第十二話 「傷を舐め合う者たち」
雨は、容赦なく降っていた。
逃亡者にとって、夜と雨は救いであり、呪いでもある。
アルトは森の奥、崩れた聖堂の残骸に身を潜めていた。
壁に背を預けると、ようやく身体の震えが表に出る。
痛みではない。
怒りが、遅れてやってきただけだ。
「……王都」
その名を口にした瞬間、喉が焼けるように熱くなった。
剣を握る手が、血で滑る。
傷は深い。だが、致命ではない。
王都はいつもそうだ。――殺さず、確実に“奪う”。
「それ、縫わないと死ぬよ」
突然の声。
アルトは即座に剣を抜き、声の方向へ向けた。
聖堂の影から現れたのは、一人の女だった。
年齢は二十代半ば。
濡れた外套の下、細身だが無駄のない体つき。
視線は鋭いが、敵意よりも諦めに似た冷たさがあった。
「近づくな」
「近づかない。殺す気もない」
女は両手を軽く上げる。
「その代わり、あんたが死ぬのを見る趣味もない」
アルトは女を睨みつけたまま、動かなかった。
「……誰だ」
「名前?」
一瞬、女は言葉に詰まった。
「――昔はあった。でも今は要らない」
その答えで、アルトは察した。
王都に、切り捨てられた側の人間だ。
「じゃあ、仮でいい。リィアって呼んで」
女――リィアは、アルトの傷を一瞥し、舌打ちした。
「王都の処刑部隊にやられたね。
あいつら、逃げ道をわざと残す。
生き延びた奴を“裏切り者”にするために」
アルトの目が、わずかに揺れた。
「……知っているのか」
「知りすぎてる」
リィアは外套を脱ぎ、濡れた布を裂いた。
「私は元・王都技術局。
記録改竄と、証拠抹消専門」
静かだが、重い言葉だった。
「つまり――」
「そう。
あんたが掴んだ“真実”、
それを消す側にいた」
沈黙が落ちる。
アルトの剣先が、わずかに下がった。
「……なぜ、俺を助ける」
リィアは一瞬だけ、視線を逸らした。
「私が消した記録の中にね、
“救われたはずの街”があった」
針を通しながら、淡々と語る。
「救われなかった。
実験は失敗。住民は処分。
でも報告書は“成功”」
アルトの胸に、鈍い衝撃が走る。
「私は、それを知ってた。
でも、生きたかった」
縫い終えた手を止め、リィアはアルトを見る。
「だから、あんたを見捨てられない。
あんたは――
私が見殺しにした人たちの“続き”だから」
アルトは何も言えなかった。
助けられたからではない。
同じ穴に落ちた匂いがしたからだ。
「……俺は、王都を壊す」
低く、はっきり言う。
「許す気はない。
正義も、救済も要らない」
リィアは、少し笑った。
「いいね。
私も、王都に居場所はない」
そして、真っ直ぐに言う。
「でも覚えておいて。
復讐は、必ず互いを削る」
「構わない」
アルトは即答した。
「既に、削られている」
二人の視線が交わる。
そこに信頼はない。
だが、逃げ場がないという事実だけは、完全に一致していた。
「じゃあ、約束しよう」
リィアは言った。
「どっちかが折れそうになったら、
もう片方が引きずる」
アルトは、短く頷いた。
「一蓮托生だ」
その夜、雨は止まなかった。
だが、二人は知っていた。
王都にとって、
最も厄介な形の敵が生まれたことを。




