第八章 運命の洗礼②
太陽眩しい晴天の空に雲が出現した頃、この二人の攻防も始まる。
「クレスッ! なんでジュノとこんな酷いことを企むの!」
大声で叫ぶステラに関心を持たず、クレスは常にフレイを標的に合わせている。
しかしどんなに冷静を貫いても、興奮する子犬のように喚くステラはクレスには少々耳障り。
「こんなこと止めてよ! お願いッ、クレスからジュノを説得してッ!」
ステラの必死の訴えに大きな溜息を吐いたクレス。
大きな空調機から渋々飛び降ると、軽々とステラの前に立つ。
昨日までの人間らしいクレスの印象は忽然と消え、空虚なまでに感情を無に、ステラへの態度もどこか他人行儀で、あの時の親しみは感じ取れない。
「ど、どうしたの? ジュノと何があったの? ねえ、クレス、答えてよっ!」
会話をするのも面倒くさそうに、更に言えばステラを視野に入れるのも嫌そうな態度なのだから、この雰囲気だけでステラの心を大いに傷付ける。
晴天そのものだった明るい空は、驚くほど早く消え去り、より多くの暗雲を呼び寄せた頃。
この不穏な天気は会って間もないとはいえ二人の関係にも亀裂を入れられて、無理に絆を試されているような、そんな残酷な悪戯にすら思えてくる。
「話はそれだけか?」
「な、何よそれッ! 今、ジュノを止められるのはクレスしかいないの! だから……ッ」
ステラの期待を大いに裏切ったクレスの一言は、心にズンッと重く圧し掛かる。
フレイに対する仕打ちが、ステラに対する軽蔑が、この非情な現実を受け止めきれず痛みに心が叫んだ。
「く、くれ、クレスなんてッ、クレスなんてッッ、大っ嫌いだぁあぁぁぁあああっ!」
ステラの絶望を耳にしながら、何の受け答えもせず再び空調機に飛び乗るクレスに、終始感情の変化は感じられない。
ステラの心だけが失意のどん底へ落されたまま事が進む事態は、空だけでなく、この場の雰囲気まで極端に変えて、それぞれの心情はさらに複雑に絡み合う。
傷つく心の内が自分自身だけではないことを、今のステラが知る手立てはどこにもない。
***
「……ッ、ステラ?」
怒涛の暗雲立ち込める急激な空の変化によって、ステラの異変にいち早く気付くのはフレイ。
感情豊かなステラの心境は、自然の猛威に広く影響を与える。
特に悲しみや苦しみに直結しやすい空の異変は、ステラの絶望を意味を示している。
元々地球はステラそのもの。
ステラがいてこそ地球は廻り、心底悲しめば地球が酷く憤慨する。
地球は一つの意志を持って、創造主であるステラをこの広い海よりも深く愛しているのだ。
それだけにこの極端な気候の急変はステラの悲しみと心的ショックが大きいことを示し、大気が激怒と悲痛に悶える合図として、ステラの心情の深刻さにも直結している。
「そんなにステラが心配? なら今すぐ私が消えてあげるわ」
突拍子もないジュノの言葉にフレイの理解が追い付かない。
一時思考が止まり、白光を歪ませたフレイの隙を突いて、後方へ華麗に宙を舞うとフェンスを軽々超えて、高層ビルから地上に向かってジュノは落下する。
そう、落ちる。ただそれだけ。
「じゅ……、ジュノォォおぉおぉおッ!」
手足の動きがぎこちないまま、フレイは懸命にジュノの後を追うように飛び降りる。
咄嗟に左腕を金網のフェンスの絡ませて命綱を作り、急降下する勢いそのままに限界まで伸びるフェンス。
遠巻きで見る様は、まるで柔軟に伸びるゴムのよう。
幸いにも素早い判断でジュノの左腕を掴むことは出来たが、事態はさらに過酷な方向へ進む事となる。
「相変わらずね。貴方のその甘い思考こそ致命傷と、いい加減気付いてはいかかしら?」
