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第六章 敵か味方か、中立か④

「もう君の戯言には付き合いきれない。悪いが強行手段で行く」


 相変わらず空間を解除しようとしない姿勢も、場違いな気楽さでおどける態度も、フレイの怒りを極限まで押し上げて、堪忍袋の緒が切れる一歩手前まで故意に追い込んだマサヤ。

 この事実がフレイの苛立ちに拍車をかけ、あとには引けない状況まで生み出す。

 なによりこの空間に押し込まれてから小一時間経ったものの、太陽の位置に変化の兆しが見えない現状が、現実世界との時差が激しいことを指し示している。

 そう核心に至った事実がフレイをより焦らせるのだ。

 しかし先手を打ったのは驚くことにマサヤの方だった。


「フン……、つぅッ!」


 フレイの顔面にマサヤ渾身の蹴りを入れたが、硬い剛腕(ごうわん)によって簡単に防ぎ止められる。

 それだけでは済まない。

 ミシミシと骨の音が脳に伝わることで、足に明らかなダメージを受けたことを示唆する中、当のフレイは何のダメージも受けていない状況がマサヤの(しゃく)(さわ)る。

 幸運にも我慢できない痛みではないが、二度目もお見舞いできない状態なのは確か。

 それだけフレイは戦闘に特化した肉体の持ち主であるのが分かる。


「これで理解出来ただろう。君が僕を止めているんじゃない。僕が君に手加減をしている」


 流石のマサヤもこの発言にはぐうの音も出ない。


「まあ、少年。一つ忠告しておこう。あの〈黒づくめ女〉には気を付けろよ」


「く、黒づくめ女? ジュノのことなのか? なぜ、そんな適当なことを言う?」


「ハハッ、少年、あの女狐に相当ご乱心のようだな。まあ、近々本性を現すだろうさ」


「……君がジュノをどう思うかは自由だ。しかしジュノをダシに僕を(そそのか)すのなら避けた方が得策だ。例え同胞であろうが、その程度の負傷では済まないと理解した方が利口だろう」


 今現在の紅塗りのフレイが醸し出す雰囲気は、手加減無しの殺気で満ち溢れている。

 興味本位のつまみ食いの行為そのもので、フレイの、ジュノに対する信頼を試した行為は下品で見苦しい。

 なのにフレイはその挑発を完全に無視することが、なぜか出来そうにない。


「ふーん、まあ、その鉄壁の信頼が崩れた時、少年、お前はどんな景色を見て、どんな精神状態に陥り、どんな行動を起こすのか、大いに見ものだな」

「あ、悪趣味な……ッ」


 フレイがぼそりと呟いた弱気な一言は、マサヤの口角を上げさせる。


「何か、心当たりがあるようで?」


 核心突くマサヤの一言で蘇る、フレイの記憶。


 それは長髪の黒髪のストレートが似合う、細身で長身の女性の後ろ姿。

 フレイの存在に気付いて振り向いた女性は、荘厳美麗の言葉がよく似合う。

 そんな女性は酷く冷徹な目でフレイを睨みつける。

 見下げる表情は静かな怒りを表現するような憎々しい形相。ある程度牽制(けんせい)したあと、目線を逸らして先を行く女性にフレイは声を掛けることも、追いかけることも出来ず、ただ呆然と立ち尽くす事しか出来ない。


「い、いや、あっ、あり得ないッ!」


 フレイの心の葛藤は、目に見えて表現される。

 頭を抱えてこの地獄を懸命に振り払う。

 忘れたはずの、忘れるために尽力した記憶を承諾も無しに、掘り起こす乱暴な策略にフレイの怒りは一気に頂点まで昇る。

 傷口を無理やり広げた上に塩を塗るマサヤの行為は、フレイの鉄槌(てっつい)を避けて通れない道へと駒を進めた。

 若干迷いが生じるも圧倒的強者のフレイの猛攻は、ただ避けるだけで精一杯のマサヤには不利でしかない。状況がより困難なものに陥ったというのに、マサヤの口角はさらに上がる。


