記憶から消された婚約破棄
皇室主催の舞踏会。
豪華絢爛たるその会場が、一瞬にして凍り付いた。
「イザベラ・フォン・ローゼンシュタイン。余は、お前との婚約を破棄する!」
皇太子カールによる、突然の宣言に、ざわめく一同。
ローゼンシュタイン公爵家は、この帝国でも随一の名門一族。そして、イザベラは月明りを編んだような美しいシルバーブロンドの髪に、宝石のような瞳、白磁のような肌を持つ美貌の持ち主である。皆が「皇太子さまは狂われてしまわれたのか?」と考えるのも、無理のない話であった。
「此度の件は、すべて余の不徳の致すところではあるが、余には想い人がいる。お前のことも愛しているが、神は余にふたりの妻をお許しにはなられまい。ゆえに断腸の思いではあるが―― 」
「分かりました、殿下。此度の婚約破棄のお話、私イザベラも了承致します」
皇太子の宣言だけでも不測の事態であったが、イザベラの即座の了承に、さらにどよめく舞踏会の参加者たち。
「いったい、どうなっておるのだ、これは?」
「誰もが羨む、美男美女のカップルであらせられる、お二方が何故?」
「帝国の根幹が崩れてしまうぞ。ローゼンシュタインあっての帝国であろうに」
―― 様々な声が聞こえたが、イザベラは冷静であった。
カールは、イザベラに負けず劣らずの美男子。
だが、この国の貴族連中は、皆、容姿が良すぎたため、そこまでの差別化は図れてはいなかった。それはイザベラの容姿にしても同様で、個々人の「好き嫌い」による、誤差の範囲でしかなかった。
何より、ここ半年のカールの「心ここに在らず」感から、こういうことも、あるいは起こり得るかもしれない、とイザベラは予期もしていた。
「あっ、そうだわ。この帝国を支える有力貴族家の子弟の方々も、皆お揃いのようなので、これはいい機会ね。どうせなら皆様にも、私の本当の姿を見ていただきましょう」
ニコニコとしながら、指をパチンと鳴らすイザベラ。―― すると、イザベラの髪は、シルバーブロンドからみるみると赤に変色し始め、美の化身のようであった顔も、のっぺりとした塩顔へと変化を遂げた。
「これが私の素顔です、カール殿下。これまで殿下の理想に合わせ、見た目に少しばかりの魔法をかけてきましたが、もうそれも必要ありませんわね。騙すつもりはなかったのですが、殿下も、殿下好みの顔の方が ―― 」
「お、お前……なぜ、町娘のアンナの顔に化けるのだ……ど、どうやって余の想い人を知ったというのだ!」
「えっ……はい? へ?……いったい、何のことを?」
皇太子と公爵令嬢は、ともに混乱することとなった。
◇
別室に移ったふたり。
答えは、こうであった ―― カールとイザベラは、お互いに自らの容姿に魔法をかけていた。お互いが耳にしていた、お互いが理想とする見た目に合わせて。
イザベラは、いわゆる<転生者>であったが、どういうわけか、顔も魂に引きずられるらしく、<前世の顔>にも、かなり似ていた。だが「……このままでは、いろいろとマズイ」と、変化の魔法を修得したあたりから、少しずつ、バレない程度に、容姿を変える魔法を重ねていった。そして、紆余曲折を経て、先ほどまでの顔に至ったというわけであった。
そして、ここからが本題である。
カールもまた、転生者であった。イザベラと同じ理由でカールも容姿を変えていた。そうして彼も、必死に美男の皇太子を演じてきたわけだが、半年ほど前に、魔が刺した。変化の魔法を解き、城を脱走し、下町の散策に出かけてしまったのである。
そして、カールは出逢ってしまった。
これまた同じ理由で、下町を散策していた素顔のイザベラと。
「ああ、まさかイザベラがアンナ、いや、アンナがイザベラだったとは……」
「そういう殿下も、何が異国の旅人カルロスよ!半年以上も王都に居ついておいて、旅人とか、設定ガバガバじゃない?」
「いや、今話すべきは、そこでは……」
「で、なんでよりによって、美の化身であるイザベラじゃなく、この顔の町娘が良かったというわけ?」
「そ、それは……だな。まあ、なんというか、ふるさとの味……的な?」
「はぁ? なによ、それ……まあ、分からんでもないけど……」
カールの理由は、実際、イザベラにとっても、わかりみの深すぎる話であった。毎日並べられる極上のステーキのような面々ばかりが並ぶこの世界で、オニギリ顔のような異性が現れたら、元・日本人として、かぶりつきたくなるのも仕方のない話。
そう、イザベラ自身も、カールの素顔であるカルロスのルックスに、ふるさとの味を思い出し、たいへん惹かれていたのであった。―― ゆえに、あっさりと婚約破棄を受け入れてしまったという側面もあったのである。
「……で、このあと、どうする気? 婚約破棄しちゃったわけだけど」
「ちょ、待ってくれよ!君がアンナと知っていれば、誰が婚約破棄なんて!」
「けど、私は見事にフラれちゃったわけじゃない? しかも、こんなオニギリ顔の女に現を抜かす皇太子から」
「いや、だって……それは……」
もじもじとするオニギリ顔のカールに、愛らしさをおぼえ、今しばらく、いじめを楽しむイザベラであった。
―― fin.
なんやかやあって、最終的には「舞踏会参加者全員の記憶を消す」という結論に至ったふたり。この後、ふたりで記憶改竄に奔走することとなった、というのが本作のオチ(エピローグ)。