3 気になる同期 ➂
その日の昼休み、小鳥は同期入社であり、入社前研修で仲良くなった、野岡美鈴に今日の午前中に起きた出来事を話した。
美鈴は大人しそうな顔立ちだが、話をしてみると気が強いことがわかったが、小鳥も気が弱いタイプでもないので気が合った。彼女には学生時代から付き合っている恋人がいるので、龍騎に色目を使うこともないため、小鳥としては相談しやすかった。
美鈴は京都出身らしいが本人曰く「南のほうに住んでた上に、お笑い大好きで育ってきたから、京都の人間と思ってもらわれへんし、京都人には認められないんよ」なのだそうだ。彼女は小鳥と二人だけの時は関西弁を隠すことなく話す。イントネーションや意味合いが違い、たまに困惑することもあるが、小鳥は彼女と話ができる昼休みを毎日楽しみにしていた。
「神津くんって性格もわるないし、人気あるもんなぁ」
「そうなんだよね。人気があることが悪いことじゃないし、神津さんは何も悪くないけど少し話したくらいで睨まれることになるなんなら、お近づきにはなりたくない!」
「会社に一緒に出勤するんは少し話したくらいではすまへんやろ。営業部でもからかわれとったで」
美鈴は龍騎と同じ営業部に所属しており、小鳥よりもすんなり会社になじめている。食堂の隅にあるテーブルでコンビニで買ってきたサンドイッチをつまみながら、美鈴は続ける。
「神津くんて素っ気ないわけやないんやけど、近寄りがたいオーラと言うか、何かバリアー張ってる感じあるよな」
(バリアー張っているというのは間違っていない気もする。だって、小鬼がバリアーしてるもの)
小鳥には龍騎には小鬼が見えているだけでなく、まるで小鬼の上司のようにも見えていた。
(まさか、あの人、人間のふりをした鬼とかじゃないわよね!? お話に出てくる鬼って綺麗な顔をしているもの!)
「小鳥、百面相してるけど、どうかしたん?」
「え? あ、うん。これで何人かに目を付けられちゃったかなぁと思うと厄介だなあって」
「別に小鳥は神津くんに興味ないんやろ? 誤解されたないんやったら、彼氏でも作って神津くんには興味ありませんって言うたらええねん」
「簡単に言ってくれるけどさぁ」
小鳥はクッキー生地のスティックタイプの健康補助食品をかじりながら、あっけらかんとした顔で言う美鈴を恨めし気に見つめた。そんな小鳥を見て美鈴は続ける。
「そんなに気になるんやったら、不自然にならん程度に関わらんようにしたら? 仕事を拒否するとかはあかんけど」
「ありがとう。気をつけてみる」
確実な解決策にはならないが、関わらないことが一番だということは間違っていない。小鳥は乾燥してしまった口内をペットボトルの水で潤して頷いた。
******
美鈴のアドバイス通り、小鳥は龍騎と関わらないように心掛けたが、彼が経理部にやって来るたびに、小鬼が小鳥のデスクまでやって来てちょっかいをかけてくるので腹立たしくて仕方がなかった。
(みんなと同じように私も小鬼の姿は見えていないって思っているはずなのに、どうして私ばっかりかまってくるの!?)
見えていないふりをして書類などで吹き飛ばしているが、小鬼は「ピーッ」と鳴いて、どこからか現れた新たな小鬼と共に小鳥の髪の毛を引っ張り始めた。
「限界だわ」
小さな声で呟くと、隣のデスクに座る女性が驚いた顔をする。
「どうかしたの? ……というか、今日の寝癖、酷くない?」
「……すみません。限界なのでお手洗いに行かせていただきます!」
「え? あ、どうぞ!」
いつも穏やかな小鳥の表情が醜く歪んでおり、先輩は小鳥がお手洗いを我慢していると勘違いして何度も頷いた。
「いい加減にして! 一体、何だって言うのよ!」
小鳥はトイレの中まで付いてきた小鬼たちの内の一匹を掴んで目の前まで持ってきて睨みつけた。
「ピ、ピーッ!」
小鳥の豹変ぶりに驚いた小鬼は、小鳥を見つめて大粒の涙を流し始めた。周りにいた小鬼たちもつられて「ピーッ」「ピーッ」と鳴き声を上げて大粒の涙を流す。
(口がないのにどうやって鳴いてるのよ。……よく見たら目の下に点みたいな口がある!)
