第六章 敵か味方か、中立か③
「ねえ、フレイ! フレイっ! ……フレイ? フレイッ!」
人が多く行き来するこの大通りで、目立つ鮮やかな紅毛が確認出来ず、幸せな時間は突然の恐怖に急変した。
唐突な放心状態はこの存在を主張する行為でしかなく、奇異な目に晒される。
ただでさえステラの華やかな髪色と整った顔つきは人目につく。
その上泣き出しそうな不安な顔をしていれば、善意はともかく、悪意を持って近づかれる可能性が高まるというもの。
人の視線を事細かく感じ取れるからこそ、恐怖は増すばかり。
そんなステラを追い込むように、流れ歩く一般人がステラに対して不自然なほど目を見開き、全身を舐め回すように凝視される感覚を本能が捉えて離さない。
注視する人間がステラの視界から消えると、手前にいる新たな人間が同じく凝視でステラを標的にして渡り歩いてくるのだ。
まるで慎重に狩りをする獣のように。
フレイが傍にいたことで、人間の往来の不思議で心煌めいていた幸福の感情など大昔の出来事のように、暖かな心は急速に冷え切り、強い悪寒に支配される。
遂には自然な人間の動作まで恐ろしく感じて、恐怖で耐えきれないステラは大通りから抜け出した。
***
息を切らして涙を流して、安全な場所を探し求めて、繁華街から遠く離れていく。
ステラ自身も今、どこを走っているのかも分からないままに。
そんな恐怖に駆られた中で、最悪な現象がステラを取り囲む。
進めば進むほど、周囲が夜のように暗くなるのだから。
昼にしてはあまりに不自然。
ましてや妙な暗闇に覆われることで街灯まで反応を起こす現象まで見せた。ただ閑散としたマンションや民家には電気が使用されていないことから、この空間に存在するのはステラと、恐らくステラが最も恐れる人物のみ。
ステラの関心と恐怖へ誘う接触不良を起こす頼りない街灯から、不燃物が焼けたような悪臭が空中に漂うことで、嫌な予感は確信に変わる。
脳裏に映るのは、耐え難い恐怖と苦痛。
恐る恐る視界に入れた先には、接触不良の街灯から徐々に降臨する一体の敵。
これは通常の完全体や集合体を凌駕する、醜怪を吊るしたこの世の膿。
最大級の危機を前に、身体中に警告音を鳴らすステラの脳は、これから起こる事態に記憶を蘇らせることで全身が凍り付く。
「す、ステ、ステラぁぁ……、ぁ、ぁあぁああぁああ?」
喉を鳴らしてステラの名を呼ぶソレは、緑の筋肉の筋と血管まで酷く露わで、乾燥防止のための体液が身体中を纏う中、体液が地面と密着した足裏のアスファルトが溶け始め、醸し出す黒煙は毒ガスに形式を変えて空間に充満させている。
どうやら街灯が接触不良を起こしていたのは、体液が滴り落ちたことで電線の一部を溶かしたことが原因のようだ。
最大級の危機迫るステラに対して、この敵の正体を尋ねることほど非情な問いは無い。
遠い記憶を叩き起こす行為によって涙は強制的に止まり、血の引く思いが心身を支配する。
そんな極度のトラウマを蘇らせた張本人は、勿論、アイリーンのことだ。
「見つけたぁ……、私の身体、私のぉ、身体をぉお、かえぇせぇぇぇええぇえ!!!」
アイリーンはステラの肉体こそ真正の器と信じて疑わず、自欲に基づいて激しく欲する。
毒素を排出しながらアスリート顔負けの走りを見せるが、元々飛び出ていた眼球が風圧に耐えられるはずもなく、真横に流れることすらお構い無しに、ただステラとの距離を縮めることだけに熱心だ。
ステラは足が竦んで逃げられず、声すら出せない状態に陥っている。
自分はここで終わる。
そんな想いが拍車をかけて、何一つ抵抗できない自分を心底恨む。
迫り来るアイリーンの恐怖から、ついに頭を抱えて座り込んだ。
絶体絶命、その時だった。
〈ドォンッ!〉
アイリーンの甲高い喚き声が消えたと同時に、澄んだ銃の音がこだまする。
そんな不思議からそっと目を開いたステラが見た光景は、驚くべきものだった。
手前には頭を撃ち抜かれたアイリーンが、地面で声も出せずにもがき苦しむ姿が映る。
音の正体である銃声を放ったのは、年端も行かぬ少年。
仰向けで足掻くアイリーンの姿は害虫の動きそのものだが、不気味な動作にも意に介さず、手慣れた様子で少年は情け容赦なく次々とトリガーを引き続ける。
