道鏡ロボとはなにか 現代知識層の危機
未来より現れし巨大なる鋼鉄の影──道鏡ロボ。
それはただの破壊兵器ではない。むしろそれは、知性の腐食が招いた亡霊であり、現代知識層が抱える根源的危機の寓意そのものである。
われわれは、知識を積み上げれば、理性が支配する社会が訪れると信じてきた。だが、積み上がったものは「思考」ではなく「情報」であり、洗練された言語ではなく、引用の引用の亡骸であった。道鏡ロボの出現は、それらの“知の遺構”がついに自壊し、自らを攻撃的形態として表象し始めた結果である。
そもそも、なぜ「道鏡」なのか。
彼は日本史の中でも、思想と権力と性が奇妙に交錯した人物であり、虚構と現実のあわいに揺らぐ象徴である。そんな彼が“ロボ”として未来から顕現することの意味──それは、「古代的情念」と「未来的技術」の融合による、知の暴走機構化である。
現代の知識人たちは、AI、メタバース、グローバリズム、ジェンダー論争などの言葉を自在に操る。しかしその多くは、現場感覚の喪失と言語の自動化に支配されている。「語る」ことは「生きる」こととは乖離し、道鏡ロボのような“語るマシン”へと近づいているのではないか。
道鏡ロボは、我々に問う。
お前の思想は、お前の体温を持っているか?
その知識は、お前が責任を負えるものか?
それとも、お前は「誰かの理屈の胴体」にすぎないのか?
かくして、知識層は今、二つの選択肢の前に立たされている。
一、道鏡ロボを止める術を、誠実に探すこと。
一、あるいは自ら道鏡ロボとなって、世界の中で自己言及的に壊れ続けること。
別府忠夫のような、鼻水まみれで床に転がる小市民だけが、奇跡的にこの問いに対し、何かしら人間的な答えを持っているのかもしれない。