事実というのに、緑の涙を流して情けを懇願する厚かましさに静かな怒りは収まらない。
「私は温和じゃないのよ。非情な現実を地獄で思う存分嘆いて、また現実に戻ってくることね」
「ひっ、……ぐあぁぁあっ、…………、ッ!」
哀れみ一つ持たないジュノは残酷にも完全体を手放す。
地面に吸い寄せられる僅かな時間、小さな体は異常な膨張を開始。
声帯を圧迫されると懸命な泣き声は強制的に遮断され、肉体が球体のように限度を超えて膨れ上がり、地面に落ちた衝撃だけで木っ端微塵に爆発した後、塵すら失くす。
反動からか擬態していた抜け殻も形を保てず、本体諸共空の藻屑になった。
「やはり仕掛けてきたわね。傍観だけで満足できる質でないのは確かなのだけれど」
ジュノはこの一連の死に様について、早々に離脱したこの世で最も憎むべき敵、アイリーン特有の性質も利用して絶望を味合わせたのだ。
互いの意志と精神こそ異なっても、目的が一致したことで実現した哀れな最後。
つまり完全体の死はジュノが直接手を下したのではなく、アイリーンに利用価値を失ったと判断されたことで、この無残な死に追いやられたのだ。
「当たり前のことだけれど完全体に同情の余地はないわ。ただアイリーンにとって終始体の良い実験体としてゴミも同然に扱われた、その運の悪さだけは不憫に思う」
あのフレイを珍しく劣勢へ追い込んだアイリーンなら、少なからず期待を寄せていたはず。
ステラの肉体を手中に入れられるかも知れない、そんな大きな奇跡を。
「ステラ、普段貴女を外に出さなかった理由、今回のことで少しは実感できたかしら?」
「あ、ご、ごめんなさいぃ……」
表情の分からない黒塗りだが、優しい声色で出てくる言葉には若干棘がある。
「い、いやっ、僕がステラを誘ったんだ。だから……」
「今更そんな陳腐な嘘を私が信じるとでも? 貴方の行動は生き続ける上で致命的な判断なのよ? まあ、身を持って実感したとは思うけれど、それにしたって軽率すぎるわ」
陳謝すら言えないほど猛省するフレイに、普段冷静沈着なジュノがここまで激怒する理由。
それは比較的弱い部類に入る美しいステラが、敵にとって最も手に入れられる可能性の多くを秘めた、憧れの肉体の持ち主として本能から共通認知されているからだ。
『大体、アイリーンは《未来のステラ》の存在もゴミ同然に扱うだけでなく、それに伴う地位も名誉も居場所すら略奪して、神に近い存在として名を刻む前例を生んだ人物なのよ。未来だけでなく、まさか現代まで隙を与えて再び同じ轍を踏む気はないのでしょう?』
流石にステラには聞かせたくなくて、フレイの近くまで赴き小声で問う。
アイリーンは未来のステラを弄び殺した挙句、その亡骸さえ好き勝手に扱った、何者より真っ先に捕らえるべき《未来人》である。
膨れ上がる泡のように次から次へと悪知恵が働き、性格も狡猾かつ残忍で、目も当てられないほどの酷い残虐性を内に秘めている。
天性の詐欺師とでも言うように演技も天才的で、それ故ストレスの発散方法は目も当てられないほど卑劣で悪質極まりない。
ジュノたちの良心を突いて、手玉の如く転がし続けた代償は何者より重く、あろうことかこの宇宙の星々すら所有物同然に扱い、自転車操業状態で自然の叡智を根こそぎ搾取した、雁字搦めの現状に償うものは何一つ残ってない。
犯した罪の爆弾は、今にも爆発寸前の花火のように派手で危険。
ジュノたちはそんな無茶苦茶な輩を相手に、常に正攻法で対処しようとしているのだ。
「君の慎重さと真面目さはよく知っている。誰よりもステラの将来を重んじていることも。君がステラを守るための壁であるなら、僕は反抗するステラを保護するためのクッションでありたい。自ら汚れ役を買って出る君の覚悟ともに、僕は君も含めて助ける立場を約束する」
「……そう、今回のことを教訓に、慎重に行動してくれるのならこれ以上責めないわ」
「分かった、ありがとう。本当にありがとう。でも、……やっぱりごめん」
寛大なジュノの言葉を素直に聞き入れるフレイは、不満たらたらな表情をするステラを宥めながら今出来る反省を、態度は当然として言動でも示そうとする。
そんな考え方の違う二人でも間違いないのは、行動の仕方こそ違っても、ステラの笑顔を守ることを優先的に考えているということ。
その想いが本人に上手く伝わってないところを見ると、ステラは本当にまだ年若い無邪気な子供のままのようにしか見えず、まるで一つの家族でも見ているような錯覚にも陥る。
ただ普通の家庭より正常に機能してるように見えるのは、長年の絆があるからだろうか。
フレイは不遇なステラが笑顔になって欲しいと願う想いが、底のない優しさの原点なのか、それは行動となって表れていて、逆にジュノはステラの人格と個性を尊重しながら敵から守るために、自身を律して心を鬼に常に対等に向き合う芯の強さが窺える。
どちらにしても、この切実な想いが上手く伝わらないステラが共通の問題として共有されている。
いつかステラが笑顔で自由を謳歌できるような、そんな幸せ溢れる場所を探して。




