第一章 第3話「闇の穴」
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放課後の学園は、昼間の喧騒を残さず、静寂に包まれていた。
夕陽が赤く校舎を染め、長い影が廊下を覆う。
そんな中、俺――篠原透真は、またひとりで訓練場へ足を運んでいた。
(昨日の鎖……まだ制御できてねぇ)
手首を見つめ、黒く微かに光る痕を確かめる。
フェトラル――あの鎖は、俺の意志と連動して動く。
だが、呼び出し方の感覚はまだ掴めず、暴走に近い状態だった。
そのとき、足元で小さな振動が走った。
地面の亀裂のようにも見えたそれは、次の瞬間――黒い影の渦となり、俺の足元に吸い込まれた。
「なっ……?」
声を上げる間もなく、床が崩れ、俺は暗闇の底に落ちた。
冷たい空気が肺を刺し、視界は完全な闇。
だが、奇妙なことに、恐怖は湧かなかった。
鎖が微かに光り、手首を締めつける感覚があったからだ。
『……呼んだな、主よ』
フェトラルの声が頭の奥で響く。
暗闇の中、鎖が地面を這い、微かに光を放った。
俺はそれを握り、周囲を探る。
暗黒の空間――廊下や教室の床が歪み、無数の黒い穴が開いている。
まるで学園全体が、内側から腐敗して裂けたかのようだった。
「ここ……どこだ?」
周囲を見渡すと、廊下の壁や天井が存在せず、ただ無限に続く闇が広がっていた。
しかし、足元には黒い鎖が縦横に伸び、かすかな光で道を示している。
まるでフェトラルが、俺に道を作ってくれたようだった。
そのとき、暗闇の中から低い声が響いた。
「……ようこそ、篠原透真」
声の正体を探ろうと、鎖を伸ばす。
すると黒い影の中から、人影が浮かび上がった。
細身の体に黒衣をまとった少年――黒咲怜二。
黒髪、冷たい瞳。表情は無感情で、まるで死神のようだった。
「黒咲……怜二……?」
俺の声は震えた。
彼は微笑むこともなく、ただ俺を見下ろす。
「ここが“闇の穴”だ。
学園に潜む歪み、見えぬ者にはただの壁に過ぎない」
「歪み……?」
「そう。普通の者には見えない、能力者にだけ干渉する“異常空間”だ。
今日、偶然お前が落ちたのも――必然だ」
黒咲は一歩前に出ると、手から影を伸ばした。
その影が床や壁をすべて覆い、空間全体を黒に染める。
その光景に息が詰まる。
「……逃げられねぇ……!」
俺が鎖を握り、足を踏ん張る。
だが、フェトラルはまだ完全には反応しない。
心の中で、強く念じる。
『――フェトラル、出ろ! 俺と繋がれ!』
鎖が光を放ち、黒咲の影に絡みつく。
だが、影は柔らかく揺れ、なかなか捕まらない。
まるで俺の力を試すかのようだ。
「なるほど……“無能力者”が鎖と契約したか。面白い」
「契約者だ! 俺は――誰も守れねぇなんて、認めねぇ!」
声に力を込めると、鎖が応えるように伸び、影を捉えた。
瞬間、空間が崩れ、床が光を帯びる。
だが、黒咲は一瞬で消え、再び暗闇の奥から現れた。
「――お前の力、まだ甘い」
言葉と共に、空間の歪みが動き、無数の黒い触手が襲いかかる。
触手は鎖をすり抜け、俺の体を締め上げる。
(くっ……! ここで負けたら、全員が危険になる!)
意識を集中させ、鎖を最大解放する。
光を帯びた鎖が触手を縛り上げ、破壊する。
闇が悲鳴のように歪む。
その瞬間、頭の奥でフェトラルが囁く。
『契約者、我は力の一部を覚醒させる。
この力は、七つの宝具の一つ――“鎖”の力に過ぎぬ。
しかし、使いこなせばお前は戦える』
「七つの宝具……?」
黒咲の瞳に映る、俺の手首の鎖。
その鎖は、まるで意志を持つかのように微かに振動していた。
空間の歪みが、突然収束する。
黒咲は、ひとつ小さく笑った。
「……面白い、篠原透真。
お前の鎖、覚醒すれば、戦場で脅威になるだろう」
「俺は……まだ何も知らない。でも、戦う!」
その言葉に、黒咲はうなずき、闇の中に消えた。
暗闇が完全に消えると、俺は地面に倒れ込んでいた。
周囲には、夕陽に照らされる校舎が戻っている。
だが――胸の奥の熱は、消えていなかった。
(これが……俺の戦う理由になる……)
手首の鎖が、微かに光を残したまま。
闇の穴は、俺に“力の存在”を確信させた。
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翌日。
御影詩音が校舎裏で待っていた。
「篠原くん、大丈夫だった?」
「ああ……何とか。……闇の穴ってやつに落ちたんだ」
「闇の穴……? 危険じゃないの?」
「危険だった。でも、鎖が助けてくれた」
詩音はじっと手首を見つめ、微笑んだ。
「やっぱり篠原くんは、普通の人じゃない……」
その言葉に、胸が少し熱くなる。
昨日、今日と、俺は少しずつ世界に足を踏み入れ始めていた。
鎖――フェトラルと共に。
そして、その先には、七つの宝具を巡る戦いが待っている。
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