今までこんな風に小鬼を間近に見たことがなかった小鳥はまじまじと観察する。
「ピピーッ!」
小鬼は殺される! と言わんばかりに悲鳴のような鳴き声を上げた。
「私は悪くないから! ……ってああ! そんな目で見ないでよ!」
掴んでいる小鬼の横に他の小鬼たちがふわふわと飛んでくると「ピィィー」と鳴いた。たくさんの目だけの大福に見つめられても、可哀想だと思うどころか怖いだけだ。
「私があなたたちのことを見えていることはもうわかったでしょう!? ちょっかいかけてこないで!」
「ピッ!」
小鬼たちは敬礼のポーズを取り、何度も頷くように目を瞬かせた。
(私の言葉が通じてる! ……ということは、神津さんは人間の可能性がある?)
小鬼に人間の言葉が通じないと思い込んでいたため、龍騎のことを鬼かと考えた小鳥だったが、そうではないかもしれないと安堵した。
あまり長居をするわけにはいかないため、お花を摘んでから小鳥は事務所に戻り、先輩に頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
「生理現象なんだから仕方がないわ。別に許可を取らなくて良いから、お手洗いには我慢せずに行ってね」
「ありがとうございます」
頭を下げると、斜め前から大きなため息が聞こえてきた。小ボスは先日から小鳥を目の敵にしていて、何かあれば嫌味を言ってくるようになっている。
「子供じゃないんだから、それくらい言われなくても自分で判断しなさいよ」
「申し訳ございません」
間違ってはいないので素直に謝ると、小ボスは鼻を鳴らす。
「龍騎くんに言っちゃおうかなあ」
小鳥を辱めようとしているようだが、そんなことを気にする小鳥ではない。かといって、ストレートに「どうぞご自由に」と言えるわけがない。小鳥が言葉を探している間に、小ボスに反応した人物がいた。
「りゅうきって聞こえたような気がしたんですけど、僕のことですか」
書類と領収書を持った龍騎が現れ、小ボスに話しかけたのだ。龍騎は普段の一人称は『俺』なのだが、目上の人間には『僕』で通している。
「えっ!? あ、その……っ! な、なんでもないわ!」
「そうでしたか。失礼しました。あの、田中さん、これ、精算お願いします」
「も、もちろんよ!」
小ボス……ではなく、田中は目を輝かせて龍騎から領収書を受け取った。そんな彼女に龍騎は笑顔で言う。
「田中さんの声ってすごく通るんで、フロアの外にも聞こえてきますね」
「……え?」
田中が口をぽかんと開けて聞き返すと、龍騎は軽く一礼して経理のフロア内から出て行った。
(あれって、あなたの声がうるさいっていう嫌味なのでは?)
呆れた顔を表に出さないようにして、小鳥は田中に目を向ける。田中の赤くなっていた頬はそのままだったが、それが恥ずかしさからではなく、怒りからくるものだと分かった。田中がブツブツと呟く声が聞こえる。
「せっかく、私が目をつけてあげたのに!」
その言葉は周りにいた人間全てに聞こえていたが、誰も何も言わない。
(勝手に好きになっておいて目をつけたとかはないでしょう)
どう反応すれば良いか困っていた小鳥にメモが差し出された。
『いつものことだから無視が一番よ』
先輩からのアドバイスは聞いたほうが良いと判断し、小鳥は自分の仕事に集中することにした。
改めて龍騎と関わらないようにしようと決めた、その日の帰りのことだった。定時に仕事を終えた小鳥は、制服から私服に着替えて会社を出ようと一階の通用口に向かう廊下を歩いていた。すると、少し前を龍騎が歩いていることに気がついた。
なぜか龍騎は彼の体半分以上の長さの日本刀を背負っている。
(な、なんで日本刀!? 模造品よね!?)
パニックに陥った小鳥は、つい龍騎に話しかけてしまう。
「あの、神津さん!」
「……お疲れ」
「お、お疲れ様です! あの! どうして、日本刀を背負ってるんですか?」
「あのさ、その質問に答えても良いんだけど、以前、聞きたいことがあるって言ってただろ。そっちを聞いていいか」
「……そういえば、ありましたね」
以前というのは小鳥にしてみれば自分も悪いが、子鬼のことも許せない、あの屈辱の日のことだ。小鳥は周りに人がいないことを確認し、歩きだした龍騎の少し後ろを歩きながら尋ねる。
「私に聞きたいことというのは何でしょうか?」
「千夏さん、妖怪が見えるだろ」
「……はい?」
小鳥は龍騎のことを信用しているわけではない。自分自身を守るためにも妖怪が見えていないふりをすることにした。