相当手練れているのか、長い銃を持つ手は全くブレない。
「ちっ、逃げたか……ッ!」
勝ち目のなくなった勝負に終止符を打ったアイリーンは、早々に自身の意識を解放させる。
解き放たれた肉体は、相も変わらず本来の持ち主へ強制的に返還され、心身から伝わる恐怖と精神の錯乱と、この世の地獄諸共、粛々と受け入れる他ない。
そんな究極の難所を軽々と対処した少年に至っては、静かに薬莢などの非日常的な物的証拠を拾い、一息入れると驚く事に長い銃を体内へ内蔵させていく。
銃の分子を少年の身体の細胞や肌の色に至るまですべてを同化させて、正確に細胞と合致させることでスムーズに肉体へ浸透させていくのだ。
この異次元の能力を目撃したステラに、〈仲間〉というキーワードを浮かび上がらせるが、少年の存在自体が仲間として記憶の片隅にも残っておらず、罪悪感から申し訳なさそうにする。
頼りない街灯がチカチカと灯す覚束ない光は、今現在のこの二人の微妙な立ち位置を表すようで、そう背丈の変わらないお互いの顔をハッキリと照らされた瞬間、身に覚えのない感情が湧き出したかと思えば、半ば強引に意識はすぐ現実へと引き戻される。
華やかな金髪が眩しい、宝石のように鮮やかな赤眼を持つ少年。
一度見たら忘れられない特徴だけに、よりステラを焦らせるのだが、それはどこか懐かしい暖かな感覚、そんな淡い感覚に後押しされてか、ステラの心をより翻弄される。
申し訳ないと思いが表情に出たかと思えば、思い出そうと必死で少年を睨むようにジロジロと見るものの、やはりステラに思い浮かぶ節は毛頭ないという判断に尽きる。
「……大丈夫か?」
相変わらず頼りない街灯に照らされて、少年とは思えない貫禄でステラに差し出される手。
「あ、ありがとう……」
突然の会話に内心慌てふためき、心の整理もままならない状況だが、少年の厚意を無下にはしない。
素直に少年の優しさに甘えて、二人は改めて同じ目線でお互いを見つめ合った。
「もうすぐ〈アレ〉が降って来る。暫くあの軒下に隠れたほうがいい」
急かされるままに手を握られ、二人は狭い軒下に並んでアレがやってくるのを暫く待つ。
そう時間が掛かることなく、正体不明のアレが現れた。
黒い空間が空へ天昇されて、街灯も役目を終えて次々消えて行く中、空に残った黒い物体が雲と混じり、この小さな区域に一時的な小雨を降らせる。
その正体は、酸性雨。
ただ効力は極々微弱で、殆どが生活に支障を来たさない程度だが、常時アイリーンが創造する空間全ては、有害物質で生成されている。
今回は些細な問題で済んだが、時に異常現象まで引き起こす場合も多々あり、油断はできない。
あのなりふり構わない生命体のこと、この結果に何の感情も抱かないのだから。
「あ、あの、助けてくれたお礼! 何もなくてごめんなさい。でも、ありがとう」
「別に気にしなくてもいい」
互いの体温を共有する手は繋がれたまま雨が止むまでの数分間、どうしても感謝の言葉を伝えたくて勇気を振り絞って少年に伝えようとする。その勇気の表れが繋ぐ手の強さにも表れた。
「……傍にいる」
一言呟いたまま顔を見合わせない少年の一言は、ステラに大きな疑問を呈す。
「その……、アンタの保護者が現れるまで傍に居てやるって意味だ」
「ほ、保護者?」
「家族だ、アンタの家族」
家族という聞き慣れない言葉によって、謎の少年まで巻き込んで大いに振り回す。
ステラはフレイとジュノを家族などと捉えたことは一度もなく、まず家族がどんな関係なのかも、どんな意味を持っているかも、全く理解していない状態だからだ。
「いる、ような? ……いないような?」
発音から普通のことを聞いているだけなのは分かることから、曖昧な返事で言葉を濁す。
「面白いなアンタ。さっきも言ったが暫く傍に居てやるよ。いわゆるアンタの護衛さ」
酸性雨が消えて、太陽が二人を照らす頃、ステラの不安も晴れて行く。
「そうだ、名は? 俺はクレス……」
「私はステラ! よろしく、クレス!」
つい先ほどの、死の瀬戸際を体感した後とは考えられないほどの天真爛漫。
しかしそれが心を正常に保つ最大の秘訣なのだろう。二人仲良く横に並び、この世の綺麗な部分だけを切り取って、ほんの少しの間、共に小さな夢を広げる。