***


「わあッ! 楽しかったぁ! ありがとうね、クレスッ!」

「それは喜ばしいことなんだが、人間の流れ見て何が楽しいんだ? 理解が追いつかん……」


 頼もしい護衛となったクレスのおかげで、思う存分人間観察を堪能(たんのう)したステラは大変ご満悦。

 空は夕焼けに色を変えていて、一体どれほどの時間を過ごしたのか、想像するに事足りる。

 ただ面白さを一方的に熱く語るステラに、相槌を打ちながら対応してくれたクレスがいた。

 ステラ自身も客観的に見て、通常、この趣味に理解が得られないことは百も承知なようだ。

 単純単調で特に変化もない現象を延々と見続けるのだから、懐の大きいフレイか、又は地道な作業に慣れたジュノだけにしか尊重されない趣味だと先入観を抱いていたのだ。

 それだけに否定もせず、最後まで根気よく付き合ってくれる人物と出会えたことには随分と驚く。


 最初こそ気難しそうに見えたが、その印象を百八十度変えたクレス。

 寛大(かんだい)な優しさに心打たれて、明け透けに本心を曝け出すことが出来た。

 そんな楽しい世界にどっぷり浸かったステラを、一人の存在が優しさを連れてゆっくりと丁寧に現実へ引き戻される瞬間を、ステラは見た。

 子供の姿のジュノだ。


「ステラ……、」

「ジュノ? ジュノッ! ねえジュノ、フレイは?」


「フレイは少しお仕事が入って出掛けたのよ。きっと朝までには戻るわ」


 ステラは現在、フレイの置かれた状況など知る由もない。

 それに気づいてか、ジュノはフレイの話題を濁す。

 幸せに満ちた気分を壊したくない、ジュノの心からの気遣いだろう。


「そっかぁ、残念。あ、ジュノにお友達を紹介したいの! クレスって言ってね、私を助けててくれた人! きっと私たちの仲間だよ、ね? クレス! ……って、クレス?」


 大きな期待を込めて振り返るが、既にクレスの姿は存在していない。

 まるで全てが幻だったと思わせるほどの潔い退場に、ステラの記憶と感覚に至るまで曖昧にさせるのだから。

 そんな一人困惑するステラに、ジュノーは優しく声を掛ける。


「さあ、私と一緒に帰りましょう。楽しかった思い出、沢山聞かせてくれるかしら?」


 ジュノの気遣いに触れて、ステラは大きく「うん!」の一言と満面の笑みで返した。


***


「クッソぉッ……、タレッぇぇ……っ!」


 攻勢に出たフレイに全く歯が立たないマサヤの攻撃。

 既に身体は悲鳴を上げている。

 しかしそんな圧倒的劣勢のマサヤに対して、圧倒的優位なフレイの疑問は募るばかりだ。


「なぜだ? なぜ、銃を使わない?」


 銃の存在は見せたまま、この最悪な状況に陥ってもマサヤはただ強く銃を握るだけ。


「ふんっ、少年。とっておきは最後まで残すってのが流儀ってもんだろッ?」

「……相変わらず、発言だけは立派なものだな」


 マサヤの意義に答えるように胸ぐらを掴み、この周辺で一番高いビルに昇ると、フェンスの中へ乱暴に投げ入れる行為は、マサヤを同胞としてではなく、敵としてインプットされたフレイの激昂が肌からもピリピリと伝わり、恐怖を覚えるほどの恐ろしさも醸し出す。


「今すぐこの空間を解け。そうすれば命だけは見逃してやる」

「ハッ! 宛ら極悪人だなっ!」


「この空間を解けと言っている。無駄口を叩くなッ」


 普段の優しいフレイとはかけ離れた言動は、恐ろしさに輪を掛けておぞましさも感じ取れる。

 少ない言葉から容赦なしのフレイの意思は十分読み取れていて、半ば強制的に降参を仕向けられたが、マサヤもすでに潮時と見計らうと、煽る態度を一転、左眼を赤く灯らせて、昼過ぎの明るい空間が突然の深い夕暮れを超えて、星が輝く夜空へと本来の時刻を取り戻し始める。


 この極端な空の変化は、異空間回収の一部始終が目に見えて露見した。

 異空間は地面から空へと吸い取られるように穏やかな地割れを起こして、それによるプラスチックのような軽さと、ガラスのような煌めく反射を併せ持つ空間の破片が天を泳ぎ、夕焼けが見せる橙と星が見える暗い空に向かって召される瞬間は、天使でも見ているような感覚。