「それでもいい、僕はそれでいいんだッ!」
ジュノの言動に翻弄され続けていても、フレイはただ真っ直ぐ意思を述べる。
しかし強い金縛りに耐えるフレイの左腕は金網に圧迫されて、深刻なうっ血が見られる。
右腕に関しては冷や汗がジュノを繋ぐ腕にまで滴り、滑り落としそうな不安も募る。
なにより視界に入るジュノの表情はあまりに冷ややか。
「ごめん、辛い想いをさせて。今まで黙っていたのだろう? 気が付くの、……遅れてごめん」
この謝罪で再び黙り込むジュノだが、反抗を止める気配はないようで、ジュノの毛髪が爪先を通り抜けると躍動しながら物理的に繋がるフレイの右手の脈打つ血管内へ毛髪を侵入させて、残存するクレスの血液を一滴残らず体内へ混入させる行為は、フレイという存在を頑なに拒否したジュノの意志そのもの。
まるで赤の他人を忌み嫌うような、そんな乱暴に心を砕く行為にフレイの心は潤いを失くして、引き裂かれる想いから崩壊の音が迫ることを知る。
「じゅ――……」
〈一からちゃんと話し合おう、きっと僕らなら分かり合えるはず〉
〈そしたら、どこか一緒に出掛けるのも楽しいだろう〉
〈二人だけで当てもなく歩くのも、新鮮で良いかもしれない〉
そんないつか必ず訪れると心から信じた、絡まった紐解くための和解と穏やかな未来に希望を捨てず、更なる説得を試みる瞬間、フレイの頭は無残にも鋭い短刀で串刺しにされた。
頭部を貫通した短刀は硬い外壁に難なく刺さり、振動で横揺れを起こし、徐々に動きを弱めて最後は停止する。
放ったのはクレス。
あろうことかステラの見ている前で行った残酷な仕打ちは、ステラの絶望をさらに大きなものに変えていく要因となった。
まるでステラ自身が刺されたと感じるほど血の気が引き、大粒の涙さえ一瞬で止まると同時に、心の痛みは発作として心臓を鷲掴みにされる感覚が襲い掛かり、心身共にズタズタに。
フレイに至っては頭部が串刺しのまま、機能する脳を探知しながら神経の認識を繰り返す。
どうやら綺麗に刺さったのが不幸中の幸いなようで、寸断された部分も重要な機能はそう多くないようで、ジュノと繋がれた右手も変わらす握れていることに安堵している。
ただこの手立てが完全に塞がれた雁字搦めの状況でも、相変わらずジュノの心身の健康を第一に考えるばかりで、常に身を挺するフレイが保身に図る術など何一つ思いつかない。
そんな必死に掴み続けるジュノの腕は、氷のように冷たいことを脳が遅れて察知した。
身体の機能を極力抑え、繋がる腕を集中的にジュノに行き渡るよう血管の巡りを良くさせる。
それは体温を与えたい一心のフレイの純粋な意志であり、強い絆が生んだ行動。
「ジュノ、また一緒に行動しよう。こんなことはうんざりだ、もう、うんざりなんだ……」
「分かってないのね。今、ここで、貴方を殺しに掛かっているのは誰だというの?」
ささやかな望みさえ拒否するジュノは、これ見よがしにフレイをとことん追い詰める。
「私はいつだって失望していたわ、貴方に! 今も! 昔も!」
ジュノの酷な言葉がいくら胸刺さろうとも、ジュノに対する信頼は何よりも強固で、迷う心を確かな希望へ導くフレイがいる。
それはジュノの瞳の奥底が、何かしら深い悲しみに暮れているように見えたからだ。
しかし心が感じた確信など所詮個人の憶測や妄想でしかなく、フレイを否定するジュノの言葉こそ、真意として効力を発揮させる現実は決して覆らない。
そんな最中、続く不穏の兆候に嫌な予感は拭えない。
