透明な円環 7
沈黙があった。
それは、世界が記述されるのをいったんやめた、ということだった。
あるいは、誰かが“書く”ことをやめた、ということでもある。
だが、存在するものすべてが言語によって支えられているのなら──沈黙とは、すなわち世界の足場が消えるということに他ならなかった。
道鏡ロボはその沈黙の中心に立っていた。静止していた。語らず、書かず、思考の振動すら止めていた。彼の周囲では、空間そのものがチリチリと震え、微細な断裂音が走っていた。風景は不安定に波打ち、輪郭を持てなくなっていた。記述されない場所に、空間は存在できない。
やがて、道鏡ロボは動いた。口元がわずかに動き、音が発された。いや──
それは「語る」というより、「記す」音だった。
「空間とは、文章である。
物質とは、文法である。
存在とは、構文である。
──そして、私がそれを読み書きする」
彼の右手に握られた“構文刀”が青白い記号光を放ち、刃の表面に浮かびあがる漢字が、ゆっくりと変化していく。
《削除》《変換》《逆転》《代入》《捨象》《復元》
そのとき、空間の裂け目から、もう一体の存在が現れた。
それは、道鏡ロボに似ていた。しかし、表情のない仏面の奥からはまったく異なる波動が感じられた。これは「記述されたもの」ではなく、「記述する意志そのもの」だ。言葉にすらならない存在。それが、世界の深部から顕現した。
“***――記述律守護体【ソルヴェイン】”
「おまえは、書きすぎた」とその声が言った。
「語りすぎた。物語は、語られれば語られるほど、“別のもの”になっていく。それは作者の手を離れ、読者の目を通じ、別の世界へと変質する」
道鏡ロボはそれに応じない。ただ一歩、前へと進む。構文刀が青く震える。
「私は語る。語ることによってしか、この世界を確かにできないからだ。物語は、存在の保証だ。語らなければ、消える」
「語りは、自己の牢獄となる。語るたびに、おまえはおまえを確定していく。逃れられぬ自己記述だ」
そして、二者は交錯する。剣と剣、あるいは、語と語。
音も光もないが、そこには衝突する物語の重力があった。言葉の波が、風景を打ち砕いていく。
道鏡ロボの刃がひとふり振られると、空間の一部が「注釈」に変わる。
ソルヴェインが応じて、「余白」が生まれる。
それは意味のない、ただの沈黙。しかし、その沈黙こそがすべてを支える地盤。
“語りと沈黙の戦争”が、いま始まった。