 この現実と異空間内で起きた現象を超低速で導くための時間は、実のところ人間が一度の瞬きをするほんのわずかな瞬間に起きた壮大な出来事であり、その間、マサヤの創造した明るい異空間は刹那に消え去り、言葉通り瞬く間に回収と分散作業を完了させてしまう。

 空間が清算されたことで人間界は数秒間、暖かな雪が降る。

 一瞬の出来事に収めるため、異変は広範囲に及び、初夏の気候で暖かな雪らしきものが降る現象は人間の間で一時騒然、大いに話題になる。

 無機質が主成分らしきマサヤの創る空間は、綺麗に事を済ませた。


「望み通りだろ! これで満足か、少年ッ!」


 今になってフレイの要望に応えたマサヤは、次に身体の解放を強く望む。

 この一連の行動に関しても同胞としての証拠を提示してくるのだから、フレイの思うマサヤの立ち位置は実に不透明で、首を傾げたくなる疑問が泡のように湧き上がる。

 フレイから見れば、怪しげな言動で振り回して、疑惑を解消させる行動を何度も繰り返せば致し方ない。


「……君の言動には一貫性がなく、動機も掴めないこの状況は気持ち悪い。現状、先の経緯を君の口から聞くことは可能か?」


 同胞としての地位と実力は、精巧(せいこう)に創られた異空間が示した。

 不快な言動で頭に上った血は極端に下がり、確実に冷静にさせるフレイの思考。

 だからと言ってマサヤの振る舞いや、それに対する自身の激昂に至るまでの経緯に謝る義理はない。


「なに、お前の実力を見てみたかっただけだ。真面目に考えるだけ時間の無駄さぁ」


 フレイの戸惑う様子をいいことに、行き当たりばったりな解答で濁して締めくくる。

 多少不満はあれど、今までの言動を振り返るとマサヤらしいと言えばマサヤらしいが。


「にしても、痛ってぇーな……。少しぐらい手加減しろよな、少年!」


「僕は今、少年じゃないよ。それにフレイと言う名前がある」


 言葉遣いが完全にいつものフレイに戻ったことで、この二人に初めて穏和な雰囲気が漂う。


「っていうか、お前俺の名すら覚えてないだろ! マサヤだ、マ・サ・ヤッ!」


 仰向けで大の字になって、フレイとの激戦を身体に残したマサヤは、誇らしげに自身の名を叫ぶ。

 吹っ切ったような大きな深呼吸をすると、同胞としての証を最後まで魅せつけた。


「俺、もう帰るわ。俺の中では一応、全部解決したしな!」


 その言葉で引き止めようとするフレイだが、力なく左手を振りながら右手の銃で再び自らこめかみを容赦なく発砲する姿を見て、思わず口を(つぐ)んだ。

 それは発砲したこめかみを起源に、頭蓋骨から下へ順に細胞が弾けて人としての身体の細胞は分散。

 夜空からありったけの黒を吸収させて、細胞は急激に縮小する。

 周囲に弾け飛んだ細胞を磁石のように欠片一つ失くさず集約すると、マサヤの姿を〈漆黒の女王蜂〉へ変貌を遂げて、この夜空に溶け込み去って行く。


 マサヤはこの過程をまざまざと魅せつけるために、有意義にこの場から離れて行ったのだ。

 これはマサヤのもう一つの姿であり、第二の姿となる。

 フレイたちで言えばジュノの黄金のスカラベ、フレイの紅いムササビ、ステラは金色のモモンガに並ぶように、主に小動物や昆虫へ幅広く展開するこの能力を総じて、【退化(チック)】とジュノたちは総称している。

 退化(チック)とは人間は元より、生きとし生けるもの全生体を形作るための原型であり、数多ある空間の中で人の姿形を構築する上で絶滅と同等、もしかするとそれ以上に重要な進化の過程で会得する最古の形でもあり、また、この世で生物が共存するために最も必要不可欠な能力だ。


