第九章 それぞれの宿命②
時は朝の七時。
脱衣所を通った先の風呂場は、強いシャワーの音で周囲の雑音はかき消されている。
占領しているのはジュノ。
目覚めた早朝、既にクレスの姿はなく、走り書きで留守を知らせるメモには部屋を出る以外は好きにしていいとの記述があり、迷いながらも風呂の魅惑に魅かれて、現在に至る。
シャワーの管内に毛髪を限界まで詰め込んで、温水を極限までろ過・精製して浴びるシャワーは格別だろう。
暖かな風呂場を後にして脱衣所へ移動する僅かな時間、濡れた全身の水滴が万有引力に基づいて一斉に落下させて、髪と身体を一瞬で乾かす現象まで見せた。
脱衣所のドアノブを触れる頃には、衣服を纏う利便性溢れる能力まで披露する。
閉じたドアにもたれて、柄にもなく口元が綻ぶジュノは、束の間の休息に安堵した。
〈ピ――……ッ、キィイーッ!〉
忙しなく届くクレスの帰宅の音。
「目覚めはどうだ! ジュノ! もう起きただろう!」
地面を叩きつけるような力強い足取りで、ジュノーがいるだろう寝室へ一直線。
「ジュノ! ジュノ、起きて……、ッ?」
ジュノを視界に入れたクレスは、その姿に一瞬言葉を発せないほどの衝撃を覚える。
それもそのはず、今現在ジュノは眩いダイアモンドを散りばめたような輝く美しい白銀の髪に映える鮮やかな翠眼、花嫁さながらの純白のドレスに加え、可憐な装飾まで揃えて尚且つ上品に着こなしているのだから。なにより視界に入れたクレスを見た瞬間の、満開の花が咲いたようなジュノの、初めて見る笑顔に、真顔になる以外の方法でどう誤魔化せというのか。
「……なぜ、そんな格好に?」
「これは澄んだ空気を取り入れるための見目よ。この状況で私に出来る最後の足掻きね」
「…………、最後、か、」
ジュノにとっては常に覚悟を持って生きてきた強さの表れだろうが、クレスにとっては実感の湧かない言葉の一つ。
クレス自身も死と隣り合わせの環境で生きてきたが、ジュノの体調が日を追うごとに悪化する状況が、クレスの心を少しずつ恐怖で浸透させていく。
自身で解決できない問題が、歯痒い事態であることを今更再認識させられるのだから。
「無理はするなよ。悪いが少し大きな音を出す、いいか?」
「貴方が宿泊しているホテルでしょう? 私に遠慮する必要なんてないわ」
「それもそうだな」
角度が変わるほどに煌めく美しい翠眼がゆっくり優雅に閉じられたことで、安堵の訪れに胸をなでおろすが、今度は彫刻のような美しい目鼻立ちが気になってしまうのだから実に悩ましい。しかしジュノ優先だからこそ、自身の用事は早々に済ませたいのが正直なところ。
大きな物音を立てると共にテーブルに何かを広げ始めたクレス。
ビー玉のような小さなものが一部転がる音の不思議に、自然とジュノの関心もテーブルへ移る。
そっと瞼を開けて音の正体を瞳に映した瞬間、その瞳は大きく見開き、息を呑むような言葉を発する。
「その弾丸……」
音の正体は種類豊富な山積みの弾丸。
「夜のうちに仕入れた。これだけ備蓄できれば自信にだってなる」
「仕入れたって、このホテルにしても弾丸にしても……。一体どうお金を工面したの?」
「……長く、長く世界を巡って、闇医者として人脈を培い、情報を共有して裏ルートの流通を結んだ。弾にしろ金にしろ、伝手さえあればそう難しい話じゃない」
「そう、なのね……」
「嫌か? 汚い金は嫌いか?」
何かしら含みを持たせた一言が不快に感じたクレスは、武器を詰めていた小汚い袋をジュノに向けて投げ飛ばす。
膝に当たった小袋を手に取るジュノは、この発言を心底後悔した。
無意識とはいえ自身が吐いた言葉がどう感じ取られるかなど、理解できないはずがない。
「そんなことないわ、ただ……」
世界を知り尽くした身でも、ジュノの管轄から逃れた裏世界は当然現存している。
それはアイリーンと結託するような無計画な世界線でなく、違法と合法のギリギリを縫うような常に立場が危う世界で、ただ生きるためだけに闇に身を染めたと言っても過言ではない。
いくら偵察を送っても、かき消される情報。
それはクレス同様、裏世界と提携を組む同胞が居座ることを示す決定的な証拠。
出る杭は打たれる世の中、同胞が生き続けるための手段には限りがある。
世の底辺になって永遠に日の目を見ず細々と暮らしていくか、悪行を重ねて渡り歩くかの究極な二者択一になるのが自然な流れだ。
この世の中はただ慎ましく暮らすことすら許してくれないのだから。
苦汁を嘗めた経験により、優しさを怒りに変えた同胞の苦しみは強く、その心の傷は深い。
故に口が堅く信頼の厚い同胞が、この重い扉を強く閉じるのは至極当真っ当な話。
「辛いことを思い出させたようね、ごめんなさい。謝罪で許されるような立場ではないけれど」
「もう気にする必要はない。前言撤回で悪いがこの取引で足を洗ったつもりだ。弾丸の補充は無い、行動次第で撃沈もあり得る。覚悟は出来ているか?」
不適な笑みでジュノを見るクレス。
恐らく今世で最も重圧が掛かるだろう責務に対して清々しいまでの表情で、受け入れ態勢を粛々と整えているのがよく伝わり、覚悟と決意、明るい未来を信じて心が満ち満ちている。
「……そう、ありがとう。本当にありがとう」
ジュノにしては珍しく呆けるような顔をしたかと思えば、安堵を得たからか驚くほど優しい笑顔まで披露する。
それは上品さの中に無邪気さを兼ね合わせたような、まさに聖母の表情。
真剣な面持ちで立ち上がる瞬間、純白を纏うジュノの身体は螺旋を描くように頭部から急速に色を変える。
全てが神々しく、腰まである長髪をかき上げ瞬間は、まるで銀幕のスター。
一瞬一瞬がスローモーションに、生きる芸術は派手な変化を魅せつける。
姿は大人のままで、純白と真逆な漆黒のドレスと黒髪に加えて、印象的な赤眼に変貌する。
人知を超えた能力に次いで、惹きつけられるこの妖艶さには流石のクレスも黙る。
凛とした姿に美しい以外の言葉を今、思いつくことができない。




