第六章 敵か味方か、中立か①
「フレイッ! こっちこっちぃ、ここだよ! ここぉッ!」
ステラが子供の姿で元気よく人間界を走り回っている。ブロンドの長い髪をまるで生物のように大きく躍動させながら、笑顔でフレイに向かって振り返った。
この事の起こりは数十分前に遡る。
***
「もうッ! どうして私を起こしてくれなかったの?」
罪咎から始まり、マサヤと別れるまでの時間を含めて、熟睡を得たはずのステラは、フレイと、特にジュノに対して長時間粘ってこの不満を訴える。
まさに駄々をこねる子供も同然に。
「そんな余裕が無かったの。決してわざとじゃないのよ」
未熟なステラの癇癪にほとほと困るジュノではあるが、致し方ない部分も重々理解してか否定はしない。
だからこそ幾度となく繰り返す、この押し問答にも丁寧に答えるのだろう。
「ステラ、今回は仕方なかったんだ。危険だったし、結果的にこれが正解だったんだと思う」
普段から頼りにしているフレイが、ジュノの味方をする事態にステラの不満は収まらない。
泣けばスッキリするなどと誰が言ったのか。
実際は腫れる目の痛みと痒さと、勝手にひくつく赤い鼻がしんどいだけで、この苦しさがステラの孤独をより浮き彫りにするのだ。
ステラにはこの虚無感を真正面から突きつけられることが、何よりも辛いのだから。
「そ、そうだっ、少し外に出て人間界を探索するのは? 少し……、少しだけ、なら……?」
突然降ってきたフレイの苦肉の策。
ジュノの猛反対も覚悟した発言だけあり、ジュノの顔色を窺っては白々しく目線を外す。
ただステラが笑顔になって欲しいだけのフレイの願いも、ステラの機嫌が一向に改善しない現状も後押ししてか、一度難しい顔をしてから目を瞑り、再び開いて大きなため息をついた後、ジュノは少し緩んだ表情で言葉を発する。
「今日の人間界は週末だから子供の姿で行動しなさい。でもあまりはしゃぎ過ぎないでね。口酸っぱく言うようだけれど、あなたたちはどんな姿だろうと目立ちすぎるのだから」
普段の頑なさは見られず珍しく観念した上、承諾のサインに加えてアドバイスまで伝えてくれる。
念を押した忠告だけでジュノはステラを一転、自由の身へ。
悲しい涙を腕で豪快に拭うと、少し目の周りが赤いものの満面の笑みが咲き誇る。
急遽ジュノが見せてくれた映像で人に紛れ込めることが可能な場所をピンポイントで選び、すぐそこの夢の世界にステラは意気込む。
フレイの優しさの象徴である背中に飛び乗った瞬間、細胞が弾け飛んで吸着させると、再び形を成す頃には建物の外へ元気よく飛び出して地面に足を着ける。
その様子を昆虫を介して見届けたジュノは、心熱い二人とは異なり、終始冷ややかな表情と複雑な心境も巡らせていた。
「何も、起こらなければ良いんだけど……」
これは敵にとって思ってもみない好機。
黙って手をこまねくとは思えないが、大多数の一般人に存在を知られて厄介なのは敵も同じ。
その兼合いからどう先手を打つのか、様々な可能性を潰しながら適切な対策を講じて、あれこれ熟考を重ねてはこの二人を静かに見守る。
***
「ねえフレイ! こっち、こっち見て!」
普段上から見るだけだった夢の世界が、今、ステラの視界に広がる。
「そう急ぐ必要はないよ、時間はたっぷりあるからね。それにしてもテーマパークを選ぶとばかり思っていたものだから、都会の喧騒を求めたのは少し拍子抜けだったな」
「だって、だってずっとこの往来を直接見てみたかったんだもん!」
何処からどう見ても子供ではあるものの、髪色や顔つきが明らかに外国人。
この身なりで騒がしければ、振り返る一般人がいてもごく自然なこと。
なにより必要以上に干渉される様子もない雰囲気が、フレイの不安と心配を安堵に変えて、緊張も少し和らいだ。
ステラに与えたこの自由が、この判断が如何に危険か、フレイも認識出来ないはずがない。
ジュノ同様、最悪の事態を派生させて、起こりうる危険をことごとく潰し、ステラの幸せな時間を守っている。