「全く、君は一体何者なんだ?」


 マサヤの一部始終を黙視したことで、息の詰まる瞬間から解放されたのはかなり経ってから。

 ジュノに対する態度に不満はあれど、後腐れない性格、陽気な雰囲気、そして先程の出来事が同胞と認めざる得ないあらゆる証拠をフレイの心に深く刻ませた今回の出来事。

 時刻はすでに夜と思われる時間帯。

 人間に変異が見受けられないことから、ステラはジュノの機転によって安全を確保されたと考えて間違いないと判断する。

 安堵から胸を撫で下ろしたフレイは、改めてジュノたちの待つ住処へ帰路に着こうとした。


***


 そんな気持ち切り替え、帰還する最中だった。

 突然の殺意がフレイの頭上から降って掛かることを知る。

 シュッとスマートに風を切り裂くセンスには似合わない、隠せないほどの露骨な殺気を纏って、迫り来るモノを目視で捉えた。

 手には月に反射する刀を添えて急降下する人物に対して、咄嗟に顔面を両手でクロスさせて攻撃を緩和。

 空中で見動きが取れない状況を良いことに、フレイは仕掛けた人物の目論見にまんまと()まる。

 金属がこすれ合う摩擦音が広く響いて、ほとばしる火の粉がこの二つの存在を大いに主張させながら、まるで一種の隕石のように勢いよく下界へ落ちていくのだから。

 目立つ光線が一直線で落下すると、歓楽街の一角に衝撃音が豪快に響く。


「な、なんだ? 何が落ちた?」


 人間の率直な好奇心から、砂煙の中の惨状に注力される。

 しかしそこには何もなく、ただ何かが落ちた痕跡だけ。

 この難解な出来事に慌てふためきつつ、続々と興味本位に人が集まる。

 一時パニックが起こるものの、面白みのない痕跡は自然と頭を日常に戻していく。


***


「君……、誰だ?」


 この周辺で最も高いビルの屋上で、穏やかな風と星空の下、両腕を深く斬り込まれた紅塗りのフレイが丸く大き白光を歪ませ、言葉を選びながら慎重に問い掛ける。


 そんなフレイの言葉に反応するよりも、大破した刀をまじまじと見て、冷静に分析する姿には貫禄(かんろく)すら感じる。

 しかし月明りで刀に少し反射された赤い瞳が、まだ若い青年と訴える。

 赤いバンダナで口元を隠しているが、クッキリした眉間の皺が強い怒りを表しているのだ。


「……お前に名乗る名など、ないッ!」


 この一言を吐き捨てて、役立たない刀を体内へ浸透させていくと、青年は再びフレイを標的に駆け出す。

 今だ戸惑いを隠せない隙だらけのフレイの懐へ、背を屈めながら容易に入った。

 瞬きをする事すら惜しい秒刻みの時間の中で、体内から素早く出現させた大きな銃口をフレイの下顎に押し当て、何の迷い無く引き金を引いた。

 それは殺傷力の高い、散弾銃。


 喉元から後頭部を豪快に貫き、頭蓋骨まで粉砕の後、ほどよくシェイクさせるために、もう一度引き金を引く。

 この攻撃で紅塗りの装備は無意味な飾りと化す勢いで、被弾する破裂音がパチパチと響き渡って、脳内を駆け抜ける感覚を生きたまま感じ取る。

 この衝撃から白光は途端に消え、フレイは死んだように地面に倒れた。

 フレイの死を目視で認識した青年は、確認のためにもう一度頭部を撃つと、早々にこの場から姿を消す。

 それは瞬く間、怒涛の時間だった。


 謎の青年の手腕にただただ驚くフレイ。

 見た目にそぐわぬ手練れた腕前は圧巻で、損傷部位が完治しても、すぐに立ち上がることができないほどの衝撃で倒れたまま思考を巡らす。


「あ、あの子はまさか、もしかして、……でも、」


 青年が見せた天才的且つ特異な能力をまざまざと見て、様々な記憶がフレイの脳裏に飛び交う。

 面識はゼロに近いというのにフレイの懺悔は重く、理解するほどに胸が苦しめられる。

 これは心の奥底に閉じ込めた罪悪感を無理矢理身体に染み出す事態であり、幾ら拭き取ろうが拭いきれない罪なのだ。

 せめて青年の未来が、少しでも明るいものであることを切に願うことしか、フレイにできることはない。

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