第八話 死者の旗印
リシアの名前は、
戦場よりも速く、都へ届いた。
――《勇敢なる従軍治療士、敵の卑劣な爆破により戦死》
――《英雄アルトを庇い、最期まで兵を救い続けた乙女》
誰が書いたかは、問題ではなかった。
問題は、それが都合よく整えられた物語だったことだ。
王都からの使者が到着したのは、埋葬から三日後。
金糸の刺繍が施された外套。
戦場の泥とは無縁の靴。
「アルト殿。
この度の“悲劇”、王都は深く心を痛めております」
男は、哀悼の表情を完璧な角度で作った。
「リシア殿の死は、無駄には致しません」
その言葉に、アルトの指が僅かに動いた。
「……どういう意味だ」
「彼女は、国のために命を捧げた象徴です。
今、民は怒りを必要としている」
使者は巻物を広げる。
「敵国の非道を訴え、
総動員令を正当化するには――
これ以上ない材料でしょう」
アルトの喉が、鳴った。
「彼女は……政治のために死んだんじゃない」
「承知しています」
即答だった。
「ですが、“事実”より“意味”の方が重要な時もある」
その瞬間、アルトは理解した。
リシアは、もう彼女自身ではない。
国家が掲げる、血に染まった旗だ。
「アルト殿」
使者は、低く声を落とす。
「あなたには、声明を出していただきたい」
「声明……?」
「ええ。
《彼女の死を無駄にしないため、最後まで戦う》と」
拒否の言葉が、喉まで上がる。
だが――
その前に、使者は切り札を出した。
「もし拒まれるなら……
別の物語が必要になります」
巻物の一部が、開かれる。
「夜襲時の指揮系統の混乱。
爆薬庫の情報を把握しながら、前進命令を出さなかった件。
それに――谷での“処理”」
紙の上の文字は、冷たかった。
「責任は、個人に帰せられます」
アルトは、黙った。
「英雄が堕ちた、という物語。
民は、それも好みますよ」
沈黙が、答えだった。
その日の夕刻。
アルトの名で、声明が出された。
――《彼女の死を胸に、我々は退かない》
――《敵の卑劣な行為を決して許さない》
兵たちは、歓声を上げた。
士気は、異様なほど高揚した。
だが、アルトは知っている。
その言葉のどれ一つも、
自分の本心ではないことを。
夜。
独房の前で、ヴァルドが笑った。
「おめでとう。
彼女は立派な“理由”になった」
「……俺は、断れなかった」
「違う」
ヴァルドは、静かに言う。
「お前は、断らなかった。
英雄の座と、罪人の首――
天秤にかけて、前者を選んだ」
アルトは、反論しなかった。
反論する資格が、もうなかった。
「逃げ場は?」
アルトが、ぽつりと聞く。
ヴァルドは、首を横に振った。
「ない。
前に進めば、彼女の名を踏みにじり、
退けば、彼女の死が裏切りになる」
アルトの胸に、重い何かが沈む。
「……最悪だな」
「戦争とは、そういうものだ」
ヴァルドは、独房の闇に戻っていった。
その夜、アルトは夢を見た。
リシアが、旗になってはためいている。
声は、もう聞こえない。
掴もうとすると、
布は裂け、血の雨が降る。
目が覚めた時、
アルトの手は、血が出るほど握り締められていた。
彼はもう、
英雄でも、ただの人間でもない。
――国家に縛られた、逃げ場のない刃だった。