全ては不憫なステラを想うからこそ。
二人の想いが本人に伝わることが重要ではなく、何事も起きずこのまま時間が過ぎるなら、それが二人にとっての正解なのだろう。
そんな二人の想いとは裏腹に、延々と続く往来に興味が尽きず、新しい発見と探求心で忙しいステラは、あの最愛のフレイすら置いてけぼりに、この街の暗黙のルールにどっぷり浸かる。
「ステラッ! そう慌てなくても人は簡単に居なくならないし、ゆっくり見た方が得策だ!」
「ここ、ここの人の流れも面白いの! ほらっ、フレイも早く来てッ!」
独特な感性で大興奮のステラを追って、次第に笑顔を失くすフレイ。
しかし混雑はさらに増して、背の低い子供の姿では外の背景を見ることすらままならない。
より密になる人間の合間を縫って、待っているはずの大通りにステラの姿はなく、その痕跡すら失くした。
「す、ステラ? ステラッッ!」
急遽暗転した問題に対して焦りの色しかなく、フレイは酷い焦燥に駆られる。
迫る動揺を抑えながら、この人間の海の中、ステラが興味をそそられる場を絞る。
酷く興奮状態だったことから先を進んで行った可能性が高いが、敵に連れ去られた可能性だって十分あり得る。しかしこの混雑だ。あの目立つ容姿で一般人の目に留まった可能性の方が現実味に溢れている。
「クソ、ただ考えるだけでは埒が明かない。どこか……、」
大通りから一度離れて、人気の少ない路地を進む瞬間、一瞬で紅塗りに姿を変える。
この周辺で一番見晴らしの良い屋上に飛び上がると、高い視力でステラを探すが、あれほど目立つ外見のステラを見つけることが出来ない不測の事態に、焦りと苛立ちが募る一方だ。
そんな心身共に追い詰められたフレイへ、意外な人物が軽快に声を掛けた。
「やあ、また会ったな、少年ッ! いや、元少年か?」
相変わらず言葉使いが陽気なままの、露骨な嫌味も込めた発言でマサヤはフレイに近づく。
この出会いが故意に作られたのは明らか。
その事実がフレイの怒りをより一層駆り立てる。
「おいおい、そう興奮すんなって。一戦交える気は更々ないさ、安心しな」
「そんな言葉を鵜呑みに出来るほど冷静にはなれない。早く姿を消すことをお勧めするよ」
怪しさ満載のマサヤの発言には信用がない。
最も、この男に対して手加減する必要はなく、敵意むき出しのまま目で追えないほどの速さで、マサヤの喉元を片手一つで掻っ攫う動作を寸前で止めた。
これは本気を出せばマサヤなど敵ではないという教訓を示すもの。
フレイの唯一冷静な理性が引き止めたのは、ステラの居場所を聞き出すため他ならない。
「悪いな少年。何が誤解か見当もつかんが、ここまでやられて黙認する主義ではなくてな」
無作法な口を動かす度に鋭い爪先が喉元に当たることも、傷を作ることも厭わず、この状況で右手にあの時、あの銃を創り上げたマサヤ。
しかし銃口はフレイに向けられず、驚くことにマサヤ自身のこめかみに銃口を押し当て、何の迷いなく発砲する。
この行為に一瞬動揺するフレイだが、それ以上に驚くことが起きたのはそのすぐ後だった。
撃ち抜いた頭部から順に細胞を分解させて空中を浮遊して、早急に収拾されると、フレイの真後ろから後頭部に銃口を突きつけるマサヤがいるという、奇怪な現象を披露したのだから。
「便利だろ? この能力のこう言うところ、結構気に入っているんだぜ?」
相変わらずこの状況下に置いても相応しくない言葉使いが、マサヤという掴めない人間性を自由に展開させて、フレイの確信を宙に浮かせて上手く着地出来ないように仕向けてくる。
「……僕は銃で倒せない。君ならよく分かっているんじゃないか?」
「倒す? そんな野蛮な、俺は事を穏便に運びたくてね。よく言われるのさ、平和主義とな、」
言葉と行動が全く噛合わないが、できることなら手荒な真似はしたくないと主張しているのは読める。
ステラと離れてからかなり経つことから、早々にマサヤの要望を聞き入れ、共にステラを探す方が一番利口であり、効率も良いはず。
