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退屈と難解  作者: 牧亜弓
退屈への道 ルイス・ブニュエル風に
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別府忠夫は本を読んだ


 別府忠夫は、「暇と退屈の倫理学」という本を読もうと思ったのだが、哲学者なので、よくわからんので、要約サイトに頼ることにしたのだった。すると、「自分で主体的にすることがないから暇。自分で主体的に何かをすることを増やせ」という意味らしかった。


 確かに、前の5本の短編などを読んでみると、受動的な生き方になっちゃってしまっている人が多いような気もする。別府自身もかなり受動的な生き方をしている。たとえば、この小説もほとんどチャットGPTを使って書いてしまっている。実は、前の5本の短編のあまりのクオリティの高さにビビっている。こんなもの、自分の作品みたいに思われたら、やばい。


 こんな高レベルものは作れない。つか、何も作れない。別府忠夫は、自分の創作の能力のなさに呆れている。もう、別府忠夫という存在も、この小説の組み込まれているではないか。これでは、彼の自主性とか、主体性はどうしたらいいのだろうか。彼にも彼なりの生きたいことがあるはずなのだから。


 でも、彼は基本的にジュースとか買えたらいいや。って感じで生きている。今日も家の近くのコカコーラを買うだろう。毎日飲んでいるので、太ってきている。糖尿病になるかもしれない。そうなったら、そうなっただ。と思っている。この世の中、楽しいことなんてあるのだろうか。あっ、それについて語っているのが、実は「暇と退屈の倫理学」って本なんですよ。


 いつか買いたいなと思っているが、要約サイトによると、つまり、「自分で考えること」そして、その考えられたことは「自分のもの」であり、基本的に自分のものは楽しいのだ。それを考えると確かに、別府忠夫も、小説を書いているのもそういう部分がある。今や、ほとんどチャットGPT任せであるが、これからは、もうちょっと頑張ろう、自分で書いてみようと思った。


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