太陽を遮断させた暗雲が急速に拡大し、雷鳴が聞こえた頃、故意に金属を含ませたジュノの毛髪が物理的に繋がるフレイの右腕から一気に身体を駆け上がり、頭部を突き抜けると避雷針の如く化けた瞬間、巨大な稲妻を呼んだ。
激しい雷光に加えて巨大な爆発と共に、大量の電流がフレイを襲う。
この衝撃によってジュノを手放した瞬間、痛みに震える声帯は悲痛な叫びとなって響かせて雷鳴と共鳴、尚轟く。
***
迫力ある稲妻を間近で見たことで、人間たちの不安は大いに煽られる。
この雲行きはゲリラ豪雨を連想させるほど太陽は層の厚い雲に遮られ、まるで夕刻のような薄暗さを広範囲に拡大させているからだ。
この様子から雨具やの調達や雨宿りの場を検索することに熱心で、今後の天候に様々な不安を抱えながら、それぞれ行動へと移している。
***
「ジュノッ……ォォおぉおォおっ!」
落雷がもたらした甚大な痺れから解放されないまま、落下するジュノとの距離を縮めるためだけに左腕をもぎ取り、骨も捨て去り、頭蓋骨すら一部欠乏させて、紅塗りのフレイは一心不乱に直角のビルを駆け出した。
障害物から解放されたフレイの身体の一部もすぐに後を追うが、急降下し続ける本体に切り捨てられた身体は、簡単には追いつけそうにない。
痛々しく惨い姿を晒してまで、フレイが望むジュノという存在は、価値という言葉で収めるに相応しくなく、既にフレイにとって身体の一部であり、心そのものかも知れない。
瞬時の判断が功を奏して、フレイはジュノに手前まで追いつき安堵を感じて手を伸ばすが、伸ばした先のジュノは捕まえるどころか、忽然と消えて、ジュノの存在自体がいなくなる。
この不思議に上を向けば、ビルの壁に刀を突き刺した柄にぶら下がるクレスとジュノの姿をフレイの片目が捉えた。
この光景はフレイにどん底の絶望を与える。
悲しみが怒りへ、苦しみが嫉妬に変わる時、フレイの怒りの矛先は自然とクレスへ移る。
「クレスぅォォオォオオォオオッ!」
自我を失ったフレイは右腕をビルの壁に刺し込み、壁を破壊しながら速度を落として踏み止まり、上手くターニングポイントを掴むと、今度は勢いよく直角のビルを駆け上がる。
同時に追いつけなかったフレイの欠落した身体の一部とも合流。
完全回復を成せば目指す先はクレスのみ。
この二人との距離は遠いものだが、怒り狂うフレイの勢いは半端ではない。
これはジュノもある程度予測していたこと。
が、ジュノはフレイを少々侮り過ぎたのだ。
フレイが如何に未知数か、心底思い知らされたジュノは容赦なく最後のトドメを刺す。
「何をしているのッ! 早くフレイの的から離れなさい!」
フレイの驚愕な回復と怒涛の気迫に圧倒されて、息を飲む事すら忘れていたクレスはジュノの喝で我に返る。
圧倒的有利な距離を保ち、緊張からかジュノを少し強く抱き、途中、目が合うステラからすぐに目線を外して、付近のビルを飛び越えたが最後、二人は行方を晦ました。
その後を追うようにやって来たフレイ。
この唐突な別れを受け入れられるはずもなく、倒れるように蹲り、盲目のように地面を這うと無我夢中でジュノを探す。
全てが手遅れと悟った頃には、後悔と挫折が心を責め立て、ショックのあまり這いつくばったまま大いに嘆く。
紅塗りのまま叫ぶ姿は多くの絶望を放ち、艶ある顔面を伝う雨水が零れ落ちるさまは、大粒の涙を流しているようにしか見えず、自らを悲愴の渦へ落してさらに心を苦しめた。
声が枯れ、ジュノの名が聞き取れないほど微弱になった頃、遂に意識が飛んだ。
雨は本格的に激しくなり、土砂降りへ。
天気予報は大外れと、多くの人間が傘を買い求める頃だった。