全く気は乗らないだろうが。
「なるほど、よく分かったよ。では聞く、君の目的はなんだ?」
「ああ、そうだな。一時的な同盟を結びたい、なんてのはどうだ?」
「何のための同盟だ? まるで今、僕たちが窮地の中にいるような物言いは……」
相変わらずマサヤの言動はフレイを自由自在に振り回す。
全てを把握していながら、情報を小出しに勿体ぶりながら説明しているようで、印象も心象もすこぶる悪い。
胃がキリキリする思いに囚われるフレイに押し当てた銃を下ろして、少し歩くと、絶壁の建物から見える混雑した大通りに、ニタニタと笑いが収まらないマサヤは目線を落とす。
「少年、おかしいと思わないか? この人間どもの動き」
マサヤの言葉はフレイをどん底に陥れる。
焦るように人間の動きを注意深く観察すると、人間たちはフレイたちの建物を中心に、一定間隔を空けて周囲をグルグル回りながら然も別人になりきっている。
つまりは少数の人間によって、この大通りを再現させているということだ。
「僕は敵の罠にまんまと嵌まった、とでも言いたいのか?」
「まぁ、……御名答?」
相変わらず事の実態を陽気なまま返すマサヤ。
そんな気楽な一言はフレイ一気に奈落の底へ突き落とす。
多方面で不憫なステラに少しでも笑顔になって欲しいとはいえ、危険とわかっておきながら人間界へ降りることを勧めたのは自身だからだ。
何か仕掛けられる可能性が高いことを熟知していて、気を緩ませた結果、事態を最悪な方向へ導いてしまったのだ。
後悔や自責の念に駆られた感情が襲うも、そのやるせなさから沸々と湧き上がる怒りの感情が頂点に達する。
「そう落ち込むな、少年。無駄な事ばかり考えるより効率よく時間を使え。その方が……」
「今、この空間に存在する全ての人物は、敵と認識していいんだな?」
「あ? あ、あぁ……」
唐突な確認に対して、若干困惑気味なマサヤの発言を皮切りに、一人地上に降りたフレイ。
大地に吸い込まれるように堂々降り立つ紅塗りの威厳ある登場は、いわゆる神の降臨そのものを彷彿とさせるような神々しさを見せるが、その印象を更に反転させて、紅い神は慈悲を失くした堕天使のような恐ろしい殺気を纏い、大地を踏み締め、その恐ろしい顔面を上げる。
両腕を広げてすぐ傍の人間の頭部をそれぞれ掴んだ瞬間、両方を激しく打ちつけ、一瞬で頭蓋骨が割れる。
割れ目から勢いよく飛び出した赤い飛沫がフレイの身体に同化するも、すぐに緑の体液で汚す。
これが引き金か、フレイを取り巻く人間の姿形は次々と完全体そのものに様変わり、圧倒的な数の多さから勝ち誇ったような軽快な悲鳴を上げて一斉に襲い掛かる。
絶えず山のように敵が折り重なる様子から、フレイは消えかかった灯火そのものに見えた。
絶命に至ると思われたが、フレイではない多数のうめき声が山の内部から聞こえた頃合いで、膨れ上がった山から無傷の紅塗りが姿を現す。
内部から吹き出る死骸が山を切り崩し、緑の粘着く体液を身体中に纏わせて雄叫びを吠える紅塗りは、まさしく生まれたての怪物。
形を失くす敵の魂行き交う中で、体内に溜め込んだ体液を口腔内から勢いよく噴射して、一瞬で大量の風穴を作る。
襲い掛かる敵を逆に威嚇で怯ませる紅塗りは、脆い身体の敵を乱暴に扱い、何食わぬ顔で五体を引き千切る度、大量の緑が空に弧を描き、フレイを汚し続ける。
また広く露わで強靭な歯を使い、敵の胸部の肉にかぶりつき、骨までいとも容易く噛み砕いて内臓を引っ張り出すと、頬張った臓器で敵の頭部を狙い撃つ非情さと過激さまで披露する。
それらはあまりに豪快で、壮絶な攻撃の数々であり、目を背けたくなるような凄惨さ。
フレイは怒り狂えば狂うほど自我を失うためか、底なしに強くなる傾向が否めない。
空高く舞い上がる緑の体液をシャワーのように浴びて、この惨劇を明るく照らす太陽がフレイを重ねて
いく様は、それこそ天から降ってきた悪魔。
有り余る余裕を感じさせるのは、王者の貫禄。




